6 酒
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「非せんせぇ~」
授業が終わり、二人してそのまま教室に残ってその日の講義内容を復習していると、華やかな雰囲気をまとって従者(ということになっている)の韓有沙がやってきた。
その細い両腕で慎重に、何やら大きな木の箱を抱えている。
韓非は真面目な顔から破顔一笑、それはもうニコニコ顔だ。
韓有沙、この天真爛漫な少年は基本的には神出鬼没で、常に韓非に付き従っているわけでは無い。
それでもなお彼のエネルギッシュな振舞いは、仕事と学問に時間を取られて出不精になりがちな俺の耳にさえ、その真偽を疑いたくなるような噂となって聞こえてきやがる。
ある時は市場で魚の塩漬けを齧りつつ山盛りの飯を喰らっていたとか、またある時は犬を連れて野山にウサギを追っていたとか。
挙句の果てには色街でその姿を見掛けたなどという、さすがにそれは無いだろうというものまで。
それでも韓非にその話をすると、彼は少し考えた後ではあるが、その噂を無下に否定はしなかったけどな。
「ふむ。彼なら、そういうことも、有るかもしれないね」
(マジかよ.......)
ちなみに王族という地位の人間らしく無いという点に関しては韓非もそうで、街中にある粗末な家を借り、衣食の用については自身である程度は賄えているとのことで、コイツもなかなかに生活力がある。
だもんで、有沙少年は(一応)主人である韓非の身の回りの世話などする必要などは無いらしいのだが、ある一つのことについてだけはマメに用をこなしている。
何だと思う?
答えは「酒の調達」だ。
どうだ意外だろ?
これは前世の知識にはなかったことで、そして俺が一番驚いたことでもある。
だってさ、ガッチガチの法家思想の怪物(褒めてるんだぜ)が、実はかなりの酒好きだったなんて信じられるか?
このクソマジメな韓非先生が、さ。
そんなわけだから、有沙少年の抱えてきた箱の中身については、おおよその見当がつく。
何故ならここは楚の蘭陵。
かの有名な「蘭陵酒」の甕が入っているに違いないぜ。
.......
.....
...
これは後から聞いた話なんだが、荀子の私塾に徒歩でやって来たのも酒が理由だった。
考えてもみりゃ、いくら傍流とはいえ韓の公子が留学するんだ、国からそれなりの資金が出る筈。
それを粗末な衣、食、住に甘んじ、馬車すらその維持費を惜しんで酒代にしちまったってんだから、こりゃあかなりの筋金入りだ。
「それはそうですよ。非老師は蘭陵のお酒が美味しいと聞いて、それで留学先を決めたんですから」
「ふふふ.......」
いや、否定せんのかい!!
まあ、成程それで、と思い当たる節も無いでは無い。
なんせ韓非の受講態度は、新しいことを学んでいるというよりも、既に確立された自身の考えを補強するための確認作業をしているって感じだからな。
ってことは、後世において有名な「韓非子」(書物の方な)は、実はこのころ既に書かれつつあったのかもしれないぜ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
倹しい暮らしをしているが、酒を飲むことに関しては全く吝くない韓非は、その日の夕餉に俺を招待してくれた。
なので市場で干し肉と干し魚、それに飲み足りなくなった場合のための安酒を一甕買い、韓非達の住む街の外れの家を訪ねる。
「晩上好、通古様」
「おお通古、待っていたよ!」
「待たせたか?」
「ふふっ♪非老師ったら早くお酒を飲みたくて、通古様がいらっしゃるのをやきもきしながら待ってらしたんですよ」
「それはすまない、屋敷の用が終わらなくてな。先に始めてくれいても良かったのに」
「何を言う?美味い酒は、一人で飲んでも、つまらないではないか?」
「かたじけない」
俺は韓非の対面に腰を下ろす。
しばらくすると、有沙少年が杯を二つと大きめの徳利、それに先程渡しておいた干し肉と干し魚を炙ったものを持ってきた。
「おお!肴を購ってきてくれたのか。これは有難い」
「ふふふ♪非老師はいつもお塩だけですもんね」
「なんだと?うーむ、それは身体に良くないぞ。君はこれからの天下国家に欠くべからざる存在なのだからな」
「ですって老師♪」
結構マジに忠告する俺と、苦笑する韓非。
二人の杯に有沙少年が酒を注いでくれる。
「では飲もう」
「いただくぜ」
うす暗い灯りの中、ささやかな酒宴が始まった。
.......
.....
...
「これは美味いな」
「ああ。とろりとして、それでいて決して重くはない」
前世ではどちらかというと甘党だった俺には、酒の良し悪しを論じる経験も知識もない。
それでもこの、蘭陵酒という酒の持つ美味さは理解できている気がする。
いいや違うな.......
未来の保身のためという下心があったとはいえ、韓非(ついでに有沙も)はこの世界へ転生してきて初めて出来た友人だ。
そんな彼等の幸せそうな顔こそが、この酒を美味く感じさせているに違いない。
「それにしても子沙、君がこれほどに酒好きとは知らなかったよ」
「うん?まるで私のことを、以前から知っていたかのような口ぶりだね?」
「げほっ!げほっ!げほっ!」
「おやおや、勿体ない。酒を服に飲ませてどうするのだ」
「げほげほ.......いや、すまん」
「くすくす.......」
干し肉を齧りながら、時々酌をしてくれる有沙少年。
酔いにいつしか口は緩み、話は気宇壮大なものへとなってゆく。
俺達は脳髄をアルコールで満たしながら、天下の行く末を大いに語る。
「ふむ、私も傍流とはいえ、韓の公子だ。経世済民の志はあるさ。だが望もうと望むまいと、政争の渦の中で命を落とすこともあり得るだろう」
そんな中、ふと韓非が本音を漏らした。
「韓の、とは限らぬが、もしも時の君主より死を命じられるのであれば、斬首や(自殺用の)剣ではなく、せめて極上の鴆酒を賜りたいものだ」
「ちょっと老師っ!何てことを!!」
「そうだぞ子沙、縁起でも無い。酔いにまかせて何を言うのだ!」
なんて注意するも、いや酒に濡れた目は結構マジだ(汗)
「ふふふ、最後に味わうのが、鴆酒というのも一興ではないか?酒を愛する者として、未知の味を知ったうえで、旅立てるのだからな」
おいおい!
お前さんこそ、(史実の)李斯のことを知ってるんじゃないのか?
頼むから、妙なフラグを立てるのは止めてくれよ!!!
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