5 矛盾
お読み頂きありがとうございます。楽しんで頂けたら嬉しいです。
「ふむう、何物をも貫く矛と、何物をも通さぬ盾か......成程、面白い例えだね」
何だかやたらと感心している韓非と、冷汗ダラダラの李斯。
だってそうだろう?
「矛盾」って言葉は、そもそも書物「韓非子」の中に出てくるのが初出で、それはつまり韓非の考え出した概念の筈。
なのに俺が先に口にしてどうすんだよ!
韓非のように良く考えてから口を開く。
うん、これって重要なことなんだな......
「いやしかし、この例えは分かりやすいね。ふむ、これならば、あのことが説明出来るかもしれないな」
「うん?あのこととは何だい?」
興味を覚え、思わず尋ねる。
「なあに、古の、『堯』から『舜』への禅譲の話だよ。」
「ふむ?」
「孔子を始祖とする儒家達は、古の王を貴び、特に『堯』と『舜』を、理想の二人だと褒め称えるだろう?」
「まあ、そうだな」
「『舜』が世の中の悪きを改め、人々を助けたから『堯』は『舜』に禅譲、つまり王の位を譲ったとされているね?これこそが仁愛に満ちた真の王の行いであると」
あちゃぁ......これも俺の知ってる話だ......
「だが、『堯』が真に理想の政治を行っていたならば、世の中に『舜』が正しい行いをする必要は、無い筈なのだよ。まさに『矛盾』ではないかね?」
「.......成程」
うん、そもそも「矛盾」って言葉は、韓非がそのことを説明するために作ったコトバなんだよ......(汗)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ところで通古、今日の講義で、荀老師が仰っていた、人の本質について君はどう感じたのか、是非聞かせてくれないか?」
授業が終わり他の生徒達が退出した後、韓非がそう俺に尋ねてきた。
忘れてるかもしれないが、通古ってのは李斯の字だからな。
この時代に言霊なんて概念があったのかどうかは知らないが、名のことは忌み名ともいって軽々しく人前で名乗るもんじゃなかったんだ。
俺達の場合だと、李斯の「斯」や、韓非の「非」がそれにあたる。
だから俺は韓非のことを字の「子沙」と呼ぶし、子沙は俺を「通古」と呼ぶ。
だからつまり、相手のことを忌み名で呼ぶのはスゲー失礼なことになるんだ。
なるんだが.......
「でも非老師は既に、ご自分のお考えをお持ちですよね?」
いつの間にか部屋に入ってきていた有沙少年が、俺達のメモした竹簡を読み耽りながら言った。
従者ってことになってるが、主人である筈の韓非のことを、思いっきり忌み名で呼んでるよな。
まあでも実は、目上の者が相手を忌み名で呼ぶことはそれ程タブーでもないんだ。
だからやっぱり、この有沙少年の方が身分が上ってことなんだろう。
それでも老師って呼ぶあたり、有沙は韓非のことを少なからず尊敬はしているようだ。
話を戻すぜ。
「人の本質か.......なあ子沙、君も荀老師と同じく、やはり『悪』だと思うのかい?」
答えを知っている俺は、きっとそうなのだろうと思いながら質問を質問で返していまう。
だが意外にも、韓非の考えは少し違ったようだ。
「一概には、言えないだろうね」
「ほう?」
「私は人の本質、などというものは、もっと複雑なものだと思っているのだよ」
「........へ、へえ?」
史実は小説よりも奇なり。
穏やかな顔でほほえみながら、後世に伝わる韓非子のイメージを激しくブッ壊してきやがるな(汗)
「確かに、他人の行動を推し量るには、こういった概念で単純に、そう、単純にまとめた方が分かりやすい。だが人は、川に落ちた誰かの子供を見返りもなく助けてしまうものだし、それでいて今度は、道に落ちた誰かの荷物をくすねてしまうものだ」
「それはまあ、確かに」
同意はできる。
だが、この国の後の世では、貨幣という宝貝が無かったが故に、つまり川に落ちたのが貧乏人の子供だったんで誰も助けようとしなかった、なんてエピソードもあるんだよな......
「だからさ通古、人の本質とは、君の言葉を借りるなら、まさに『矛盾』に満ちているのだよ」
「何ですか、そのムジュンというのは?」
会話に加わってくる有沙少年。
韓非はにこにこしながら言葉の意味と例え話を教えている。
うん、だから「矛盾」ってのは韓非の言葉なんだって(汗)
「話がそれたね。で、『矛盾』してはいるが、それでもなお、人の本質とは、どちらにしておくべきだと思うかい?善なのか、悪なのか?」
「それならば、悪、だな」
俺は即答する。
韓非も有沙も、意を得たりとばかりに嬉しそうな顔をする。
そして続けて、俺は理由を述べる。
「人の本質を悪であるとの仮定の元に、法というものは定められている。そして法は国を治めるに当たって非常に効果的なものだ」
「何故だい?」
「だって歴史が証明しているじゃないか。秦と楚、商鞅を殺しても彼の定めた法を残した秦は強くなった。逆に、呉起を殺して法を残さなかったこの楚という国はどうだろう?」
「弱くなりました。いえ、今はそれ程では無いかもしれませんが」
俺の問いかけに、有沙少年が言葉を継いでくれる。
俺は頷き、言葉を続ける。
「それどころか、いずれこの国は滅ぼされるよ。秦によってな」
「.....驚いたね。君は、そこまで未来を見通しているのかい?」
あ!
またやっちまった......
いや......史実として知っているだけです(汗)
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