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条件付きの結婚生活  作者: 八月葉月
【改訂版】
29/29

第四話 華連夜・一

ちょっと長め。




初朱宴を強引に退席して後宮の自室へとやって来た褒姒ほうじは、自室の寝台ですっかりのびていた。


それもそのはず、誓約の儀とお披露目も兼ねた初朱宴で普段は遣わない様な気を遣い、作り笑いをし過ぎた結果、心身共に疲れていた。その上、自室に来るや否や侍女たちに服をん剥かれ、何故かついてこようとする侍女をなんとか追い返しつつ湯浴みをし、丈が長く裾の広がったゆったりしたあかい深衣をおくみで留められ、そこでようやっと侍女たちが退室して解放されたのだ。


どうやら総てはこれから行われる儀式の準備だったらしい。

茜国せんこくは建国からまもなく五百年経つ伝統ある国だ。そのため、古くからの因習や伝統が随所に残っている。特に儀礼や祭祀ではその傾向が顕著で、皇帝の婚姻もその例に漏れず、先刻の『誓約の儀』や花嫁の披露目のための『初朱宴』、花嫁の部屋に花婿が三連夜通う『華連夜』など一言に『婚姻の儀』と言っても内容は様々だ。


その儀式の一つである『華連夜』がこれから此処で行われるのだ。こう書くと神聖な儀式のようだが、ぶっちゃけた話ただの初夜のことで、花婿と花嫁の性行為だ。




「………あー」


そのことを考えると気が重い。

褒姒は顔の上で腕を交差させて視界を覆った。

両親の想いにほだされたとはいえ、覚悟を決めて嫁いで来た。当然そういった行為も含めて。


だがしかし。


「私は誰かと口付けたこともないんだぞ? いきなり性交って難題過ぎだろう!」


かなり恥ずかしい告白を大声で叫んでいた。


「随分面白い出迎え方だな?」

「!」


褒姒は近くにあった物を声が聞こえた方向に反射的に投げ付ける。それからゆっくりと上体を起こすと部屋の入り口を見据えた。


「危ない嫁だな……殺す気か?」


いつの間にかそこに立っていたのは夫となった皇帝李辟方りへきほうだった。彼は壁に刺さった千本せんぼんと呼ばれる細長い針を右手に持って、にやにやと笑いながら寝台に近づいて来る。


先ほどの告白を聞かれたことに羞恥を覚えるも、この男に自分の赤くなった顔など見られたくなかった褒姒は、冷めた表情で彼を睨みながら気合いで顔に集まりそうになる血を散らした。成功していたかどうかは分からないが。


「千本で死ぬ訳ないでしょう? そんなことも分からないんですか?」

「……ふっ。まぁ、心配するな。仕方なくとはいえ娶った責任は取る。じっくり可愛がってやろう」


可愛くない返答に一瞬寄った眉をすぐに戻すと、辟方は不敵に笑いながら寝台の上に膝をつく。そのまま右手で身体を押された褒姒は抗うことなく、ぽすんっと寝台に押し倒された。

雑な扱いに思わず睨むが面白がるように笑われる。そのことに更に腹が立つのだが、人の上に乗って悪趣味にも笑っているのは仮にも自分の夫であり、この国の皇帝だ。

我慢我慢と自分に言い聞かせて殴りそうになる衝動をなんとか抑える。


だがそんな彼女の努力を嘲笑うように、辟方は厭な笑みを浮かべながら今度は顔を近づけてくる。褒姒はその瞳が観察するように冷めているのに気付いた。

ビキビキ。音を立てて頭のどこかがぶち切れた。


「……あぁ、もう、絶対、無理!!」


やけに力の篭った低い叫びと共に褒姒は拳を振り上げた。

辟方は突如眼前に迫った拳にぎょっとして、慌てて仰け反り、なんとか拳をかわすも体勢を崩してしまう。その隙に褒姒は下敷きにされていた足を曲げながら引き抜き、再び延ばして辟方の腹に叩き込んだ。避けることの出来なかった辟方は、打ち込まれた衝撃で寝台から転げ落ち床に転がる。


そんな彼の姿を見て溜飲を下げた褒姒は、ふんっと一息吐くと寝台に背筋を伸ばして座り、冷たい瞳で辟方を見下ろした。


「馬鹿!……どうやら私達には話し合いが必要みたいですね」

「あ?」


ボソッと呟かれた悪態は聞こえなかったのか、畏まって言った褒姒を胡乱な目で見上げながら、辟方は顔を顰めて腹をさすっていた。

そんな彼の様子を無感情に見つめながら褒姒は続ける。


「このままでは危害を加えそうなので」

「もう加えてるだろうが……」


呆れたように付け加えた辟方に悪びれることなく褒姒は開き直った。


「きちんと手加減しました」

「そういう問題じゃない」

「自業自得です」

「は?」


褒姒の思わぬ切り返しに、辟方は訳が分からず思いきり顔を顰める。

そんな辟方を睨みながら褒姒は口早に答えた。


「挑発して試したでしょう?」


その問いにああ、と辟方は納得した。それと同時に少し意外そうに褒姒を見る。


「気付いていたのか」

「ええ。それに腹が立ったので、つい」

「つい、で殴って蹴るのか? お前は……」

「正当防衛です」

「過剰防衛だ」

「あのくらい避けると思ったので」

「……」


呆れて返した言葉にすかさず答えを被せてくる褒姒に、辟方は片頬を引き攣らせた。横を向いて嫌そうな顔をした彼はぼそりと小声で呟く。


「父親にそっくりだな……」

「?」


呟きが聞こえなかった褒姒は、不思議そうな顔をして辟方を見ている。

それに一つため息を吐いて気分を入れ替えると、彼はよっと立ち上がって褒姒とは少し距離をあけて寝台に腰掛けた。


「取り敢えず、その口調は止めろ」

「?」


突然言われた言葉の意味が分からず褒姒は首を傾げる。辟方はそんな彼女に少し苛立ったように付け加えた。


「普段の口調にしろと言っているんだ」

「何故です?」

「お前にそういう口調をされるのは馬鹿にされている気がして気分が悪い」


顔を顰めて本当に厭そうに言う辟方の姿は、先ほどの宴で見せていた顔とは違い年相応に見えて褒姒は笑ってしまった。


「被害妄想」

「うるさい。おおやけの場でだけ気を付ければ良い。後は普段通りに話せ」


その申し出は褒姒にとっても有難かった。

元々堅苦しいのは好きではない。両親も普段は砕けた話し方をしていたので、きちんとした言葉遣いは客が来た時と修練の時だけしか使ってこなかった。だが、流石に後宮に入ってまでそういう訳にはいかない。覚悟をしていたとは言え、これから四六時中言葉に気を付けなければならないのかと、内心うんざりしていたのだ。


辟方の提案に是も非もなく賛成した褒姒は、彼の気が変わらない内にと早速肩の力を抜いた。


「堅苦しいのは好きじゃないから私としては嬉しいけど……こんなんだよ? いいの?」

「構わん。その方が違和感がないからな」

「へー」


別に彼の印象などどうでもよかった褒姒は気のない返事をする。

そのあまりにも気の抜けた褒姒の返事に辟方は思いきり呆れた。仮にも目の前にいるのはこの国の皇帝であるのにも関わらず、気を抜き過ぎだろう。先ほどまでと落差があり過ぎだ。

豪胆な彼女の態度に、こちらの気もすっかり抜けてしまう。


「……躊躇いがないな」

「問題が?」


自分で言い出しておいて文句でもあるのか? と褒姒が睨みつけた。そんな彼女のふてぶてしい表情に辟方はおかしくなってくる。権力を笠にきて闇雲に他者を抑え付ける気はないが、現在自分が最高権力者であることに変わりはない。その自分にこんな態度を取れる姫がいるとは思わなかった。

そのことがおかしくて、何故だか少し嬉しい。


「ない! ……こんな娘だったのか」


褒姒は突然くつくつと笑い出した辟方を不審な目で見た。


「……今更後悔してるわけ?」

「してない。憂鬱なだけだ」


憂鬱だ、と言いながら笑っている辟方が不気味でよく分からない。

しかし、腹立たしい発言には変わりないのできっちりと文句を返すのは忘れない。


「本人を目の前にしてよくもそんなこと言えるわね?」

「お前も俺のことなぞ気にしてないからな。俺だけ気にするのも馬鹿らしいだろ」

「ああ、そうだね」

「……」


あっさりと肯定されて辟方は一瞬言葉を失う。

肯定するのかよ……、と小さく呟き苦笑するようにまた笑った辟方は、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる褒姒に気付き、息が止まった。幼く見えるその笑みは、何故か辟方の胸の内を掻き毟り、辟方の記憶にしっかりと焼きついた。


褒姒はそんな彼の様子に首を傾げながら、しかし一瞬でその笑みを消すと先ほどまでの冷たい表情に戻ってしまう。


「ついでに言うなら、条件を守らない君が悪い」

「あ? 条件?」


ぼーっとしていた辟方は何を言われたか理解出来ずに困惑した。

それに褒姒は呆れたように付け加える。


「婚姻を承諾するにあたって条件をつけたでしょう?」

「ああ。忘れてた」


全く悪びれずに開き直り、しかも今思い出したらしい辟方に、流石の褒姒も目を丸くする。


「は?」

「いや、あれはこちらに断らせるためのものだと思っていたからな」


何故だか先ほどまでとは違い妙に生温い目をして話す辟方に、褒姒は戸惑いつつも本心を漏らした。


「まぁ、そういう意図があったことも否定しないけど」

「けど?」

「本気」

「そうか」


辟方はあっさりと頷いて納得した。

だが、簡単に納得されるとは思ってみなかった褒姒は訳が分からず困惑する。


「それでいいわけ?」

「別にあの条件が付こうと問題はない」


何だか辟方に主導権を握られている気がする。それは面白くない。

褒姒はわざと蔑むような目で辟方を見つめながら、少しだけ彼から距離を取る。


「はーん。変態だったんだ」

「は? 何でそうなる?」


褒姒の言葉に喰いついて来た辟方に、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「いや、だって“目隠し行為プレイ”が好きなんでしょ?」

「違う。大体お前が付けた条件だろう?“性行為を行う際には目隠しをして行うこと”って」


呆れつつも誤解を解こうと言い募る辟方に、褒姒は段々と調子に乗ってくる。


「そこが気に入って婚姻に乗り気になったと父様に聞いたけど?」

「面白いとは言った。だがな、それは、そんな条件ことを堂々と条件として突きつけてくる姫がいることが面白かったんだ。断じてそういう行為が好きなわけではない」

「へー」

「お前……、信じてないだろう?」


褒姒は横を向いて適当に返事をした。そのおざなりな態度に聞く気が無いことを悟った辟方は、彼女の肩を掴むと強引に自分の方に彼女のたいを向け、低く重い声で一言告げた。


「聞け」

「あー」


その声音に、洒落にならない冷たさを感じて褒姒は頬を掻いた。どうやら少し調子に乗り過ぎてしまったらしい。半眼でこちらを睨んでいる辟方に、はははと乾いた笑みを向けながら、どうしよう、と内心焦る。


取り敢えず謝っておくかと安易に結論を出すと、辟方の顔色を上目で窺いながら可愛い子ぶってみた。


「ごめん、ね?」


上目遣いで最後には首を傾げて謝ってみる。どうだ! 母様直伝! 秘技☆懇願ポーズ!

すると、辟方は深々と溜め息を吐き、首を左右に振った。


「お前な……そういうのは美人がやるから効果があるんだ。お前がやっても気持ち悪い。……いや、むしろ哀れになってくるな」


辟方に憐憫の眼差しを向けられ、褒姒は憮然とする。


だが、事実は事実だ。

褒姒の母である姫三娘きさんじょうは大陸一の美女と言われるほどの美の持ち主だ。武を好む彼女は、引き締まった美しいプロポーションを持ちつつも、しかしその顔立ちは凛々しさよりも可愛らしさが際立っている。緩く流れる薄青の長い髪は絹糸のようで、彼女を女性らしく華麗に彩っていた。

その娘である褒姒は、身体は引き締まっているものの母ほどの美しいプロポーションを持つには至らず、顔は平凡で簡単に雑踏に紛れ込んでしまえるほどだ。その長い髪と瞳はこの国では珍しい漆黒ではあるが、その色を持つ夜郎やろうという民族は人々から恐れ嫌われているため、プラスの要素にはなりえない。


絶世の美女であった母ならば有効な技だっただろう。だが、彼女に似ても似つかない褒姒ではあの技は武器にはならず、寧ろ自分を傷付ける刃にしかならなかったようだ。


「むっ……正論過ぎて言い返せないのが悔しい」


今更ながらにその事実に気付いた褒姒は唸りながら呟いた。まぁ、憐れまれたのは腹立たしいが。


「ぐっ……ぶぁはははは!」


褒姒は突然の笑い声に驚いて辟方を見ると、何故か彼は腹を抱えて笑っていた。よく見ると目尻に涙が浮かんでいる。


「?」


何故彼がこんなにも大爆笑しているか分からない褒姒は眉を寄せて首を傾げた。そんな彼女の様子に気付いた辟方は、肩を震わせながらもなんとか笑いを抑え込み、滲んだ涙を拭いながら乱れた呼吸を整える。


「くく……いや、悪い。まさかあんなことを言われて怒りもせず、それをそのまま認めるとは思わなくてな。流石噂に名高い“変人姫”だけある。常識が通用しないな」


褒姒は彼の言葉の意味が理解出来ずに困惑した。


「? なんで怒るの?」

「自尊心が高いから」

「事実なのに?」

「事実だからこそ劣っているのを認められないんだよ。自尊心の高い奴はな」


口元を歪めてそう吐き捨てた辟方は、嘲笑するように嗤った。だが、意味は分かっても理解出来ない褒姒は納得できるはずもなく、くっきりと皺が出来るほど眉を寄せる。


「……そっちの方がよっぽど変だと思うんだけど」

「くくく……そう言い切れる貴族はあまりいないな」


難しそうな顔をして唸っていた褒姒は、結局理解することを諦めてぼそりと結論を呟いた。それを聞いた辟方は、目を細めてやっぱり面白いと呟き、どこか満足そうに笑った。




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