↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

日時、場所不明

 気がつくと、僕はとても混雑した列車に乗っていた。

 車内は凄まじい蒸し暑さだ。外では滝のような雨が降っている。ビクトリアフォールとかイグアスフォールとか、地球の裂け目に落下する巨大瀑布の直下にいるような激しい雨だ。

 周囲を見ると乗客は誰もが痩せこけていて、雑巾をつぎ当てたような貧相な格好をしている。僕は乗客の中にるみの姿を探したが見当たらない。

「ここはどこですか?」 

 隣に立っている桐の箱を抱えた女性に尋ねようとしたが、声が出せない。

 しばらくすると発車のベルがホームに鳴り響き、満員の列車は煙を吐きながら豪雨の中へ走り出した。駅を出ると、大火災の焼け跡のような市街地が広がっていた。列車の速度が上がるにつれ、雨水が車窓を流れ飛ぶ。窓を締め切っているため、客車内の不快指数はどんどん上昇し、僕の額や背中から大粒の汗が滴り落ちる。

 視界を奪っていた機関車の煙が一瞬晴れると、水かさが増し濁った水が橋の下すれすれで渦巻く大きな川が見えてきた。列車は警笛を鳴らしながら、今にも流されそうな鉄橋をものすごいスピードで通過する。その時、反対側から猛スピードで突進してきた列車と、ちょうど鉄橋の真ん中で正面衝突をした。

 とてつもない衝撃波と爆発音が轟いた。

 大勢の乗客が、荒れ狂った川に投げ出される。同じ車両に乗っていた女学生や、桐の箱を抱えた女性や、痩せこけた男性たちと一緒に、僕も宙を舞い、暴れ狂う濁流に飲み込まれた。

 上も下もわからない水の中で必死にもがいた。

 藁をも掴む気持ちでもがいていると、手足に何かが触れる感触があった。目を開くと僕は自転車にまたがり、夜明け前の住宅街を走っていた。冷たい風で耳がちぎれそうに痛い。大通りから薄暗い路地に入り空き家の庭を通り抜けたら、離れの軒下に白いものがぶら下がってがいった。下半身に血流が集中しGパンの股間が窮屈になる。

 ——前にもこんな場面を見た気がする。

 手を伸ばしてその下着に触れようとした。

 突然部屋の灯りがついて、窓から女性が顔を出した。僕と目が合い驚きで表情が引き攣る。大声を出される前に女性の口を手で塞ぎ、窓から潜入してソファーの上に倒れこむ。勢い余ってソファーからフローリングの床に転がり落ち、強い衝撃を受けた。

 うめき声を漏らしながら顔を上げると、僕は夜桜に浮かぶ板張りの能舞台にいた。篝火かがりびで照らされた舞台には大きな鐘が吊るされていて、深井の面をつけた前シテが舞っている。 

 一陣の風が吹き、桜の花びらがはらはらと漂う。さらに強い風が吹き、囃子と能管のひしぎの音色に合わせて桜吹雪となり、渦を巻き、篝火の上昇気流で春の夜空に舞い上がる。

 幻想的な光景に見とれていたら、身分の高そうな男が舞台に上がってきて、大声で喚き始めた。しばらく舞台上で言い争いが続いたのち、銀色に鈍く光る刀を抜き、小鼓方こつづみかた日時、場所不明 の一人を切りつけた。鮮血が飛び散り、衣装も舞台も鼓も赤い血に染まる。

 男はその血まみれの鼓を、僕をめがけて蹴り飛ばした。血飛沫を吹き散らしながら飛んでくる唐紅に変色した鼓。思わず目を背けた時、僕の頭上から大きな釣鐘が落下して中に閉じ込められた。

 しばらくして再び鐘が持ち上がった時、そこは静寂に包まれた夜の教室だった。中学校の音楽室のようだ。血に染まる能舞台も、濁流渦巻く川も、下着が吊るされた離れの軒下もない。

 ゆっくり立ち上がった僕の頭に何かが当たる。そっと手で触って確認すると、それは人の足だった。見上げると、誰かが天井から首を吊って息途絶えていた。


 うわ! 

 全身の血が凍りつく恐怖を感じ、自分の叫び声で目が覚めた。

 僕はフロリダのコンドミニアムのソファーの上で寝ていた。背中にぐっしょり汗をかいていた。外はまだ暗い。時計を見ると時刻は午前五時を少し過ぎたところだ。雨は止んでいた。そして僕の下半身は裸だった。


 何か恐ろしい夢を見ていた気がする。テーブルの上には飲みかけのワイングラスや、食べかけの料理が乗った食器が乗っている。昨夜、るみという女の子と過ごした記憶が蘇ってきた。ワインを飲んで食事をして濃厚接触をした。

 僕は呼吸を整え、起き上がってるみを探した。寝室にるみの姿はなかった。リビングにもキッチンにもバスルームにもトイレにも、るみの姿はなかった。急いで財布を確認したが、盗まれているものはなかった。クレジットカードもパスポートも国際運転免許証もアメリカのお金も。

 何も言わずに姿を消したのは、僕のどこかに彼女の気に障った取り返しのつかない落ち度があったからだろうか? それとも濃厚接触と、スーパーで立て替えた買い物代金をチャラにしてくれということなのだろうか?

 僕が立て替えてスーパーで買った品物も、部屋の中から消えていた。昨日はるみとの出会いに浮き足だっていたから気が回らなかったが、るみがいなくなった今、改めて考えると不思議な買い物だ。

 なぜ彼女はそんなものを買ったのだろう?

 百個のアイマスクと百組の耳栓を。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。