2020年2月13日 フロリダ(3)
女の子は不安そうな表情で返事を待っている。
「日本人だけど」
僕は自分を指差した。
「良かった」
女の子はふー、と短い息を吐く。
厚い雲に覆われていた太陽が顔を出し、眩しい光線が彼女の前髪をすかす。
僕は上体をかがめ「どうしたの?」と聞いた。
「あの、お店をのぞいてたらグループとはぐれちゃって……私方向音痴だから……」
「迷子になった、と言うことかな?」
「そうです、みんなとはぐれちゃって……どこへ行けばいいのか全然わからなくて……私英語も話せないし、その、Wi-Fiも繋がらなくて、連絡も取れなくて、本当に本当に困って——」
「わかった」
女の子は、ボーダーTシャツの上に、フード付きパーカーベストを羽織り、白色のスウェットパンツを履いている。ポシェットを斜めにかけて、手には「オーバーアクションラビット」のスマホケースを、大事そうに持っていた。
「僕が君のグループを一緒に探してあげるから一回落ち着こう」と言うと「ありがとうございます!」と泣きそうな顔で喜んで、ぴょんぴょん飛び跳ねた。テーブルに座ってスマホで誰かと話していた耳の縁が赤い中年の男性が、振り返って僕たちを見た。
「家族じゃなくて、グループで来てるの?」
「ちょっと事情があって、友達というか……グループで来てるんです。中学の卒業旅行みたいなものです」
僕はサングラスを外した。
「中学校の卒業旅行でフロリダに来るなんて随分豪勢だね。最近はそんなこと多いの?」
「あ、だから事情があって……」
女の子はサングラスを外した僕の目を見た。風が吹いて噴水のしぶきが霧雨のように舞う。
「君のグループはどういう人?」
「中学生の男女十四人です。男子が五人、女子が九人、それから大人の引率の人がいます」
「そんなに大勢だったら目立つから、すぐに探せるんじゃないかな」
「本当ですか! ここって信じられないくらい広いから、もーどうしようって、パニックになってたんです」
「確かに、めちゃくちゃ広いね」そう言いながらショッピングストリートを見渡すと、父親とお揃いのラルフローレンのポロシャツを着た男の子が、肩車されて誇らしそうに拳を突き出していた。
「実は僕も、どこから来たんだっけって迷ってたとこだよ」
「そうなんですか」女の子は安心したように笑った。
「あ、私、日高美奈ひだかみなって言います」
その名前を聞いて、反射的に彼女の左手の人差し指の爪を見た。実在するその名前の持ち主と会ったのは人生で初めてだ。
「え……どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
噴水広場の一角に美味しそうなジェラート店が見えた。ちょうどいい。
「暑いから冷たいアイスでも食べながら一旦落ち着こう」と言いながら、お店に向かって歩き始めると、美奈は「あ、はい」と返事をしてついて来た。
メニューパネルに紹介されている案内によると、このお店ではオーガニックの自然食材を使った伝統的なジェラートを提供しているらしい。乳化剤や人工甘味料やトランス脂肪酸を使用していない本物のジェラートだ。ジェラートショーケースはイタリア・カルピジャーニ社製。
「これは本物のジェラートだね。きっと美味しいよ」
ガラスのショーケース越しに見えるたくさんのフレーバーから、僕はパイナップルとキィウイを選んでダブルコーンを注文した。そこにココナッツフレークのトッピングをつけた。美奈にも好きなものを頼むように促すと、少し迷っていたが、あるいは遠慮していたが、僕がオーダーしたアイスが美味しそうに見えたのか、マンゴーバナナチーズケーキとマカデミアナッツチョコレートに、シュガーチョコチップをトッピングしたダブルコーンを頼んで欲しいと言った。僕は二人分のジェラート代をクレジットカードで清算した。その時は、クレジットカードを見てもるみのことは思い出さなかった。
「いただきます」
オーダーしたジェラートを受け取り、噴水広場の青いパラソルが木陰を作るテーブル席に座って、ジェラートを食べ始める。
「美味しい!」
美奈は目を丸くして、ダブルコーンのジェラートをペロペロ舐めた。僕も自分のジェラートを一口舐める。暑い中で立ち話をしたので、甘くて冷たいジェラートの刺激が、頭のてっぺんから足の指の先まで駆け巡る。我を忘れてそのとろける美味しさに浸っていたら、美奈が僕をじーっと見つめていた。
「それ、美味しいですか?」
隣の席ではマーリンズのキャップをかぶった女性と、ミッキーマウスのカチューシャをつけた女性がキスをしていた。
「うん、美味しい」
ジェラート店のカウンター前には、いつの間にか家族連れやカップルの行列ができていた。
オープンエアーの空間の何処かにあるスピーカーから、カーリー・レイ・ジェプセンの「アイ・リアリー・ライク・ユー」が聞こえてくる。女の子と二人で青いパラソルが日陰を作る涼しいテーブル席で、夢のように美味しいジェラートを食べる時に聴くには、これ以上ないぴったりの曲だった。そよ風に乗って漂う噴水の水の粒子が、ミストシャワーの心地いい。
「私たちのクラス、テレビのニュースで全国に流れたんです」
溶け始めたジェラートを舐めながら美奈が言った。
「突然ですが、今日で三学期は終了です。みんなとお別れになります」
日本政府が全国の学校に休校を要請した翌日、美奈たちはホームルームでクラス担任の口から休校を告げられた。中学生三年生にとって、三学期が終わると言うことは中学校生活の終了を意味する。その瞬間をテレビ局が放映していたと言う。
「みんな最初、何を言われているのか理解で来ませんでした。少し経ってから『え、どういうこと?』『もうみんなと会えないの?』というつぶやきが教室中に広がりました。やがて一人また一人、女子生徒が涙をこぼし始めました。それが教室中に広がり、みんな肩を震わせ泣きました。男子も涙を流している子が何人もいました」
美奈は手に持ったジェラートに目を落とし、こぼれかけているところを舌ですくって舐めた。
「すごく悲しくて、すごく悔しかったです」
厚い雲が頭上の太陽を隠し、テラコッタタイルの広場に出来ていたパラソルの影を消した。
「卒業式も三送会さんそうかいも全部中止になったんです」
「さんそうかい?」
「三年生を送る会で『さんそうかい』って言うんです。部活ごとに行います。中学時代に部活に打ち込んできた生徒にとっては、卒業式より意味が大きいかもしれません」
「君も何か部活をしてたの?」
「バスケ部です。中学生活といえば部活っていうくらい思い出がいっぱいです」
少し強い風が吹いて、青いパラソルの支柱がギシギシ音を立てる。
「ブラック部活なんてひどい言われ方をされますが、生徒はみな真剣です。先生方だって部活の指導がやりたくて教員になった先生もたくさんいるって聞きました。まるで部活動を真剣にやっている生徒がブラックみたいなイメージを持たれて頭にきます」
美奈は目に涙をにじませた。
「ブラック部活?今はそんな言われ方をされてるの?」
「どこかの大学教授が、センセーショナルなネーミングを使って、それで本が売れて喜んでるんです。だけど、その影響で、真面目に部活をやっている生徒にまで悪い印象を持たれるとか、生徒自身が自己否定するなんて、全然考えていないんです。大人は自分の都合ばかり優先して勝手すぎます」
「その『さんそうかい』もなくなるんだね」
「はい」美奈はうなずいて僕を見る。「先生方も後輩たちも準備を始めていたと思うんですけど、全部無駄になっちゃいます。私たちから中学生活の楽しみを取り上げた大人を絶対に許しません」
大人の僕は少しバツの悪い顔した。
「あ、でもこれは大人全員に言ってるんじゃないですよ。理解してくれる大人もいるし、こうして私たちに卒業旅行をプレゼントしてくれた大人もいますから」
「プレゼントされた?」
「テレビ放映を観て、私たちに旅行をプレゼントしてくれたんです。最初は東京ディズニーランドに行く計画だったんですが、あそこもすぐ閉鎖されてしまったので」
「それでディズニーがまだオープンしているフロリダに来たってわけか」
「代わりというにはスケールが違いますよね」
美奈は肩を揺すって笑った。
「ごちそうさまでした。さあ、みんなを探しに行きましょう」
「いや——」
僕は席を立とうとする美奈に言った。
「こういう時は、むやみに歩き回らない方がいいと思う」
僕たちがいる場所は、フードコートの出入り口の前で、大きなショッピングストリートが十字に交わる広場だ。四方から人の流れがあるので、ここで待っている方が美奈のグループと会える可能性は高い。
「お互い歩き回っていたら、行き違いでかえって会えなくなることがある。向こうのほうが人数が多いんだから、僕たちはここでじっとしていた方がいいと思うよ」
美奈はにっこり笑って「わかりました」と言った。「じゃあ、あそこのゴミ箱にこれ捨ててきますね」
コーンを包んでいた円錐形の紙を持って立ち上がる。僕はその後ろ姿を目で追いながら、ジャッジのニュースに出ていた中学生というのは、美奈たちなのではないかと思った。




