2005年5月 埼玉県K市(2)
懐中電灯で足元を照らしながら、暗い階段を一段一段降りて行く。
男子がふざけて大声を出すと、下の階の踊り場でその声が幾重にも反響した。そこに得体の知れない何かが潜んでいるような、不気味な気配を感じ全員無口になる。軽いノリで足を踏み入れた真夜中の校舎は、普段ぼくたちが知っている昼間の校舎とは違う性質の空間だと感じ始めていた。
二階まで降りたら理科室を目指して廊下を進む。さっき津々美さんと荷物を持って歩いた廊下だ。振り返ったら津々美さんと目が合った。大勢かたまって歩く暗がりの中で、いつの間にか津々美さんはぼくのシャツの腰の辺りを掴んでいた。
夜の校舎の廊下を歩き、理科室の前に着くと、懐中電灯の光が入り口に向けられた。水木くんが立て付けの悪い扉に手をかける。
「あれ?」
その時に限って、扉はすぅーっと滑らかに開いた。
ぼくたちは怖いもの見たさから、恐る恐る足を踏み入れる。部屋の中は、音が凍りついたような静けさに包まれていた。闇に心臓の鼓動と息を吐く音が吸い込まれる。足音を忍ばせ、慎重に前進すると、理科室の奥の壁に教材倉庫へ続く扉が見えてきた。
「開けてみようよ」
暗闇の中で誰かが口を開く。
「それはやばいって」
別の誰かが怯えた声で言う。
水木くんは構わず扉に手をかける。その扉も一切の音を立てずに滑らかに開いた。
教材倉庫の中は理科室よりさらに暗かった。懐中電灯を向けると、スチール製の棚に乱雑に積み上げられた段ボール箱や書籍が照らし出される。乾いた埃の匂いが鼻をつく。
「ここまで来たら前へ進むしかないって」
誰かの声に背中を押され、ぼくたちは身を寄せ合い教材倉庫の奥へ足を踏み入れる。天井まで届く高い棚に挟まれた通路を、息を殺して進む。積み上げられた教材は、途中から音楽の教材に変わった。
「このまま倉庫を通り抜けて、音楽室まで行ってみようぜ」
反対する者はいなかった。後戻りしたら、何か取り返しのつかない災難がぼくたちの身に起きるような気がした。
「これちょっと変じゃない?」
先頭を歩く水木くんが、棚に置かれた箱の一つを手に取った。一斉に懐中電灯の光を浴びた箱が闇に浮かび上がる。全てが埃っぽく乱雑に積まれた倉庫の棚で、その箱だけは全く雰囲気が異なっている。周囲と切り離された異質な空間で時を刻んできたような、不安定な存在感があった。
「……桐の箱?」
湖山さんの声がする。
水木くんは橙色の紐に手をかけて、十字結びをほどこうとする。
「やめなよ……」
女子たちが制止する。水木くんは構わず紐を解く。
「——何だこれ?」
蓋を開けて中から小鼓こつづみを取り出した。
「これ……あれじゃない? 古典楽器ってやつ」
「能とか狂言で使う、太鼓みたいな楽器だと思う」
「へー」
水木くんが革の部分を叩く。
————?
音は鳴らなかった。少し首を傾げる。
今度は少し強く叩いた。それでも音がしない。
「叩き方が違うんじゃない?」
水木くんはムキになって大きく手を振りかぶり、思いっきり手のひらを革に打ち付けた。それでも物理的な音はしなかった。あるいは鳴ったはずの音は、漆黒の闇に絡め取られたのかもしれない。気味が悪い感覚だった。
「マジでやばいやつかも」
暗闇の中で誰かの声がした。
水木くんはその小鼓を元どおり箱にしまって、紐で十字に縛った。
箱を棚に戻し、さらにみんなで倉庫を進む。膝が震え、口の中が乾く。誰もが無口になった。今経験したことをなかったことにするように。
懐中電灯で前を照らしながら一つにかたまって歩くと、倉庫の奥に反対側の扉が見えてきた。その先は音楽室だ。水木くんがゆっくり唾を飲み込む。手を触れるとその扉も、音もなくすぅーっと開いた。
「まただ」
開いた扉の先に、身構えながら足を踏み入れる。音楽室も不自然なほど静かだった。
音が耳に届く速度より早く、暗闇の空間が膨張しているような感覚だ。気味の悪い物音や叫び声でもいいから、何かが聞こえて欲しいと思った。
その時、背中にひやっとする悪寒が走った。首筋から腕にかけて鳥肌が立ち、脇の下に汗が滲む。膨張する暗闇の中で、誰かに背中を見つめられているような気配を感じた。
一人が慌てて廊下側のドアを開け、逃げるように音楽室から飛び出すと、みんなもそれに続いて音楽室から飛び出した。そのまま駆け足で廊下を進み、息を切らし全速力で階段を駆け上る。
そして屋上に戻った——。
新緑の葉の香りを含む、ひんやりとした五月の夜風が吹いている。心臓はまだドクンドクンと脈打っている。
夜の学校探検は、一人も犠牲者を出すことなく全員無事に生還したようだ。
屋上に戻ったら緊張が解けてみんなで大笑いした。探検に行かなかったグループに、尾ひれ背びれがたくさんついた恐怖体験を伝える。その武勇伝を、怖がって聞く者や笑い飛ばす者もいたが、こうしてみんなで過ごす一夜を、ぼくはかけがえもなく愛おしく感じた。
中学生の一秒は、地球を七周半するより濃厚なのだ。




