第二十七話 織田からの縁談
小豆坂の戦から、しばらく経った頃。
稲葉山城に、織田家から使者が訪れた。
「織田家から?」
俺は思わず聞き返した。
「はい」
道三は使者を前に、何食わぬ顔で座っている。
「此度はどのような用向きかな?」
使者が一礼した。
「織田家より、婚姻の申し入れにございます」
俺は眉を上げた。
「婚姻……?」
「はい」
使者が続ける。
「斎藤家の姫君、帰蝶様を、織田家へ迎えたいとの申し出にございます」
――帰蝶。
俺は黙った。
歴史を知る俺にとって、その名が持つ意味は大きい。
後に濃姫と呼ばれる女性。
そして、その嫁ぎ先は――織田信長。
だが、この時点で誰も「信長」とは口にしない。
俺は道三を見る。
道三はしばらく黙っていた。
「条件は?」
「細かな条件につきましては、後日改めて」
「そうか」
道三は使者を下がらせた。
部屋に沈黙が落ちる。
「殿」
「何だ?」
「先程の婚姻の件、お受けになるおつもりですか?」
道三は笑った。
「どう思う?」
「戦をしている相手からの縁談です」
「だからこそ、だ」
道三の目が鋭くなる。
「戦だけが、国と国を結ぶ手段ではない」
「……婚姻による同盟もまた結ぶ手段、ですね。」
「そういうことだ」
俺は考え込む。
織田と斎藤。
今まで敵として向き合ってきた二家が、婚姻によって結びつく。
もし成立すれば、美濃と尾張の関係は大きく変わる。
だが――。
「父上!」
突然、大きな声で入ってきたのは、
斎藤高政だった。
「この話、聞きましたぞ!」
道三は眉を動かす。
「聞いたか」
「なぜ、織田などに帰蝶を嫁がせるのです!」
高政の声には明らかな怒気があった。
「織田は小豆坂で戦をしたばかりではありませんか!」
「だからこそだ」
「何が、だからこそなのです!」
高政が詰め寄る。
「織田は我らの敵です!」
「敵だからこそ、婚姻の意味がある」
「私は反対です!」
高政は言い切った。
「帰蝶を敵国へ嫁がせるなど、到底認められませぬ!」
道三の表情が変わる。
「高政」
「はい」
「これは帰蝶一人の問題ではない」
「……」
「斎藤家の未来に関わる話だ」
高政は拳を握った。
「それでも私は反対です」
俺は二人を見つめていた。
――始まった。
史実でも、高政と道三の関係は後に大きく揺らぐ。
だが、この世界では俺が知る歴史とは違う。
それでも。
父と子の間には、少しずつ亀裂が生まれている。
「十兵衛」
突然、道三が俺を見る。
「お主はどう思う?」
「私ですか?」
「ああ」
俺は答えに迷った。
帰蝶の婚姻。
これは単なる政略結婚ではない。
織田信長との縁。
その先に待つ歴史。
俺の知る本能寺へと続く道。
だが――。
この世界では、すでに歴史は変わり始めている。
「……私は」
俺は静かに口を開いた。
「帰蝶様ご本人のお考えを、まず聞くべきかと」
道三が目を細めた。
高政も黙る。
「政略のための婚姻であろうとも、嫁ぐのは帰蝶様です」
俺は二人を見据えた。
「ご本人の意思を無視して決めるべきではないと思います」
しばしの沈黙。
やがて道三が笑った。
「なるほどな」
「父上!」
「高政」
道三は息子を見る。
「お前も一度、帰蝶と話してみるがよい」
「……」
「儂の話など恐らくは聞かぬであろうから。
十兵衛、そちが聞いてくれぬか?」
俺は小さく息を吐いた。
こうして――。
織田家から持ち込まれた一つの縁談は、斎藤家の中に新たな火種を生むことになった。
敵か。
それとも同盟相手か。
そして帰蝶は――。
どのような道を選ぶのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。




