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第6話 今日は何があった?

「こんばんはー! なるです!」

いつもの時間、いつもの挨拶で配信が始まった。

コメント欄には「こんばんは」「今日も来たよ」と見慣れた名前が並び、その中には最近よく来るようになった人や、コメントは少ないけれど毎日のように名前を見かける人もいる。

イベントがあるわけでもないし、今日は朗読をする予定もない。

本当に、いつもの夜だった。

「でね、今日は……」

そこまで言って、なるが止まった。

何を話そうとしていたのか忘れたわけではない。そもそも、話そうと思っていたことが何もなかったのだ。

「……今日、何もなかった」

コメント欄が一斉に笑いで埋まった。

「いや、本当に何もなかったの! 朝起きて、ご飯食べて、レッスン行って、帰ってきて、ご飯食べて……今!」

平和でいいじゃないかと言われても、なるとしては困ってしまう。いつもならレッスンでの失敗や、街で見かけたもの、最近観た映画など、何かしら話題があった。

ところが今日は、本当に思いつかない。

「どうしよう。配信終わる?」

まだ始まって数分だと突っ込まれ、なるは笑った。

「だって話すことないんだもん!」

雑談すればいいと言われても、その雑談の話題がないのだから仕方がない。

頬杖をついて流れていくコメントを眺めていたなるは、ふと思いついたように顔を上げた。

「じゃあさ、今日はみんなの話聞こうかな」

少しだけカメラに近づく。

「みんな、今日はどんなことがあった?」

最初は「別に何もない」「仕事だった」くらいの返事だった。

けれど、なるが一つひとつ拾っていくうちに、少しずついろいろな話が出てきた。

仕事でミスをして上司に怒られた人には「じゃあ今日はここでゆっくりしていって」と声をかけ、夕飯にカレーを食べたという話からは、なぜかカレーに入れる肉は何が一番かという話にまで広がった。

残業だった人もいれば、犬の散歩をしてきた人もいる。好きな人と少しだけ話せたという報告には「それ詳しく!」となるが身を乗り出し、何もなかったという人を見つければ「仲間だね」と笑った。

そんな中、一つのコメントになるの目が止まった。

『今日誕生日』

「えっ!? 今日!?」

本当だと返事が来ると、なるは「先に言ってよ!」と驚いたが、聞かれなかったからと言われて言葉に詰まった。

「それは……そうだけど!」

せっかくだからみんなで祝おうということになり、なるの「せーの!」を合図に、コメント欄がお祝いの言葉と絵文字でいっぱいになる。

文字なのに「せーの」は必要なのかと突っ込まれながらも、なるは満足そうだった。

その後も、みんなの一日の話は続いた。

中には、子どもが今日初めて歩いたという人までいた。

「えっ、すごい! 今日が初めてだったの?」

画面の向こうにいる人たちは、普段は名前とコメントでしか分からない。

けれど当然、その一人ひとりに生活がある。

仕事をしている人がいて、家族と暮らしている人がいて、恋をしている人がいる。

今日は嬉しかった人もいれば、嫌なことがあった人もいるし、本当になると同じように何もなかった人だっている。

そんな話を聞いているうちに、なるは自分のことをほとんど話していないことに気づいた。

それなのに時計を見ると、いつの間にかかなり時間が経っていた。

「あれ? もうこんな時間?」

今日はなるが全然喋っていない、とコメントで笑われる。

「喋ってるよ!」

ほとんど質問しているだけだと言われて、なる自身も笑ってしまった。

「確かに。今日ずっとみんなの話聞いてるね」

でも、不思議と退屈ではなかった。

むしろ、いつもより時間が早く過ぎたような気さえする。

そこでなるは、もう一つ気になったことを聞いてみた。

「そういえば、みんな普段何してからここに来てるの?」

仕事を終えて夕飯を食べてから来る人、家事を全部済ませてからスマホを開く人、夕飯を食べながら見ている人もいれば、夜勤へ行く前の短い時間だけ立ち寄る人もいた。

寝る前に見るのが習慣になっているという人もいる。

そして、流れてきた一つのコメントになるの視線が止まった。

『毎日この時間になると、そろそろなる始まるなって思う』

「……え?」

なるは思わず読み直した。

「私の配信って、みんなの予定に入ってるの?」

それをきっかけに、「日課になってる」「寝る前のルーティン」「だいたいこの時間は空けてる」といったコメントが次々と流れてきた。

なるは少し照れくさそうに笑う。

「なんかそれ、嬉しいけど……ちょっと責任重大じゃない?」

もちろん、配信のために無理をする必要はないし、休む時はちゃんと休めと逆に注意されてしまった。

「分かってるよ」

そう答えながらも、なるはなんだか嬉しかった。

みんなには、それぞれの生活がある。

仕事をして、ご飯を食べて、お風呂に入って、家事をして、家族と過ごす。

そんな毎日の中に「なるの配信を見る」という時間が、ほんの少しだけ入っている。

配信を始めた頃には、考えたこともなかった。

その時だった。

『久しぶりー』

流れてきた名前を見て、なるは「あっ!」と声を上げた。

最近しばらく見かけていなかったリスナーだった。

「久しぶり! どうしてたの?」

仕事が忙しくて、なかなか配信を見に来られなかったらしい。

「そうだったんだ。元気だった?」

元気だったという返事を見て、なるは自然に笑った。

「そっか。おかえりー」

『ただいま』

その言葉を見た瞬間、なるは少しだけ黙った。

何かがおかしいわけではない。

ただ、自分が今口にした言葉と、返ってきた言葉が妙に心に残った。

「……今、私『おかえり』って言ったよね?」

もちろん言った、とみんなが返してくる。

「で、『ただいま』って返ってきたよね?」

本人からも、そうだけど、と返ってきた。

なるは少し考えてから笑った。

「なんか……家みたいだね」

すると、誰かが「なるの家」と書き込み、別の誰かが「俺らここに住んでるから」と続けた。

「勝手に住まないで!」

コメント欄が笑いで埋まる。

なるも一緒になって笑った。

でも、心の中にはさっきの「おかえり」と「ただいま」が残っていた。

最初は、誰かに自分を知ってもらうために始めた配信だった。

俳優になるために、人前で話す練習になればいい。事務所に勧められて、よく分からないまま始めた場所だった。

それがいつの間にか、仕事を終えた誰かが立ち寄る場所になり、寝る前に顔を出す場所になった。

しばらく来られなかった人に「おかえり」と言える場所にもなっていた。

そしてきっと、なる自身にとっても同じだった。

毎日決まった時間が近づくと、そろそろ配信だと思う。

スマホを準備して、カメラを確認して、配信開始のボタンを押す。

画面の向こうから「こんばんは」と返ってくる。

いつの間にか、それがなる自身の一日の一部にもなっていた。

「……なんかいいね」

何が、と聞かれたけれど、なるは「何でもない」と笑った。

しばらくして、いつもの配信終了の時間になった。

「じゃあ、そろそろ終わろうかな」

明日も仕事だという人に「頑張ってね。でも無理しないでね」と声をかけると、なるもレッスンを頑張れと返ってきた。

「ありがとう」

なるは画面に向かって手を振る。

「じゃあ、また明日ね」

『また明日』

その言葉をきっかけに、「おやすみ」「また明日」「明日も仕事終わったら来る」と、いつもの挨拶が流れていく。

「うん、待ってるね。おやすみなさい!」

配信終了のボタンを押すと、さっきまで賑やかだった部屋が急に静かになった。

なるはスマホを置きながら、小さく呟く。

「……また明日、か」

特別なことは何もなかった。

イベントもなければ、朗読もしなかった。誰かと揉めたわけでもなく、新しいことに挑戦したわけでもない。

なる自身には、配信で話すような出来事さえなかった一日だった。

でも、画面の向こうにはたくさんの一日があった。

仕事で怒られた人がいて、カレーを食べた人がいて、誕生日を迎えた人がいる。好きな人と話せた人もいれば、子どもが初めて歩いた人もいた。

そして、そのどれにも当てはまらない、本当に何もなかった人もいる。

みんな別々の場所で、別々の一日を過ごしている。

その一日の終わりに、少しだけ同じ場所へ集まって話をする。

明日もきっと、それぞれ違う一日を過ごすのだろう。

そして夜になれば、また誰かがここへやってくる。

「じゃあ、私も明日頑張ろ」

なるはそう言って立ち上がった。

今日は何もなかった。

でも、何もない日も悪くない。

明日になったら、またみんなに聞いてみよう。

「今日は、どんなことがあった?」

そんなことを思えた夜だった。

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