第5話 悔しいから、もう一度
「それでは今日は、朗読から始めたいと思います!」
なるがそう言うと、コメント欄に拍手の絵文字が並んだ。
最近、なるのルームでは青空文庫の作品を使った朗読がちょっとした恒例になっていた。
最初に挑戦した時は緊張で声が硬くなっていたが、回数を重ねるうちに少しずつ慣れてきた。作品を選ぶ時間も好きになり、同じ文章でも読み方一つで印象が変わることも面白かった。
何より、俳優を目指している自分にとって、演じることにつながっている気がした。
「じゃあ、読みます」
一度息を整え、なるは物語の世界へ入っていった。
登場人物の気持ちを想像し、悲しい場面では声を落とし、楽しい場面では少し弾ませる。会話では人物によって声色もわずかに変えてみる。
読み終える頃には、いつものようにコメント欄が静かになっていた。
最後の一文を読み終え、なるはゆっくり顔を上げる。
「……ありがとうございました」
すぐにコメントが流れ始めた。
『今日も良かった!』
『前より上手くなってるよね』
『聞き入ってた』
『なるちゃんの朗読好き』
「ほんと? ありがとう!」
嬉しそうに笑いながらコメントを追っていると、見慣れない名前が目に入った。
初めて見るリスナーだった。
その人が、コメントを一つ残した。
『なんだ、たいして上手くないじゃん。まぁ上手かったらもう売れてるかwww』
なるの笑顔が、一瞬止まった。
ほんの数秒だった。
「……そっか」
何か返さなければと思った。
配信中なのだ。
黙っているわけにはいかない。
なるは少しだけ無理をして笑った。
「じゃあ、もっと上手くなれるように頑張るね」
それで終わらせるつもりだった。
けれど、ほかのリスナーたちはそうではなかった。
『だったら来るなよ』
『わざわざそんなこと言う必要ある?』
『他に上手い人いるなら、そっち行けば?』
『初見でそれは失礼だろ』
コメント欄の空気が一気に変わってしまった。
「待って待って、みんな」
なるが慌てて止める。
「大丈夫だから。ね?」
『でも腹立つ』
『気にしなくていいよ、なるちゃん』
「うん。ありがとう」
なるは頷いた。
問題のコメントを書いたリスナーから、それ以上の言葉はなかった。
しばらくして名前を確認すると、もうルームからいなくなっていた。
「もういなくなっちゃったみたいだから、この話は終わり!」
なるは努めて明るく言った。
『気にするなよ』
『なるちゃんは上手いよ』
『俺は好きだからまた朗読して』
「うん、するする!」
笑って答えた。
その後もいつものように雑談をして、みんなと笑い、最後には「おやすみなさい」と手を振った。
配信終了のボタンを押す。
画面が暗くなる。
その瞬間、なるの笑顔も消えた。
「……たいして上手くない、か」
気にしない。
そう決めたはずだった。
たった一人の言葉だ。
いつものみんなは褒めてくれた。
それなのに、なぜかその一言だけが頭に残っている。
『上手かったらもう売れてるかwww』
「……悔しいな」
ぽつりと口にした。
腹が立つ、とは少し違った。
言い返したいわけでもない。
ただ、悔しかった。
もし本当に、自分の朗読を初めて聞いた人がそう感じたのだとしたら。
「私がもっと上手かったら……」
そこまで言って、なるは首を振った。
考えても仕方がない。
上手くなればいい。
そう思った。
ところが――。
「……どうやったら?」
答えが出なかった。
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それからも、なるは朗読を続けた。
発声を意識してみたり、読む速さを変えてみたり、間の取り方を考えてみたりした。
演技のレッスンで教わったことも思い出した。
けれど、自分では何が変わったのかよく分からない。
リスナーは相変わらず褒めてくれる。
『今日も良かったよ』
『上手いよ』
嬉しい。
もちろん嬉しいのだが、あの日から、なるの中に小さな疑問が生まれていた。
――いつも来てくれるみんなだから、褒めてくれているんじゃないかな。
そんなことを考える自分も嫌だった。
みんなの言葉を疑いたいわけではない。
それでも、一度刺さった言葉はなかなか抜けなかった。
「もっと上手くなりたいなぁ……」
答えが見つからないまま、何日かが過ぎた。
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ある日の夜。
なるは何となく動画サイトを眺めていた。
映画の予告、俳優のインタビュー、演技についての動画。
次々と見ているうちに、一つの朗読劇の映像が目に留まった。
「朗読劇……?」
何気なく再生する。
最初は、自分が配信でやっている朗読と同じようなものだと思っていた。
しかし、すぐに違いに気づいた。
演者は、ただ台本を読んでいるわけではなかった。
驚いた場面では顔を上げ、誰かに語りかける場面では視線を動かす。手を差し出したり、身体を少し引いたり、姿勢を変えるだけで登場人物の気持ちが伝わってくる。
声だけではない。
表情も、視線も、手も、身体も使って物語を伝えている。
なるは画面に近づいた。
「……これだ」
声に出していた。
配信にはカメラがある。
自分は今まで「朗読だから」と、ほとんど文章だけを見ていた。
でも、見ている人には自分の姿も見えている。
だったら。
「私もやってみよう」
ただ読むのではなく、演じながら読む。
俳優を目指している自分だからこそできる朗読が、あるかもしれない。
なるは鏡の前で本を開いた。
声に合わせて手を動かしてみる。
「違うな……」
もう一度。
今度は視線を上げる。
「こっちの方がいいかも」
立ち上がってみる。
大きく動きすぎて、自分で笑ってしまった。
「これはやりすぎ!」
何度も試した。
手を動かすことに夢中になると声がおろそかになるし、文章を追いすぎると身体が止まる。
思ったより難しい。
それでも、不思議と楽しかった。
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数日後。
「今日は久しぶりに、がっつり朗読やります!」
なるはいつもより少しカメラを引いていた。
『お、朗読回』
『待ってました』
『今日は画角違う?』
「気づいた?」
なるはニヤッと笑った。
「今日はちょっと、新しいことやってみます」
『新しいこと?』
「それは見てのお楽しみ!」
作品を開き、なるは立ち上がった。
一度、大きく息を吸う。
「それでは――始めます」
朗読が始まった。
最初は静かに。
しかし物語が動き始めると、なるも動いた。
登場人物が誰かを呼ぶ場面では、その相手が本当にそこにいるかのように視線を向ける。
驚けば身体をわずかに引き、何かを求める場面では手を伸ばす。
悲しい言葉ではうつむき、決意する場面では顔を上げた。
不思議だった。
身体を動かすと、声まで変わる。
手を伸ばせば、本当に誰かに届いてほしいと思えた。
うつむけば、自然と声に寂しさが混じった。
今まで「ここは悲しそうに読もう」と頭で考えていた感情が、身体を動かすことで自然に出てくる。
――楽しい。
なる自身が物語の中へ入っていく。
コメントを見る余裕もなかった。
ただ、演じた。
そして最後の一文。
なるはしばらく動かなかった。
余韻を残し、ゆっくり顔を上げる。
「……ありがとうございました」
一瞬の静寂。
そして、コメント欄が一気に動いた。
『すごっ!』
『めちゃくちゃ良くなってる!』
『朗読っていうかお芝居みたいだった』
『表情すごかった』
『今日の好き!』
『なるちゃん、これ続けようよ!』
なるは目を丸くした。
「ほんと!?」
『前より感情伝わってきた』
『声も良くなってた気がする』
「やったぁ!」
思わず両手を上げる。
その時だった。
流れていくコメントの中に、見覚えのある名前があった。
なるの動きが止まった。
忘れるはずがない。
あの日、
『たいして上手くない』
と書いた、あのリスナーだった。
いつからいたのだろう。
入室したことにも気づかなかった。
ずっとコメントせずに聞いていたらしい。
そして、その人から一言だけ流れた。
『良くなったじゃん』
なるは画面を見つめた。
ほんの短い言葉だった。
謝ってくれたわけでもない。
褒めちぎっているわけでもない。
相変わらず、ちょっと上から目線だ。
「……ありがとうございます」
なるは平静を装って答えた。
でも。
心の中では――。
「よっしゃ!」
思いっきりガッツポーズをしていた。
悔しかった。
ずっと悔しかった。
気にしないふりをしていたけれど、本当は見返したかったのかもしれない。
でも、今なら少しだけ分かる。
あの日の言葉が正しかったかどうかなんて、もうどうでもいい。
大切なのは、悔しかったから考えたこと。
考えたから探したこと。
探したから、新しいやり方を見つけられたこと。
『また来るわ』
そのリスナーがコメントした。
「はい。また来てください」
なるは笑った。
『今度は文句言わせないから!とか言えば?』
いつものリスナーが茶化す。
「言わないよ!」
『でも嬉しそう(笑)』
「べ、別に!」
『顔に出てる』
「出てない!」
笑い声の代わりに、コメントが一斉に流れていく。
なるも笑った。
アンチコメントなんて、ない方がいい。
傷つかない方がいいに決まっている。
これから先、どんな言葉でも前向きに受け止められるとは限らない。
それでも今回は、悔しさを一つ前へ進む力に変えることができた。
なるはカメラの向こうのみんなを見ながら思う。
もっと上手くなりたい。
朗読も。
芝居も。
そしていつか――。
初めて自分を見る人にも、
「この子の芝居、いいな」
そう思ってもらえる俳優になりたい。
「よし!」
なるは両手を叩いた。
「次は何読もうか?」
コメント欄に、たくさんの作品名が流れ始める。
なるは笑いながら、その一つひとつを追いかけた。
少し前まで胸に刺さっていたあの一言は、もう痛くなかった。
代わりにそこには、
もっと上手くなりたいという、新しい気持ちが残っていた。




