第3話 届かなかった一歩
初めてのガチイベントは、残り数日となっていた。
現在の順位は五位。入賞できるのは三位までで、一度は四位まで上がったものの、その後は五位と六位を行ったり来たりしている。
少し前までのなるなら、順位が下がるたびに「もっと配信しなきゃ」と考えていただろう。
けれど今は、少し違う。
「ということで、今日はこの前の作戦会議で出たやつをやってみます」
配信開始早々、なるは少し緊張した顔で画面を見た。
「朗読です」
すぐにコメントが流れる。
『本当にやるんだ』
「やるよ! あれからちゃんと調べたんだからね」
『何読むの?』
「宮沢賢治の『よだかの星』です」
前回の作戦会議で出た案の中から、なるが選んだのは朗読だった。
ただ長く配信するのではなく、俳優を目指している自分だからこそできることをやってみたい。そう思って配信後に青空文庫について調べ、その中から『よだかの星』を選んだ。
作品を決めてからは、何度も声に出して読んでみた。
文字を間違えずに読むだけなら、それほど難しくない。
けれど、俳優を目指していると言っている以上、ただ文章を読み上げるだけでは何となく悔しい。どこで間を取るのか、どんな速さで読むのか、どのくらい感情を乗せればいいのか。考え始めると、正解が分からなくなった。
「めちゃくちゃ緊張してるんだけど」
『舞台じゃないぞ』
「分かってるよ。でも、俳優目指してますって言ってる人が朗読して、すっごい下手だったら恥ずかしいじゃん」
『自分でハードル上げてる』
「今それ言わないで!」
いつものやり取りをしているうちに、少しだけ肩の力が抜けた。
なるは一度深く息を吸った。
「じゃあ……読みます」
そこから、配信の空気が変わった。
普段の雑談とは違い、なるも画面に流れるコメントを追うのをやめ、目の前の文章に意識を向ける。
最初は緊張で少し声が硬かった。
それでも読み進めるうちに、なる自身も少しずつ物語の中へ入っていった。
文章の意味を考え、その場面を頭の中に浮かべながら、一つずつ言葉を声にしていく。
ところが、しばらくして気になった。
コメントが流れてこない。
いつもの配信なら、なるが何か言えば誰かが返してくれる。それなのに今は、画面が驚くほど静かだった。
――もしかして、つまらない?
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、途中で止めるわけにもいかない。
なるはそのまま読み続け、最後まで読み切った。
「……終わりです」
顔を上げる。
コメント欄はまだ静かだった。
「……どう?」
恐る恐る聞くと、待っていたようにコメントが流れ始めた。
『よかった』
『思ってたよりちゃんとしてた』
「思ってたよりって何!」
『声聴きやすい』
『途中から普通に聴き入ってた』
なるは少し驚いた。
「じゃあ、なんで誰もコメントしなかったの?」
『朗読中にコメントしても邪魔かなと思って』
『聞いてた』
「そういうことかぁ……」
なるは胸に手を当て、大きく息を吐いた。
「途中で誰もいなくなったのかと思った」
『いるよ』
『ちゃんと聞いてたよ』
「よかったぁ……」
配信前とは違う意味で力が抜け、なるは笑った。
さらにその日は、イベント一覧から初めて来た人もいた。
『初見です』
「あ、初めまして! なるです。ありがとうございます」
『朗読してたから来た』
「本当ですか?」
なるの声が少し弾んだ。
「今日初めてやったんです」
『普段も朗読してるのかと思った』
「してないです。俳優を目指してるので、練習にもなるかなと思って」
イベントのために始めた朗読をきっかけに、自分を知らなかった人が配信へ来てくれた。
それだけでも、やってみてよかったと思えた。
配信を終えたあと、なるはランキングを確認した。
「……あれ?」
順位は五位のままだった。
ポイントは増えている。
けれど、三位や四位との差が大きく縮まったわけではない。
朗読は褒めてもらえたし、初めて来てくれた人もいた。なる自身も、いつもの雑談とは違うことができたという手応えがあった。
だから、ほんの少し期待していた。
いい配信ができたら、その分だけ順位も上がるんじゃないか、と。
「……そんな簡単じゃないか」
なるはスマートフォンを置いた。
少し残念だった。
けれど、朗読をやったことを後悔しているわけではなかった。
翌日の配信でも、前日の朗読について話題になった。
『昨日の朗読よかったよ』
「ありがとう。めちゃくちゃ緊張したけどね」
『またやって』
「うん。イベント終わっても、たまにやってみようかな」
それは本心だった。
イベントのポイントには大きく結びつかなかったかもしれない。でも、朗読そのものは楽しかったし、自分の演技にも何か役立つような気がしている。
なるはそこで初めて、いい配信をすることと、イベントでポイントを集めることは、必ずしも同じではないのかもしれないと思った。
それでも、イベントを諦めたわけではない。
その翌日、順位が四位まで上がった。
「四位!」
ランキングを見た瞬間、なるは思わず声を上げた。
『来た』
『あと一つ』
「三位まで行きたい!」
前なら、ここで「もっと配信しなきゃ」と焦っていたかもしれない。
けれど今回は、疲れたら終わる。アルバイトがある日は無理をしない。配信できる時間に、自分のできることをする。
それでも順位は上がった。
「ランキングって難しいね。いっぱい配信したからって上がるわけでもないし、朗読が好評だったからって一気にポイント増えるわけでもないし」
『相手もいるからね』
「そうなんだよね。私たちだけのランキングじゃないんだもんね」
少しずつ、イベントの見え方も変わってきていた。
そして迎えた最終日。
なるの順位は四位だった。
三位との差はまだあるが、絶対に届かない数字にも見えない。
配信を始める前、なるはランキングをしばらく眺めてから、いつもの場所にスマートフォンを置いた。
そして配信開始のボタンを押す。
「こんばんは」
いつものように人が入ってくる。
何度も見た名前が並び始めると、なるは少し安心した。
「今日でイベント最後です」
『最終日』
『頑張ろう』
「うん」
なるは一度頷いてから、続けた。
「ここまで来たら、私、三位に入りたいです」
以前なら、そんなことを言うのは少し怖かったかもしれない。
応援してほしいと言えば、相手に何かを求めているような気がしてしまう。
けれど今は、自分の気持ちを隠すことも違うと思っていた。
「だから、最後まで一緒にお願いします」
『もちろん』
『行こう』
『目指せ三位』
「ありがとう。頑張ろう!」
イベントが始まった頃は、自分が頑張らなければいけないと思っていた。順位が下がれば配信時間を増やし、それでも下がれば自分のせいだと思った。
今は、自分ができることをする。
画面の向こうにいる人たちも、それぞれ自分のできる形で応援してくれる。
それでいいのだと思えるようになっていた。
ポイントが増えるたび、なるは名前を読み上げて「ありがとう」と伝えた。
三位との差が少しずつ縮まっていく。
「あとどのくらい?」
数字に詳しい人がコメントで教えてくれる。
「まだあるね……でも、最初より縮まってる」
『行ける』
「うん!」
初めて見る名前も入ってきた。
「あ、初めまして! なるです。今イベント最終日で、三位目指してます」
以前なら、初めて来た人にいきなりそんなことを言うのは遠慮したかもしれない。
でも今日は、素直に言えた。
「よかったら、少しだけでも見ていってください」
すると、いつも来てくれている人たちも新しく入った人へ挨拶をする。
『いらっしゃい』
『今四位です』
「私より説明早い!」
『配信者仕事して』
「してるよ!」
緊張しているはずなのに、いつものように笑える。
それが嬉しかった。
最後まで、いつもの配信でいたかった。
残り時間が少なくなってきた。
三位との差は、かなり縮まっている。
「もしかして……行ける?」
期待してしまう。
残り十分。
ポイントが入る。
「ありがとう!」
残り五分。
「あと少し……!」
コメント欄も、いつも以上の速さで流れていた。
なるは一つでも多く読もうとしながら、何度も「ありがとう」を繰り返した。
そして、イベント終了の時間になった。
画面に最終順位が表示される。
なるはすぐには何も言えなかった。
四位。
三位までが入賞だった。
本当に、あと一歩だった。
「……四位かぁ」
声にすると、急に悔しさが込み上げてきた。
あと少しだった。
最後まで差は縮まった。
もしかしたら届くかもしれないと思った。
でも、届かなかった。
コメント欄には次々に言葉が流れてくる。
『お疲れさま』
『惜しかった』
『よく頑張った』
『四位すごいよ』
なるはそれを見ながら、笑おうとした。
「みんな……ごめ――」
言いかけて、止まった。
少し前の配信で言われた言葉を思い出した。
謝ってもらうために応援しているわけじゃない。
一人でイベントをやっているわけじゃない。
なるは一度息を吸った。
「……ありがとう」
今度は、ちゃんと言えた。
「ごめんって言いそうになった。でも、違うね。みんな、本当にありがとう」
悔しくないわけではない。
むしろ、かなり悔しい。
だから、それも隠さなかった。
「でもさ、めっちゃ悔しい。三位入りたかった」
『うん』
『悔しいな』
『あとちょっとだった』
誰も「四位なんだから十分だよ」と、なるの悔しさを否定しなかった。
一緒に三位を目指したからこそ、一緒に悔しがってくれる。
それが嬉しかった。
「でも、私もっと頑張る。配信もそうだし、俳優も」
なるは少し考え、照れながら続けた。
「いつかさ、みんなが『この子、ずっと前から応援してたんだよ』って自慢できるくらいになりたい」
言ったあとで、自分でも少し恥ずかしくなった。
「……なんか、すごいこと言っちゃった」
すると、一つのコメントが流れた。
『もう自慢してるよ』
なるは、その言葉を見つめた。
ほんの数秒、言葉が出なかった。
まだ俳優として大きな仕事をしたわけでもないし、配信だって始めてそれほど長くない。そんな自分を、もう自慢していると言ってくれる人がいる。
「……うん。なる」
少しだけ声が震えた。
「じゃあ、もっと自慢できるようになります」
『期待してる』
『プレッシャー』
「どっちなの!」
いつもの空気が戻り、なるも笑った。
「四位は悔しい。でも、初めてのイベントがみんなと一緒で、本当によかった」
初めてのガチイベントは、三位には届かなかった。
それでも、ただ長く配信すればいいわけではないことを知った。みんなと考えて初めて朗読にも挑戦し、自分を知らなかった人がそれをきっかけに配信へ来てくれた。そして何より、順位が下がった時に「ごめん」と謝るのではなく、一緒に走ってくれた人たちへ「ありがとう」と言えるようになった。
三位には、一歩届かなかった。
けれど、その一歩を追いかけた時間の中で、なるは順位表には載らないものをいくつも手に入れていた。




