第2話 一緒に走る
配信を始めてから、なるの日常には一つの習慣が増えた。
夜になるとスマートフォンを準備して、いつもの場所に座る。
「こんばんは、なるです」
最初はその一言を口にするだけでも緊張していたのに、今では画面に見慣れた名前を見つけると、自然に言葉が続くようになっていた。
「あ、タクさんこんばんは。今日早いね」
『たまたま』
「いつも遅刻みたいな言い方してごめん」
『誰もそこまで言ってない』
「私が言ったの!」
そんなやり取りをしている間にも人が入ってくる。
「みさ姉こんばんは。ゆうちゃんもいらっしゃい」
『なる大好き!』
「はいはい、今日もありがとうございます」
『軽い!』
「毎日言われてるからね」
配信を始めたばかりの頃には、画面の向こうに一人来てくれるだけで緊張していた。それが今では、何度も来てくれる人の名前や話した内容を少しずつ覚え、それぞれのコメントの雰囲気まで何となく分かるようになっている。
まだ大きなルームではない。
それでも、なるにとっては毎日帰ってきたくなる場所になり始めていた。
そんなある日、配信アプリにイベントの案内が表示された。
「ねえ、これ何?」
配信中、なるは画面を見ながら首を傾げた。
『イベント』
「それは見れば分かる」
『じゃあ聞くな』
「そういうことじゃないの!」
イベントの説明を読むと、期間中にリスナーから贈られたギフトなどでポイントを集め、その合計で順位を競うらしい。
上位に入れば、アプリ内で紹介されたり、広告に掲載されたりする特典もある。
「へえ……ランキングなんだ」
なるは説明を読み進めた。
『出ないの?』
「私が?」
『せっかくだし』
「でも、こういうのやったことないよ」
『だからやるんじゃない?』
言われて、なるは少し考えた。
配信そのものだって、最初はやったことがなかった。
事務所から勧められ、とりあえず始めてみた。それが今では毎日のように続いている。
イベントも同じなのかもしれない。
「……やってみようかな」
『やろう』
『応援するよ』
『初イベント』
コメントが次々に流れてきた。
なるは少し不安だったが、それ以上に興味が湧いてきた。
「じゃあ……出てみます!」
こうして、なるにとって初めての本格的なランキングイベントへの参加が決まった。
始まってみると、それまでの配信とは空気が少し違った。
画面には常に順位が表示される。
五位。
「今、五位だって!」
『まだ始まったばっかり』
「でも五位だよ!」
上位に自分の名前があるだけで嬉しかった。
イベントに参加しているという実感もある。
いつものコメントに混じってギフトが飛んでくるたび、なるは驚いて名前を読み上げた。
「えっ、タクさんありがとう! ゆうちゃんも! ちょっと待って、ちゃんと読むから!」
『落ち着け』
「だっていっぱい来るんだもん!」
順位が五位から四位に上がった時には、思わず両手を叩いた。
「四位! 上がった!」
『おお』
『あと一つ』
「三位まで行けたらすごいね!」
最初は、純粋に楽しかった。
みんなで同じ数字を見て、上がれば喜ぶ。知らない人がイベント一覧から入ってきてくれることもあり、普段とは違う人たちと話す機会も増えた。
なる自身も、いつもより配信時間を増やした。
朝に少し。
アルバイトへ行く前に少し。
帰ってきてから夜の配信。
「イベント中だし、できるだけ配信した方がいいよね」
そう考えた。
自分が頑張れば、その分だけ順位も上がるかもしれない。
ところが数日後。
順位が五位に落ちた。
「……あ」
ランキングを確認したなるの表情が曇った。
昨日まで四位だったのに、一つ下がっている。
『まだ期間あるよ』
「うん」
そう答えながらも、なるは気になった。
もう少し配信した方がいいのかな。
翌日は、いつもより早い時間から配信を始めた。
「今日は長めにやります!」
『バイトは?』
「今日は休み!」
『じゃあ休めよ』
「休みだから配信できるんじゃん」
『そういう意味じゃない』
なるは笑って流した。
一時間。
二時間。
少し休憩して、また配信する。
いつもなら話すことがなくなれば終わるところを、イベント期間中だからと続けた。
順位は一度四位へ戻った。
「よし!」
その瞬間は嬉しかった。
でも、翌朝にはまた五位になっていた。
さらにその次の日には六位。
なるはランキングを開くたびに落ち着かなくなっていった。
「六位になっちゃった……」
『まだ終わってないよ』
「でも昨日五位だったじゃん」
『上も頑張ってるからね』
「そうだよね……」
イベントに出ているのは自分だけではない。
ほかの配信者も配信をして、応援してもらっている。当然のことなのに、順位が下がると自分が何か失敗したような気持ちになった。
「今日、もう一枠やろうかな」
『もう結構やったでしょ』
「でも六位だし」
『なる、疲れてない?』
「大丈夫だよ」
そう答えた直後、なるは小さくあくびをした。
コメント欄がすぐに反応する。
『大丈夫じゃないじゃん』
「今のは違う!」
『何が違うの』
「たまたま!」
『寝なさい』
「みさ姉がお母さんみたいになってる」
『お姉さんです』
「そこ重要なんだ」
笑いながら返したものの、なるは配信を終わらせなかった。
もう少し。
あと少し。
自分が配信していない間にも、ほかの人のポイントは増えているかもしれない。
そんなことを考えるようになっていた。
そして翌日、順位はまた五位に戻った。
本来なら喜ぶところだった。
けれど、なるはランキングを見て、ほっと息を吐いただけだった。
その日の夜。
「こんばんは」
配信を始めると、いつもの人たちがやってきた。
『こんばんは』
『今日もお疲れ』
『ちゃんと寝た?』
「寝ました」
『何時間?』
「……それ聞く?」
『聞く』
なるは少し目を逸らした。
「五時間くらい」
『少ない』
「普通じゃない?」
『普通じゃない』
「みんな厳しいなぁ」
冗談っぽく笑ったものの、コメント欄の空気はいつもと少し違った。
タクさんからコメントが来た。
『なる、ちょっと頑張りすぎじゃない?』
なるは画面を見た。
「でも、イベントだから」
『イベントだから倒れていいわけじゃないでしょ』
みさ姉も続いた。
「倒れるほどじゃないよ」
『そういう人が倒れるんだよ』
「みさ姉、心配しすぎ」
『心配するよ』
その言葉に、なるは少し黙った。
イベントに出ると決めたのは自分だ。
みんなも応援すると言ってくれた。
だから、自分が一番頑張らなければいけないと思っていた。
「でもさ、私が配信しないとポイント入らないじゃん」
『だからってずっとやるの?』
「ずっとじゃないけど……」
『なるが楽しくなさそうなら意味ないよ』
そのコメントに、なるは一瞬言葉を失った。
「私、楽しくなさそう?」
『最初より順位ばっかり見てる』
言われて、なるはランキング表示を見た。
確かに、最近は何度も確認している。
誰かがコメントしてくれても、順位が動いたことの方に気を取られることさえあった。
『四位になった時はめっちゃ楽しそうだった』
『今は五位でも悔しそう』
「……だって、一回四位になったから」
『じゃあ三位になったら今度は二位じゃない?』
「それは……」
言い返せなかった。
上を目指すことが悪いわけではない。
せっかく参加するなら、一つでも上へ行きたい。その気持ちは今も変わらない。
でも、いつの間にか「上がったら嬉しい」より「下がったら申し訳ない」の方が大きくなっていた。
なるは少し迷ったあと、口を開いた。
「なんか……ごめんね」
すぐにコメントが返ってきた。
『何が?』
「みんな応援してくれてるのに順位落ちたりして」
コメント欄が一瞬止まった。
そして、タクさんが書き込んだ。
『それは違うんじゃない?』
「違う?」
『俺ら、謝ってもらうために応援してるわけじゃないよ』
なるは黙ってそのコメントを読んだ。
別の人も続いた。
『応援したいからしてるだけ』
『順位下がったからってなるが謝るのおかしい』
『そもそも俺らのポイントでもあるし』
「でも……」
『なる一人でイベントやってるわけじゃないでしょ』
その一言が、胸に残った。
なる一人でやっているわけではない。
配信するのはなるだ。
でも、コメントをしてくれる人がいる。
ギフトを送ってくれる人がいる。
ランキングを見て、一緒に喜んだり悔しがったりしてくれる人がいる。
「……そっか」
なるは画面を見ながら、小さく頷いた。
「私、自分が頑張らなきゃって思ってた」
『頑張るのはいいけどね』
『頑張りすぎるなってこと』
「難しいなぁ」
『そこは勉強』
「配信って勉強すること多すぎない?」
笑いが戻ってきた。
なるも少し笑った。
それから、ふと思いついた。
「じゃあさ、みんなだったらどうする?」
『何を?』
「このイベント。どうしたらもっと上に行けると思う?」
今までは、自分が配信時間を増やせばいいと思っていた。
でも、それだけではないのかもしれない。
「私一人で考えてても分かんないからさ。みんなの意見聞きたい」
すると、コメント欄が急に活発になった。
『時間決めて配信した方が集まりやすいんじゃない?』
『告知もっとした方がいい』
『初見さんが来た時に何のイベントか分かるようにするとか』
『企画やろう』
「企画?」
『いつもと違うこと』
「何すればいいの?」
『歌』
「無理」
即答した。
『早い』
「歌は無理!」
『じゃあ料理』
「配信しながら?」
『焦がしそう』
「自分で言っといて!」
いろいろな案が出た。
できそうなもの。
難しそうなもの。
どう考えてもふざけているもの。
その中で、なるは一つずつ「それならできるかも」「それはちょっと無理」と答えていった。
『朗読は?』
そのコメントで、なるの目が止まった。
「朗読?」
『俳優目指してるんだし』
「……あ」
なるは少し考えた。
演技のレッスンでも台本は読む。
声に出して文章を読むこと自体は嫌いではない。
それに、自分が俳優を目指していることともつながる。
「それ、いいかも」
『青空文庫とかなら読める作品あるんじゃない?』
「青空文庫?」
知らない言葉に、なるが首を傾げる。
すると、すぐに説明してくれる人がいた。
著作権が切れた作品などをインターネットで読めるサービスで、配信で扱う場合には作品ごとの条件などをきちんと確認した方がいい、と教えてもらう。
「へえ……そんなのあるんだ」
なるはスマートフォンにメモした。
「ちょっと調べてみる」
『作戦会議っぽくなってきた』
「確かに」
なるは笑った。
「じゃあ今日、作戦会議にしようか」
そこから配信は、いつもの雑談とは少し違う時間になった。
何時に配信するか。
告知をどうするか。
初めて来た人にどう声をかけるか。
朗読をするなら、どんな作品がいいか。
なるが考え、みんなが意見を出す。
誰かの案に別の人が付け足し、なるが「それならできそう」と拾っていく。
順位はまだ五位だった。
三位までは遠い。
それでも、さっきまでランキングを見るたびに感じていた焦りは、少し薄れていた。
「なんか楽しくなってきた」
なるがそう言うと、
『それでいいんだよ』
と返ってきた。
「……うん」
イベントに参加したのは、なるだ。
でも、走っているのは一人ではない。
自分だけが頑張ればいいと思っていたし、順位が下がれば自分の責任だと思っていた。けれど、画面の向こうには、一緒に考えて、一緒に喜んで、一緒に悔しがってくれる人たちがいる。
だったら、自分一人で全部背負う必要はないのかもしれない。
「よし。じゃあ朗読、ちゃんと調べてみるね」
『決まり?』
「まだ決定じゃないよ。でも、やってみたい」
『何読む?』
「それも考えないとね」
『桃太郎』
「青空文庫の話どこ行ったの?」
『シンデレラ』
「なんで童話ばっかりなの!」
またコメント欄が賑やかになる。
なるは笑いながら、一つずつ拾っていった。
配信を始めた頃は、画面の向こうから言葉が届くことで話せるようになった。
今は、その言葉を借りながら、一人では思いつかなかったことまで考えられるようになっている。
「じゃあ、今日はここまでにしようかな」
時計を見る。
以前ならイベント中だからと、もう一時間続けようとしたかもしれない。
「今日はちゃんと寝ます」
『よろしい』
「みさ姉に許可もらいました」
『明日も五時間だったら怒るからね』
「はーい」
『返事が軽い』
「ちゃんと寝るって!」
なるは笑って手を振った。
「今日もありがとう。また明日。あと……作戦会議もありがとう」
『こちらこそ』
『頑張ろう』
『目指せ三位』
「うん。目指せ三位!」
配信を終了すると、なるはすぐにランキングを開きそうになり、指を止めた。
「……今日はいいか」
代わりに、配信中に書いたメモを見る。
告知。
配信時間。
初見さんへの声かけ。
そして、朗読。
なるはその横に大きく丸をつけた。
初めてのイベントで、なるはまだ上手な走り方を知らない。順位が上がれば嬉しくて、下がれば焦り、自分がもっと頑張らなければと空回りもする。
それでも今は、一つだけ分かっていた。
一人で走っているわけではない。
画面の向こうから聞こえてくる声と一緒に、なるはもう一度、三位を目指して走り始めた。




