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第18話 いない夜にも

「受かりました!」

その日の配信は、なるのそんな一言から始まった。

いつもなら「こんばんは」と挨拶をして、来てくれた人の名前を呼びながら少しずつ話を始める。けれど今日は、配信開始のボタンを押す前から言いたくて仕方がなかった。

「この前オーディション受けたって話したじゃん? あれ、受かりました!」

コメント欄が一気に動き始める。

おめでとう、やったじゃん、舞台か、と次々に言葉が流れていくのを見ながら、なるは何度も「ありがとう」と繰り返した。

今回受けたのは舞台のオーディションだった。

前回のように配信イベントを勝ち抜いて得た機会ではない。事務所からオーディションの話をもらい、他の役者たちと同じように審査を受け、自分の芝居を見てもらった。

その結果、役をもらえた。

「主要キャストっていうほど大きな役じゃないんだけどね。主人公の友達役。ちゃんと名前もあるし、台詞もあります」

そう説明する声が、いつもより少し弾んでいる。

初舞台でも名前のある役をもらった。けれど今回は、配信イベントの順位や特別枠ではなく、自分で受けたオーディションから舞台へつながった。

なるにとって、その違いは大きかった。

「オーディションで合格って連絡見た時、何回も見直しちゃった。『合格』って書いてあるよね? 私だよね? って」

ケンケンから、同姓同名ではないのかと茶化され、なるは「やめてよ! 急に不安になるでしょ!」と笑った。

嬉しかった。

ただ、その喜びと一緒に、一つだけみんなに伝えなければならないこともあった。

「それでね。ちょっとお知らせがあります」

なるが少し真面目な顔になると、コメント欄も自然と落ち着いた。

これから稽古が始まる。

最初のうちはまだいいが、本番が近づけば稽古の日数も時間も増えていく。バイトも以前より減らしているとはいえ、生活のために完全に辞めることはできない。

そうなると、一番難しくなるのが配信時間だった。

「だから、しばらく配信できない日が増えると思います。できても三十分とか二十分とか、本当にちょっとだけの日もあるかもしれない」

言いながら、なるは少し申し訳なさそうな顔になった。

毎日来てくれる人がいる。

この時間になると「そろそろなる始まるな」と思ってくれる人がいることも知っている。

だから、配信を減らすと伝えるのは思っていたより寂しかった。

けれど、コメント欄から返ってきた反応は、なるが心配していたものとは違った。

舞台を優先してほしい。せっかくつかんだ役なのだから稽古を頑張ってほしい。配信はできる時でいい。

そんな言葉が次々に届いた。

「……いいの?」

思わず聞いてしまった。

タクさんからは、そもそも俳優になるために頑張っているのだから当然だと言われ、みさ姉からは配信するために睡眠時間を削ることだけはしないよう念を押された。

「はい。みさ姉から睡眠の話が出ました」

もはや恒例になった注意に、なるは笑う。

「でも、本当にありがとう。舞台、頑張ってくるね」

そう言った時には、少しだけ肩の力が抜けていた。

翌週から稽古が始まった。

最初は読み合わせが中心だったが、立ち稽古に入ると覚えなければならないことが一気に増えた。台詞だけではない。どこから出て、どこへ動き、誰を見るのか。自分が話していない場面でも、役としてそこにいなければならない。

主人公の友達という役は、なるが最初に思っていたより出番があった。

物語の中心にいるわけではない。それでも主人公の日常を知る人物として、何度か会話の場面があり、短いながらも二人だけで話すシーンもあった。

嬉しい。

だからこそ、失敗したくなかった。

稽古が終わると、家へ帰る頃には身体も頭もすっかり疲れていた。

それでも最初のうちは、なるも配信を続けようとした。

「こんばんはー。今日は二十分だけね」

そんなふうに始め、本当に二十分ほど話す。

今日の稽古で初めて舞台の端から端まで走ったとか、共演者の芝居がすごくて見入ってしまったとか、話せる範囲で稽古場のことを伝えた。

短い配信でも、みんなは普通に来てくれた。

「顔見られたから十分」と言われれば、「私、生存確認されてる?」と笑った。

けれど、稽古が進むにつれて、その二十分さえ難しい日が増えていった。

帰宅して食事を済ませ、少しだけ横になったつもりが、そのまま眠ってしまう。

台本を確認していたら、気づけばいつもの配信時間をとっくに過ぎている。

「今日はごめんね。配信お休みします」

最初は毎回そう知らせていた。

そのうち、知らせる前に寝てしまう日も出てきた。

三日ほど配信がないこともあった。

以前なら、そんな自分に焦っていたかもしれない。

毎日配信しないと忘れられるんじゃないか。

せっかく来てくれる人が離れてしまうんじゃないか。

そんな不安を感じていたはずだった。

でも今は、まず舞台をやらなければならない。

自分が選んだことだった。

だから、なるは稽古場へ向かった。

---

配信のない夜。

素敵なるーむのファンサイトに、ぽつぽつと書き込みが増えていた。

最初は「今日はお休みかな」という程度だった。

そこから、今日も稽古なのだろう、ちゃんと食べているだろうか、疲れて寝ているならその方がいい、と自然に会話が続いていく。

みさ姉がなるの食事と睡眠を心配すると、ケンケンが「本人いないのにお母さんやってる」と茶化し、みさ姉から「誰がお母さんよ」と返される。

タクさんは、舞台が近づけば忙しくなるのは当然だから、次に配信があった時に元気ならそれでいいと書いていた。

まーくんも珍しく一言だけ残していた。

『頑張ってるんだろうな』

なるは、そのやり取りを知らなかった。

通知が来ても、稽古中なら見ることができない。

帰宅した頃には疲れ果て、通知をまとめて消してしまうこともあった。

素敵なるーむの配信は止まっていても、そこに集まった人たちまで消えていたわけではなかった。

---

その日の稽古は、朝からあまりうまくいかなかった。

主人公と二人で話す場面だった。

なるの役は、悩んでいる主人公を心配しながらも、あえて明るく振る舞おうとしている。

台詞そのものは、もう覚えていた。

立ち位置も分かっている。

それなのに、何度やっても演出が止まった。

「違う」

最初は短い指摘だった。

なるはもう一度やった。

また止まる。

少し芝居を変えてみる。

それでも違う。

何度目かで、演出家がなるを見た。

「なるさん、自分の台詞を言うことばっかり考えてない?」

胸を突かれたような気がした。

「……はい」

「相手の話、ちゃんと聞いて。君は台詞を言いにここへ来てるんじゃない。この子の友達として、話を聞いてるんだよ」

言われていることは分かった。

なるは頷き、もう一度場面の頭からやり直した。

主人公を見る。

話を聞く。

そのつもりだった。

けれど、自分の台詞が近づくと、頭のどこかで次の言葉を準備してしまう。

また止められた。

「何回同じこと言わせるの。ちゃんと考えてきて」

稽古場が静かになったように感じた。

実際には、次の場面の準備をする音も聞こえていたし、共演者たちもそれぞれ動いていた。

それでも、なるにはその言葉だけが残った。

「……すみません」

頭を下げた。

演出家が意地悪をしているわけではない。

無茶なことを言われているわけでもない。

むしろ、言われていることは自分でも分かる。

だから余計に悔しかった。

稽古が終わり、家へ帰ってからも気持ちは沈んだままだった。

シャワーを浴びて、簡単に食事を済ませる。

スマートフォンを見ると、いつもの配信時間が近づいていた。

「……どうしよう」

今日は配信できる日だった。

少なくとも、時間だけならある。

けれど、人と話す気分になれなかった。

配信を始めれば、いつものように笑わなければいけない気がする。

「今日は……休もうかな」

スマートフォンを伏せようとした。

その時、通知が一つ入った。

ファンサイトへの新しい書き込みだった。

何となく開いてみる。

そこには、今日も稽古なのかな、と書かれていた。

その下に別の人が、最近配信がないから少し寂しいけれど、舞台を頑張っているなら仕方ないと返している。

さらに少し遡ってみる。

『なる元気かな』

『今日も稽古じゃない?』

『無理して配信しなくていいけど、ちゃんと寝てるかは気になる』

『次来た時、元気ならそれでいいよ』

そんな言葉が並んでいた。

なるは指を止めた。

もっと遡る。

自分が配信していなかった夜にも、みんなはここに来ていた。

みさ姉が食事を心配し、ケンケンが茶化し、タクさんが舞台を優先すればいいと書いている。

まーくんの短い『頑張ってるんだろうな』という言葉もあった。

「……何これ」

小さく笑った。

胸の奥が、少しだけ温かくなった。

なるがいないところで、なるの話をしている。

心配してくれている。

配信しろとは誰も言っていない。

むしろ、無理しなくていいと書いてある。

「……ちょっとだけ、やろうかな」

さっきまで休もうと思っていた。

でも今は、少しだけみんなの顔――正確にはコメントだけれど――を見たくなった。

なるは配信アプリを開いた。

---

「こんばんは」

突然始まった配信だった。

事前の告知もしていない。

それでも、少し待つと一人、また一人と入ってきた。

「ごめんね、急に始めて」

タクさんが来た。

みさ姉も来た。

ケンケンも入ってきた。

見慣れた名前が少しずつ増えていく。

なるはそれを見ながら、最初に言った。

「心配させてごめんね」

すぐに、謝る必要はないという言葉が返ってきた。

タクさんからも、舞台を頑張っているのだから気にしなくていいと言われた。

みさ姉は、謝るより先にちゃんと食事をしたのかと聞いてくる。

「食べました。ちゃんと食べました」

なるが笑うと、ケンケンから『生存確認完了』と流れてきた。

「生存確認って何よ。私は珍しい動物か何か?」

少し笑った。

その笑いが、自分でも思っていたより自然だった。

誰かが、稽古は順調かと聞いた。

なるはコメントを見たまま、少し黙った。

いつもなら「頑張ってるよ」と答えたかもしれない。

でも今日は、そう言う気になれなかった。

「……今日、怒られた」

コメント欄の雰囲気が少し変わった。

なるは今日あったことを話した。

主人公との場面で何度も止められたこと。

自分の台詞を言うことばかり考えていると言われたこと。

何度やっても直せず、最後には「何回同じこと言わせるの」と叱られたこと。

話しながら、また少し悔しさが戻ってきた。

「でもね、演出さんが悪いわけじゃないの。言われてることは分かるから。たぶん私ができてないんだと思う」

だから余計に落ち込んだのだと、なるは正直に話した。

すると、みんなもすぐに「演出家が悪い」とは言わなかった。

あかりは、仕事でも怒られると、言われた内容より「怒られた」ということ自体が頭に残ってしまうことがあると言った。

なるは大きく頷いた。

「そう。それかも。何を直さなきゃいけないか考えなきゃいけないのに、『怒られた……』ってずっとなってた」

タクさんからは、今日できなかったなら明日またやればいいと言われた。

そして、しんさんからコメントが届いた。

『できると思われていなければ、何度も直そうとはしてくれないんじゃないですか』

なるはその言葉を声に出して読んだ。

「……できると思われてなかったら?」

しんさんは、できないままでいい人なら、そこまで繰り返し指導する必要もないのではないかと続けた。

それが演出家の本心かどうかは分からない。

でも、そう考えることもできる。

「そっか……」

なるは少しだけ表情を緩めた。

その時、みさ姉から「だから今日はもう寝なさい」と言われた。

「結局そこなの?」

思わず笑うと、ケンケンからも「最後全部睡眠で解決する」と突っ込みが入り、さっきまでの重さが少しずつ薄れていった。

誰か一人の言葉で急に元気になったわけではなかった。

怒られたことがなくなったわけでもないし、明日の稽古へ行けば、また同じ場面をやらなければならない。

それでも、みんなの言葉を一つずつ聞いているうちに、家へ帰ってきた時より少しだけ呼吸が楽になっていた。

「……なんかさ」

なるはコメント欄を眺めながら言った。

「今日、配信休もうと思ってたんだ」

みんなが聞いている。

「時間はあったんだけど、怒られたし、ちょっと落ち込んでたから……今日は誰とも話したくないなって思って」

でも、ファンサイトの通知が来た。

何となく開いた。

そこに、自分が配信していなかった間のみんなの書き込みがあった。

「なる元気かな、とか、頑張ってるかな、とか……みんな書いてたでしょ」

少し照れたように笑った。

「それ見たら、ちょっとだけ話したくなった」

なるは一度視線を落とし、それから画面を見た。

「みんながいてよかった」

しばらくコメント欄が温かい言葉で埋まった。

なるも少し目を潤ませながら、それを読んでいた。

そこへケンケンから一言。

『知ってた』

「……何を?」

『俺らのありがたみ』

なるの顔から感動が消えた。

「そういうこと言うと今の取り消すよ!」

笑いが起きた。

「せっかくいい話だったのに!」

でも、その笑いのおかげで涙は引っ込んだ。

時計を見る。

配信を始めて、ちょうど二十分ほどだった。

以前のなるなら、せっかくみんなが来てくれたのだから、もう少し話そうと思ったかもしれない。

けれど今日は違った。

「じゃあ、本当に今日はここまでにするね。明日も稽古だから」

まだ早いと言う人はいなかった。

頑張って。

無理しないで。

今日はちゃんと寝るんだよ。

おやすみ。

そんな言葉が流れる。

「うん。ありがとう。おやすみ。またね」

なるは手を振り、配信を終えた。

静かになった部屋で、しばらくスマートフォンを眺める。

配信を始める前とは、少しだけ気持ちが違っていた。

なるはテーブルに置いてあった台本を手に取った。

今日、何度も止められた場面を開く。

演出家の言葉を思い出す。

――君は台詞を言いにここへ来てるんじゃない。この子の友達として、話を聞いてるんだよ。

なるは自分の台詞ではなく、その一つ前にある主人公の台詞を読んだ。

そして、そのさらに前を読む。

主人公は何を考えているのだろう。

この言葉を聞いた友達は、何を感じるのだろう。

配信を始めたばかりの頃、なるは人の話を聞くことが苦手だった。

何を返そう。

次に何を話そう。

そんなことばかり考えていた。

でも毎日の配信の中で、少しずつ相手の言葉を受け取れるようになった。

芝居でも同じなのかもしれない。

自分が次に何を言うかではなく、まず相手が何を言ったのか。

なるは台本を見ながら、小さく息を吐いた。

「……明日、もう一回やってみよう」

すぐに上手くできるかは分からない。

また止められるかもしれない。

それでも、明日は今日とは少し違う芝居ができる気がした。

配信できない夜が増えても、みんなはいなくならなかった。

そして、なるがいない夜にも、素敵なるーむはちゃんとそこにあった。

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