第17話 おかえりなさいませ?
「なるちゃん、プレゼント届いてるよ」
事務所へ顔を出した時、スタッフからそう声をかけられた。
「プレゼント?」
一瞬、自分のことだと思わなかった。
スタッフが差し出したのは、なる宛ての小さな箱だった。舞台が終わってから手紙をもらうことは何度かあったけれど、事務所を通してきちんとした形でプレゼントが届いたのは初めてだった。
「えっ、誰からですか?」
「そこに名前書いてあるよ」
箱を受け取り、差出人を見る。そこに書かれていた名前を見た瞬間、なるは思わず声を上げた。
「ゆうちゃん!?」
スタッフにはもちろん、その名前だけでは誰なのか分からない。
「知ってる人?」
「いつも配信に来てくれる子です。私よりちょっと年下で……」
そこまで説明してから、なるは改めて箱を見つめた。
何だろう。お菓子だろうか、小物だろうか。それとも何か、俳優の仕事に使えそうなものだろうか。
少しわくわくしながら箱を開けると、中には綺麗に畳まれた黒と白の布が入っていた。
「……ん?」
取り出して広げてみる。白いフリルに黒いワンピース、エプロン、それに頭につけるカチューシャまで揃っている。
なるはしばらく無言でそれを眺めた。
「……メイド服?」
隣にいたスタッフが覗き込んで、楽しそうに笑った。
「いいじゃん。似合いそう」
「いやいやいや、何送ってきてんのよー!」
思わず箱へ向かって叫んでしまった。もちろん、ここにゆうちゃんはいない。
服と一緒に手紙が入っていたので開いてみると、いつも配信で見るコメントより少しだけ丁寧な文字で、初舞台お疲れさま、いつも配信を楽しませてもらっています、と書かれていた。
この服を見つけた時、絶対になるに似合うと思ったこと。嫌でなければ、いつか配信で着てほしいこと。
そして最後には、やっぱり書いてあった。
――なる大好き!
「最後までゆうちゃんだ……」
なるは思わず笑った。
スタッフもメイド服を手に取りながら、特に問題はなさそうだと言った。
「着てもいいんですか?」
「別にいいんじゃない? 配信でしょ?」
「事務所的にこういうのって……」
「なるちゃんが嫌じゃなければ。着るかどうかは自分で決めたら?」
あまりにもあっさりしている。むしろスタッフは面白がっているようにすら見えた。
「事務所ってもっと止めるものじゃないんですか?」
「止めてほしいの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
そこで言葉が止まった。
着たいのか。着たくないのか。
自分でもよく分からなかった。
恥ずかしい。それは間違いない。配信とはいえ、メイド服姿をみんなに見られるのである。
でも、もう一度服を見る。黒と白の組み合わせに少し大きめのリボン。思っていたような派手なものではなく、全体的に可愛らしいデザインだった。
「……可愛いんだよなぁ」
思わず漏れた。
スタッフが笑った。
「着たいんじゃん」
「まだ着るって言ってません!」
なるは慌てて服を箱へ戻した。
家に帰ってからも、その箱は妙に気になった。
テーブルの上に置いたまま夕食を食べていても、ふと視線がそちらへ向いてしまう。一度は部屋の隅へ移動させたものの、しばらくするとまた箱を開け、服を取り出して鏡の前で身体に合わせていた。
「……絶対みんな笑うよね」
そう呟きながら鏡を見る。
でも、似合わない気もしない。
「いや、何考えてるの私」
自分で自分に突っ込みながら、また服を畳んで箱へ戻した。
その夜の配信が始まった時も、メイド服はまだ箱の中だった。なるはいつもの服で画面の前に座り、少し雑談したところで、今日事務所にプレゼントが届いたことを話した。
「そう。初めてちゃんと事務所経由でプレゼント届いたの」
コメント欄がすぐに反応する。
なるは少し嬉しそうに話してから、わざと間を置いた。
「送り主も分かっています」
その瞬間まで静かだったゆうちゃんが、何食わぬ顔で『誰だろう』とコメントした。
「ゆうちゃんだよ! 何知らないふりしてるの!」
笑いが起きる中、ゆうちゃんは、ちゃんと届いてよかったと喜んでいた。
「届いたよ。届きましたけどね。なんでメイド服なのよ!」
そこまで言った途端、まだ何をもらったのか知らなかった人たちが一斉に食いついてきた。
なるは箱からメイド服を取り出してカメラへ見せる。
「これです」
案の定、着てほしいという声が次々と上がった。似合う、絶対似合う、せっかくもらったのだから一度くらい着てみればいいと好き勝手に言われ、送った本人であるゆうちゃんに至っては最初から着てもらう気満々だった。
「ゆうちゃんさ、自分が着るわけじゃないから簡単に言うよね? 恥ずかしいの私なんだからね」
そんなやり取りをしながら笑っていると、みさ姉から一つコメントが届いた。
『俳優になるなら、どんな衣装でも着こなせないとね』
なるの動きが止まった。
「……みさ姉。それ、ずるくない?」
コメント欄に笑いが広がった。みさ姉は別に無理に着なくてもいいと言っていたが、その言葉はなるの中に妙に残った。
俳優になれば、自分が普段選ばない服を着ることなどいくらでもあるだろう。制服かもしれないし、着物かもしれない。自分では絶対に買わないような派手な衣装を着る役だってある。
衣装を着て人前に立つことも、俳優の仕事の一つになる。
「……そう言われるとさぁ」
なるは手元のメイド服を見つめた。
それに、正直なところ、少し着てみたい。その気持ちがあることは、もう自分でも認めていた。
「分かった。着ます!」
コメント欄が一気に盛り上がる。
「ただし今日じゃないからね! 今すぐ着替えてこいとか言わないでよ。心の準備がいるんだから!」
結局、次の配信で着ると約束することになり、ゆうちゃんは誰よりも大喜びしていた。
「そんなに喜ぶ? まだ着てもいないのに」
『楽しみすぎる』
「ハードル上げないでよ」
なるは困ったように笑った。
翌日。
配信開始の時間になっても、画面にはまだ何も映っていなかった。
「……こんばんは」
音声だけが聞こえてくるいつもと違う始まり方に、コメント欄がすぐにざわつき始める。
なるはすでに着替えを済ませていた。鏡でも確認したし、思っていたより似合っている気はする。
ただ、自分で見るのと人に見せるのとでは話が違った。
「先に言っとくけどさ、笑った人、退出だからね」
画面が映ってもいないのに、すでに笑っているコメントが流れ始めた。
「まだ映してないでしょ! もう笑ってる人いるじゃん!」
それでも覚悟を決め、一度深く息を吐く。
「じゃあ……いくよ?」
カメラをオンにした。
黒いワンピースに白いエプロン、胸元にはリボン、頭には白いカチューシャ。いつもの部屋、いつもの椅子に、今日はメイド姿のなるが座っている。
ほんの数秒、コメント欄が止まったように見えた。
その直後、一気に文字が流れ始めた。
「速い速い! 読めないって!」
可愛い、似合う、思った通りだったと次々に言われ、なるは恥ずかしそうに笑いながらコメントを追いかけた。あかりからも素直に「可愛い」と褒められ、タクさんからもよく似合っていると言われる。
ケンケンだけは「これから毎日その格好で配信すればいい」と言い出した。
「ケンケンだけ退出!」
すぐに笑いが広がった。
「毎日は絶対やらないからね! 今日だけだから……いや、今日だけかどうかは分かんないけど、とにかく毎日はやらない!」
自分で余計なことを言った気がしたが、なるはそのまま押し切った。
みさ姉からは、ちゃんと着こなしているじゃない、と言われた。
「みさ姉が昨日あんなこと言うからでしょ。俳優ならどんな衣装でも、とか言われたら着るしかないじゃん」
そう返しながら笑っていたなるだったが、ふと一人だけ反応がないことに気づいた。
「あれ? ゆうちゃん?」
昨日あれだけ楽しみにしていたのだから、いないはずがない。配信開始前にも来ていたのを見ている。
「ゆうちゃん、見てる?」
少し間があって、ようやくコメントが流れた。
『送ってよかった』
「ほんと? よかった?」
なるが笑顔で返すと、また少し間が空いた。
『泣いてる』
「え? なんで泣くの!?」
思わず声が大きくなった。
ゆうちゃん自身、こんなに嬉しくなるとは思っていなかったらしい。お店で服を見つけた時になるに似合うと思い、買って事務所へ送ったものの、本当に届くのか少し心配だった。届いたとしても、着てもらえるかは分からない。それでもプレゼントなのだから、なるが嫌なら着なくてもいいと思っていた。
だからこそ今、自分が選んだ服をなるが本当に着て、いつもの画面の向こうに座っていることが、想像していた以上に嬉しかったのだという。
その気持ちを知るうちに、なるの笑顔も少しずつ変わっていった。
「……やめてよ。そんなこと言われたら、私まで泣きそうになるじゃん」
目元を指で軽く押さえると、本当に少しだけ涙が浮かんでいた。
たかが服と言えば、それまでなのかもしれない。でも、ゆうちゃんは店でこの服を見つけた時、自分のことを考えてくれた。
これなら似合うかな。
喜んでくれるかな。
そんなことを考えながら選んでくれた時間があったのだ。
なるは改めて、自分が着ている服を見下ろした。
「ゆうちゃん、ありがとう。恥ずかしかったけど……これ、結構可愛い。大事にするね」
少し照れながらスカートの端を軽く持ち上げてみせると、ゆうちゃんからすぐに『なる大好き!』と返ってきた。
「はいはい、知ってます」
いつものやり取りに戻ったことが、何だか妙に嬉しかった。
それからの配信は、すっかりいつもの素敵なるーむだった。
せっかくだからと少し立って全身を見せれば、また似合っているというコメントが増え、「もう十分見たでしょ!」と文句を言いながらも、なる自身、だんだん楽しくなってきていた。
最初は恥ずかしくて仕方なかったのに、みんなと話しているうちに衣装を着ていること自体を忘れそうになる。
ところが、そのうちコメント欄では別の盛り上がりが始まった。
次は自分が何か送る。
今度はこんな服を着てほしい。
そんな話が出始めたのである。
「待って待って、プレゼント大会じゃないから!」
なるが止めても、チャイナ服や着物、探偵風の衣装に学生服と、次々に候補が並んでいく。ゆうちゃんに至っては早くも第二弾を考えているらしく、なるは「ゆうちゃんは一回休み!」と笑いながら釘を刺した。
そこへ、たっちゃんから法被という案まで飛んできた。
「それは絶対たっちゃんの趣味でしょ! 私じゃなくてたっちゃんが着ればいいじゃん!」
ケンケンも何か提案しようとしていたが、普段の言動から嫌な予感しかしない。
「ケンケンは言わなくていい。絶対変なのだから」
まだ何も言っていないのに却下されたと抗議され、なるは「日頃の行いです」と言い切った。
それでもコメント欄では、あれが似合う、これも見てみたいと話が広がっていく。なるはしばらく笑いながら眺めていたが、とうとう両手を上げた。
「もう! たまに着るからいいんでしょ〜! 毎回コスプレしてたら普通になっちゃうじゃん!」
言った瞬間だった。
コメント欄の空気が変わった。
――たまになら着るんだ。
そんな意味のコメントが一斉に流れ始める。
なるは数秒遅れて、自分が何を言ったのか理解した。
「……あ」
そこを逃すような素敵なるーむではなかった。
次はいつだ、何を着るんだと盛り上がり始めるコメント欄を前に、なるは慌てて首を振った。
「違う違う! そういう意味じゃなくて! 勝手に次を決めないでよ!」
否定しながらも笑っていた。
嫌ではなかった。
むしろ、少し楽しかった。
箱を開けた時は、絶対に恥ずかしいと思った。昨夜も着るかどうか迷い、今日だってカメラをつける直前まで躊躇していた。
でも実際に着てみれば、思っていたほど大変なことではなかった。それどころか、普段とは少し違う自分になったようで面白い。
――俳優なら、どんな衣装でも着こなさないとね。
みさ姉に言われた言葉を思い出す。
今日のこれは俳優の仕事とは少し違うのかもしれない。それでも、自分なら絶対に選ばなかった服を着て、人に見てもらい、その姿でいつも通り話してみる。それも一つの経験にはなった気がした。
何より、なるにとって一番嬉しかったのは、メイド服が思っていたより似合ったことでも、みんなに可愛いと言ってもらえたことでもなかった。
自分が着たことで、ゆうちゃんがあんなに喜んでくれたことだった。
配信を終える時間が近づいた頃、なるは改めてゆうちゃんへ声をかけた。
「ゆうちゃん。本当にありがとうね。大事にするから」
今度は照れずに言えた。
すぐに『なる大好き』と返ってきたので、「今日何回目よ、それ」と笑う。
そのままいつものように「じゃあ、今日はこのへんで。みんな、また明日ね」と手を振り、配信終了のボタンへ手を伸ばした。
その直前、ケンケンから最後のコメントが飛んできた。
『おかえりなさいませ、ご主人様は?』
なるの手が止まった。
一瞬だけ真顔で画面を見たあと、思いきり首を振る。
「それは言わない!」
みんなの笑いを残したまま、配信は終わった。
急に静かになった部屋で、なるは椅子から立ち上がると、そのまま鏡の前へ向かった。
黒いワンピースに白いエプロン。いつもの自分なら、まず選ばない格好だった。
なるは鏡の前でスカートの端をつまみ、そのまま一度だけくるりと回ってみた。ふわりと広がった裾がゆっくり元へ戻るのを眺めているうちに、自然と笑みがこぼれる。
「……まあ、たまにはこういうのも悪くないか」
口にしてから急に恥ずかしくなり、鏡の中の自分から目を逸らした。
「……何やってんだろ、私」
誰も見ていない部屋で一人笑いながら、なるはもう一度だけ鏡を見た。
恥ずかしい気持ちは、まだ少し残っている。
でも今度この服を箱から出す時は、今日ほど迷わないような気がした。




