第16話 顔の向こう側
素敵なるーむにアバターができてから、少しずつ変わったことがあった。
最初に気づいたのはタクさんだった。
ある日の配信で、別のルームへ遊びに行ったら素敵なるーむのアバターを使っている人を見かけた、と教えてくれたのだ。
「えっ、本当に?」
なるは思わず画面へ顔を近づけた。
「誰だった?」
名前までは確認しなかったらしい。
ただ、小さな台本を抱えて星の髪飾りをつけた女の子がいた。それだけで、タクさんにはすぐに分かったという。
「すごい! 外にいたんだ!」
自分で言ってから、なるは笑った。
「外って何よ。アバターなんだから、そりゃ他のルームでも使えるんだけどさ」
それでも妙に嬉しかった。
自分たちのルームで生まれたものが、知らない場所を歩いている。
そんな感じがした。
それからというもの、似たような報告が増えていった。
ケンケンも別の配信で見かけたと言い、あかりはたまたま入ったルームで同じアバターが二人並んでいたと教えてくれた。
ハルに至っては、遠征先で見ていたアイドルの配信に素敵なるーむのアバターが現れたらしい。
「ちょっと待って。私のアバターで他の推し見に行ってるじゃん」
なるが抗議すると、ハルから「アバターに罪はない」と返ってきた。
「そういう問題じゃない!」
とは言ったものの、なる自身も笑っていた。
何より嬉しかったのは、アバターをきっかけに初めて素敵なるーむへ来てくれる人が現れたことだった。
ある夜、見慣れない名前が入ってきた。
なるがいつものように「こんばんは、初めましてかな?」と声をかけると、その人は少しして、アバターが可愛かったからもらいに来たのだと教えてくれた。
「えっ、アバターから来てくれたの?」
なるの声が一段高くなる。
「さくら! さくらいる?」
その日も配信を見ていたさくらが反応すると、なるは自分が褒められたかのように嬉しそうな顔をした。
「またアバター可愛いって言われたよ!」
さくらからは、ちゃんと聞いているから毎回報告しなくてもいい、と笑われた。
「だって嬉しいじゃん!」
アバターを描いたのはさくらなのだから、褒められたら本人に伝えたくなる。
それはなるだけではなかった。
いつメンたちも、他のルームでアバターを褒められるたびに報告するようになった。
「昨日『そのアバター可愛いですね』って言われた」
「私もこの前言われた」
「どこでもらえるんですかって聞かれた」
そんな話を聞くたび、なるは嬉しかった。
ただ、あまりにもみんなが誇らしげなので、ある時とうとう笑ってしまった。
「なんでみんな、自分が可愛いって言われたみたいな感じなの?」
タクさんからは、素敵なるーむ代表として褒められたようなものだと返ってきた。
「いつ代表になったの?」
なるは笑った。
でも、少しだけ分かる気もした。
自分たちでイベントに参加して、みんなでポイントを積み上げ、さくらが描いてくれた。
だから誰かに褒められると、自分のことのように嬉しい。
なる自身も同じだった。
アバターをきっかけに来てくれた人が、そのまま何度か配信へ遊びに来るようになることもあった。
アバターを見かけた。
可愛いと思った。
どこでもらえるのか調べた。
そして、素敵なるーむへやって来た。
そんな小さな入口ができたことを、なるは素直に喜んでいた。
あの日、タクさんが「このルームにもアバター欲しいよね」と言わなければ、なかった出会いだった。
だから、アバターを作って本当によかった。
なるはそう思っていた。
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そんな日がしばらく続いた、ある夜のことだった。
その日も配信はいつも通り始まった。
なるはバイト先であったちょっとした出来事を話し、それをケンケンに茶化され、みさ姉からは最近ちゃんと寝ているのかと聞かれていた。
そこへ、見慣れない名前が入ってきた。
「こんばんは。初めましてかな?」
なるが声をかける。
初めて来た人にはなるべく挨拶する。それは配信を始めた頃から、少しずつ身につけてきた習慣だった。
その人からも「初めまして」と返ってきた。
「初めまして。なるです。よかったらゆっくりしていってください」
いつもの挨拶。
そのまま話を続けようとした時、その人からもう一つコメントが来た。
なるはそれを読み、少し表情を止めた。
「……え?」
内容がよく理解できなかった。
もう一度読む。
その人は、素敵なるーむのアバターを使っている人が、別のルームで暴言のようなコメントをしているのを見かけたという。
それで、このアバターがどこのルームのものなのか気になって調べ、ここへ来たらしい。
なるは反射的に、画面に並んでいるアバターを見た。
小さな台本。
星の髪飾り。
さくらが描いてくれた、素敵なるーむの顔。
「このアバターの人が……?」
その人は、そうだと答えた。
なるの中に、すぐには言葉にできない違和感が広がった。
「名前、分かります?」
聞いてみた。
もし名前を聞けば、知っている人なのかもしれない。
ところが、その人は名前までは覚えていなかった。
覚えているのはアバターだけ。
それを聞いて、なるは少し考えた。
タクさん。
みさ姉。
ゆうちゃん。
ケンケン。
まーくん。
あかり。
しんさん。
たっちゃん。
さくら。
ハル。
いつも来てくれる人たちの顔が――実際の顔を知らない人も多いのに――不思議と頭に浮かんだ。
もちろん、素敵なるーむへ来てくれる人はいつメンだけではない。
コメントをしない人もいる。
時々しか来ない人もいる。
アバターだけもらって、それから一度も来ていない人だっているだろう。
だから、本当のことは分からない。
それでも、なるは言った。
「うちのルームにそんなことをする人はいないと思います」
少し間を置いて、続ける。
「もちろん、私もここに来てくれてる人全員が他のところで何をしてるかまでは分からないんですけど……少なくとも、いつも来てくれてるみんながそういうことをするとは、私は思ってないです」
いつもより慎重に言葉を選んだ。
自分の知らないところで起きたことを、絶対に違うとは言えない。
でも、知っている人たちを疑いたくもなかった。
初めて来たその人も、なるを責めに来たわけではないようだった。
アバターは誰でも使えるのかと聞かれ、なるは頷いた。
「はい。配布してるので、もらった人なら誰でも使えます」
すると、その人は、だったらアバターだけ使っている人だったのかもしれないと納得してくれた。
なるも「たぶん、そうだと思います」と答えた。
その人はそれ以上追及することもなく、しばらく配信を見ていた。
話はそこで終わった。
終わったはずだった。
けれど、なるの中では終わっていなかった。
少し前まで普通に話していたのに、次の話題がなかなか出てこない。
「……そっかぁ」
思わず、そんな言葉が漏れた。
自分でも声の調子が落ちているのが分かった。
するとタクさんが、なるの気持ちを察したようだった。
アバターを誰が使うかまでは選べない。
そう言われ、なるも頭では分かっているつもりだった。
「うん……分かってる」
アバターは配布した。
誰でも使える。
その人がどこのルームへ行くのかも、そこで何を話すのかも、なるが決められることではない。
「でもさ」
なるは画面にいる、小さな女の子たちを見た。
「なんか……ちょっと嫌だな」
それが一番素直な気持ちだった。
「だって、これ、うちの顔みたいに思ってたから」
前回、みんなでそう言った。
素敵なるーむの顔。
他のルームで見つけたら、素敵なるーむの人だと分かる。
そう思っていた。
だからこそ、そのアバターを使って誰かが他人を嫌な気持ちにさせたと聞くと、自分たちまで何か悪いことをしたような気分になった。
「私が気にしすぎなのかな」
誰に聞くでもなく、なるは呟いた。
その時、しんさんが言った。
『目印にはなっても、身分証明書ではありませんからね』
なるはコメントを見た。
「身分証明書?」
しんさんは、アバターを見れば素敵なるーむを知っている人だということは分かるかもしれないが、その人がどんな人なのかまで保証するものではない、と説明した。
「……そっか」
言われてみれば当たり前だった。
同じ服を着ているからといって、同じ人間ではない。
同じアバターを使っているからといって、同じ考え方をするわけでもない。
それでもまだ少し引っかかっているなるに、今度はさくらが声をかけた。
アバターを描いた本人だった。
さくらは、私は嫌じゃないよ、と言った。
「え?」
なるが聞き返す。
もちろん、誰かに暴言を言うことがいいという意味ではない。
それは嫌だし、やめてほしい。
でも、自分が描いたアバターを使った人全員の行動まで、自分たちの責任になるわけではないと思う。
そんなさくらの言葉を、なるは黙って読んだ。
「……さくらが描いたんだもんね」
だからこそ、なるより嫌な気持ちになるのではないかと思っていた。
でも、さくらはそうではなかった。
自分が描いたアバターがいろいろな人に使われること自体は嬉しい。
今日の一件だけで、今まで嬉しかったことまで嫌な思い出にしたくない。
その言葉になるは少し救われた。
考えてみれば、この数日の間にもたくさん嬉しいことがあった。
アバターを可愛いと言ってもらった。
別のルームで見つけたと報告してもらった。
アバターが欲しくて素敵なるーむへ来てくれた人もいた。
そのまま配信を気に入って、また遊びに来てくれた人もいる。
一人がどこかで嫌なことをしたからといって、その全部がなくなるわけではない。
「そうだね」
なるはようやく少し笑った。
「なんか私、アバター作ったら、それを使ってる人はみんな素敵なるーむの人って思ってた」
でも、違う。
素敵なるーむで生まれたアバターではある。
けれど、一度誰かの手に渡れば、その人がどこへ行き、どう使うかまでは決められない。
「アバターも配信と一緒なのかもね」
なるはふと思ったことを口にした。
「配信だって、私が喋ったことを誰がどう受け取るかまでは決められないもんね。外に出したら、全部自分の思い通りにはならないっていうか」
タクさんから、そういうこともあると知れただけでもよかったのではないかと言われた。
なるは頷いた。
「うん。ちょっと勉強になった」
そこで一度言葉を切り、少しだけ眉を寄せる。
「……でも暴言はやめてほしいけどね!」
それにはコメント欄から一斉に同意が返ってきた。
「そこは別だからね!」
ようやく笑いが戻った。
するとケンケンが、これから他のルームへ行く時は素敵なるーむ代表として品行方正に振る舞う、と言い出した。
「だから、いつから代表なの?」
すぐにタクさんから「自称」と補足が入る。
「じゃあ代表じゃないじゃん!」
みんなが笑った。
さっきまで少し重かった空気が、いつもの素敵なるーむへ戻っていく。
なるは画面に並んでいるアバターを見た。
同じ顔。
でも、その向こうにいる人はみんな違う。
仕事も違う。
年齢も違う。
考え方も違う。
そして、このアバターを使っている人の中には、なるが一度も話したことのない人だっている。
前回までは、同じアバターが並んでいることがただ嬉しかった。
今日は、その向こう側に一人ひとり別の人間がいることを知った。
少し寂しいような。
でも、それが当たり前なのだろう。
「でもさ」
なるは笑った。
「これからも、よそのルームで見つけたら教えてね」
アバターを見かけたという報告まで嫌になったわけではない。
むしろ聞きたい。
誰かから可愛いと言われたら、やっぱり嬉しい。
さくらにも、きっとまた報告する。
するとさくらから、だから毎回報告しなくてもいい、と再び言われた。
「それは無理」
なるは即答した。
「褒められたら絶対言うから」
今度はさくらが諦めたようだった。
なるは笑いながら時計を見た。
「じゃあ、今日はこのへんにしようかな」
いつものように「また明日」と言い、手を振る。
コメント欄にも、いつもの言葉が並んだ。
配信を終える直前、なるはもう一度アバターを見た。
素敵なるーむの顔。
それは変わらない。
でも、その顔をつけた人まで、素敵なるーむのものになるわけではない。
自分たちが作った小さな女の子は、もう自分たちの知らない場所まで歩いている。
そこで誰と出会い、何を言うのか。
なるには決められない。
少しだけ怖くて、それ以上に不思議だった。
配信を始めたばかりの頃には、考えもしなかったことだった。
ルームが大きくなれば、嬉しいことばかりが増えるわけではない。
知らなかったことも、知らなくてよかったかもしれないことも、少しずつ見えてくる。
それでも。
今日も画面には、さくらが描いた小さな女の子が何人も並んでいた。
なるはそれを見て、最後にはやっぱり笑った。
「また明日」
素敵なるーむの顔は今日も、それぞれ違う誰かを乗せて、いろいろな場所を歩いていく。




