第14話 一曲だけだからね!
「なる、カラオケイベント出ないの?」
その話が出たのは、いつものように何でもない雑談をしていた夜だった。
配信アプリで近々カラオケイベントが開催されるらしい。順位を競う要素もあるにはあるが、これまでなるが参加してきたイベントと比べればずっと気軽なもので、歌を楽しみながら参加する配信者も多いという。
イベントの存在自体は、なるも知っていた。
ただ、自分が参加するものだとは一度も考えていなかった。
「出ないよ」
即答だった。
理由を聞かれ、なるは少し困ったように笑う。
「だって私、歌う人じゃないもん」
すると、歌が下手なのかというコメントが来た。
「下手……ではないと思う。たぶん」
自信のなさそうな答えに、コメント欄が少し笑う。
「いや、音痴ではないと思うよ? カラオケ行ったら普通には歌うし。でも、人前で歌うのが苦手なの」
友達とカラオケへ行っても、自分から真っ先にマイクを取るタイプではない。誰かが歌っているのを聴きながら、次は何を入れようかと曲を探している方が気楽だった。
まして配信で歌うとなれば、何十人もの人が自分の歌を聴くことになる。
考えただけで恥ずかしい。
「お芝居はできるのに歌は恥ずかしいの?」とあかりから聞かれたが、なるにとってはまったく別物だった。
「芝居は役があるじゃん。私じゃなくて、その役として台詞を言うの。でも歌は私が歌うじゃん」
言いながら、自分でも少し不思議な理屈だとは思った。
けれど、なるの中では確かに違った。
朗読だって同じだ。物語があり、登場人物がいる。その人物の気持ちを考えて声を出すことはできる。
でも歌は、自分自身を見られている気がする。
だから恥ずかしい。
「ということで、カラオケイベントは出ません」
話は終わったつもりだった。
ところが、コメント欄は終わらなかった。
一度くらい聴いてみたい、なるがどんな歌を歌うのか気になる、意外と上手いかもしれない。そんな声が次々と集まり始めた。
ゆうちゃんなどは、歌の上手い下手より「なるが歌ってるところが見たい」と言い出す始末だった。
「絶対さ、私が歌ってる途中で『なる大好き!』ってコメントするでしょ」
『する』
「やめてよ!」
即答され、なるが笑う。
ケンケンからは、上手いかどうかは実際に聴いてから決めると言われた。
「なんで審査員みたいな立場なの?」
そこからも、聴きたいという声はなかなか止まらなかった。
なるはしばらく抵抗していたものの、やがて腕を組んで考え始めた。
別に歌手を目指しているわけではない。
イベントで上位を狙う必要もない。
一回くらいなら。
本当に一回だけなら。
「……一曲だけだよ?」
コメント欄が一気に盛り上がった。
「待って。まだイベント出るって言ってないから。一曲だけ歌ってみてもいいかなって言っただけだからね」
それでも、もう誰も聞いていなかった。
なるがカラオケイベントへ参加することは、その場でほとんど決定事項のようになってしまった。
「なんで私のイベント参加をみんなが決めるのよ」
そう文句を言いながらも、なるは笑っていた。
結局その日の配信が終わったあと、イベントの詳細を確認し、参加ボタンを押した。
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そして、カラオケイベント初日。
いつもの時間に配信を始めたなるは、明らかに落ち着きがなかった。
「こんばんは。……ほんとにやるの?」
自分で参加しておきながら、今さらそんなことを言っている。
画面には、待ってましたとばかりにいつもの名前が並んでいた。
「なんで今日に限ってみんないるの?」
普段は仕事や用事で来られない人もいるのに、歌うと予告したせいなのか、いつもより集まりがいい気さえする。
「見世物じゃないんだからね」
そう言えば、ケンケンから「今日は見世物だろ」と返ってきた。
「違います」
曲を選ぶだけでも時間がかかった。
何を歌えばいいのか分からないと言いながら、なるは何度も候補を変えた。昔から知っている曲なら安心かもしれない。でも簡単すぎる曲を選んだと思われるのも嫌だし、かといって難しい曲を選んで失敗するのはもっと嫌だった。
「もうこれでいい!」
ようやく決めた一曲を入れる。
イントロが流れ始めた。
ところが、なるはまだ歌わない。
「待って待って、やっぱ恥ずかしい!」
当然、曲は待ってくれない。
歌詞が始まりそうになり、なるは慌てて画面を見る。
「ちょっと、本当に聴くの?」
当たり前だと返される。
「途中で笑わないでよ?」
誰も笑わないと言われた。
「下手でも文句言わないでね?」
早く歌え、と急かされた。
「分かったよ!」
なるは一度息を吸った。
そして、歌い始めた。
最初の声は少し小さかった。
いつもならコメントを見ながら話しているのに、今日はなるべく画面を見ないようにして歌詞だけを追った。
自分の声が部屋に響く。
それが妙に恥ずかしい。
今、みんなが聴いている。
そう考えると身体が固くなりそうになった。
けれど一番を歌い終え、間奏に入った時だった。
なるは何気なく顔を上げた。
目の前にあるのは、いつものスマートフォンだった。
部屋を見回す。
当然、誰もいない。
いつもの自分の部屋だ。
なるは少し首を傾げた。
「……あれ?」
コメント欄に、どうしたのかと聞かれる。
「いや……ちょっと待って」
改めて周囲を見る。
やっぱり誰もいない。
「私さっき、人前で歌うの恥ずかしいって言ったじゃん?」
みんなが同意する。
「……人、いなくない?」
数秒後、コメント欄が笑いで埋まった。
「いや、違う! みんないるよ? いるんだけど……私の目の前にはいないじゃん!」
『今さら?』
「今さらって言わないで!」
なる自身も笑ってしまった。
考えてみれば、いつもの配信と同じなのだ。
目の前に大勢の人が並んで、自分を見つめているわけではない。
自分の部屋で、スマートフォンに向かって歌っているだけ。
そう思った途端、不思議なくらい肩の力が抜けた。
「なんだ。スマホじゃん」
画面の向こうにいる人たちからすれば、ずいぶん失礼な結論だったかもしれない。
それでも、その気づきはなるにとって大きかった。
間奏が終わる。
今度はさっきより少し大きな声で歌った。
音程を外さないようにすることばかり考えるのもやめた。歌詞の意味を追いながら、自分なりに歌ってみる。
一曲が終わった。
なるはすぐに画面を見た。
「……どう?」
コメントが一斉に流れた。
思っていたより上手い、普通に歌える、声がいい、もっと聴きたい。
なるは目を細めた。
「『思ってたより』って何?」
褒められているはずなのに、そこだけ引っかかった。
ケンケンからは「音痴ではなかった」と来た。
「だから最初から音痴じゃないって言ったでしょ!」
それでも、悪い気はしなかった。
むしろ、かなり嬉しい。
「でもさ、お世辞でしょ?」
そう言うと、すぐに否定された。
配信者が歌えば何でも褒めるんじゃないの、とまだ疑っているなるに、今度はまーくんからコメントが来た。
普段は配信を聴いていても、あまりコメントをしない人だ。
『声、聴きやすいと思う』
なるは少し黙った。
「……ほんと?」
まーくんが言うなら、本当にそうなのかもしれない。
もちろん、まーくんが絶対にお世辞を言わないという保証などない。それでも普段ほとんどコメントしない人から言われると、妙な説得力があった。
「そっかぁ……」
なるは照れくさそうに笑った。
「じゃあ……もう一曲くらい歌ってみようかな」
すぐにコメント欄が盛り上がった。
「一曲だけって言ったけど、これはアンコールだから。一曲には入らないからね」
よく分からない理屈をつけて、二曲目を選ぶ。
今度は最初から、さっきより声が出た。
歌っている途中でコメントを見る余裕まで生まれ、ゆうちゃんが予告通り「なる大好き!」と書き込んでいるのを見つけた時には、歌いながら笑いそうになった。
曲が終わるなり、
「ゆうちゃん! やると思った!」
と抗議する。
そんなやり取りをしているうちに、なるの中から最初の恥ずかしさはほとんど消えていた。
三曲目は、自分から選んだ。
「これ知ってる人いる?」
知っているという反応を見て曲を入れる。
四曲目になると、今度はリクエストを聞き始めた。
「歌える曲だったらね。知らない曲は無理だよ」
さっきまで「一曲だけ」と言っていた人間とは思えない。
リクエストの中から知っている曲を見つけて歌い、難しいところで少し音を外せば「あ、今のなし!」と自分で笑った。
上手く歌おうと意識しすぎるより、ずっと楽しかった。
歌手のように歌えるわけではない。
高い音が苦しい曲もあるし、リズムが怪しくなることもある。
それでもコメント欄には、声が好きだとか、この曲は合っているとか、思ったより低い声も出るんだね、といった感想が流れてくる。
なるは少しずつ、それを素直に受け取れるようになっていった。
そして、ある曲を歌い終えたあと、不意に言った。
「なんかさ」
水を一口飲む。
「歌も、ちょっと芝居と似てるのかな」
どういう意味かと聞かれ、なるは上手く説明できずに少し考えた。
「最初は音外さないようにしなきゃって、そればっかり考えてたんだけど……歌詞って、その人が思ってることなんだよね。この人は誰に言ってるんだろうとか、なんでこういうこと言ってるんだろうって考えたら、さっきより歌いやすかった」
朗読を始めた時もそうだった。
台詞だけを追うのではなく、その人が何を感じているのかを考える。
もちろん歌と芝居は同じではない。
なる自身、それ以上深く考えたわけでもなかった。
「まあ、歌手になる予定はないけどね」
そう言って笑い、また次の曲を探し始める。
気づけば、予定していた配信終了時間を少し過ぎていた。
「そろそろ終わろうかな。明日もあるし」
みさ姉からも、今日はもう喉を休ませた方がいいと言われた。
「そうだね。急にこんな歌ったら喉びっくりするよね」
なるは飲み物を手に取った。
「でも、楽しかった」
その言葉は自然に出た。
「歌配信、もっと恥ずかしいと思ってた。みんなに見られながら歌うの絶対無理って思ってたんだけど……」
ちらりとスマートフォンを見る。
「結局、私が見てるのスマホだけだった」
当然のように、「こっちからは見えてるけどね」と返された。
「それは今言わないで!」
笑いながら、なるはイベントの画面を確認した。
順位がどうなっているかより、今日はそちらの方が気になっていた。
「ところで私、何曲歌った?」
誰かが数えていたらしい。
『7曲』
なるの動きが止まった。
「……七曲?」
『一曲だけとは』
「うるさい!」
コメント欄が笑いで埋まった。
なる自身も耐えきれずに笑う。
「だって途中から楽しくなっちゃったんだもん!」
最初の一曲を歌うまで、あれほど時間がかかった。
恥ずかしい。
上手くなかったらどうしよう。
みんなに聴かれるのが怖い。
そんなことばかり考えていた。
でも、一度声を出してみたら、思っていたほど怖くなかった。
そして、自分が思っていたより歌えるらしい。
少なくとも、もう「人前で歌うのは絶対無理」とは思わなかった。
「じゃあ、また歌ってもいいかも」
何気なく言った途端、コメント欄が一気に反応した。
「ちょっと待って! 毎日とは言ってないからね!」
また笑いが起きる。
なるは笑いながら手を振った。
「じゃあ今日はここまで。また明日ね」
いつもの言葉が返ってくる。
配信を切ったあと、なるは静かになった部屋でスマートフォンを見た。
ついさっきまで、この小さな画面の向こうにたくさんの人がいた。
なるは小さく鼻歌を歌ってみた。
誰も聴いていない。
……いや、今度は本当に誰も聴いていない。
「歌かぁ」
少しだけ笑った。
得意だと思ったわけではない。
急に歌が上手くなったわけでもない。
ただ一つ。
自分が苦手だと思い込んでいたことが、やってみたら意外と楽しかった。
それだけで、今日は十分だった。




