第10話 素敵なるーむ
舞台の本番が近づき、なるの毎日は相変わらず稽古中心だった。
配信時間も以前ほど長くはない。それでも、夜になって配信を始めればいつもの顔ぶれが集まり、稽古であったことを話したり、まったく関係のない雑談をしたりする。
その日も特別な話題があったわけではなかった。
稽古から帰って夕飯を食べ、少し休んでからいつもの時間に配信を始める。
「こんばんはー」
すぐに何人かの名前が並んだ。
配信を始めた頃からいるタクさん。50歳になったばかりの会社員で、なるが何も頼んだ覚えはないのに、初めて来た人に挨拶をしたり、配信予定を聞かれれば代わりに答えたりしている。
なるを妹のように扱うみさ姉も来ていた。実際には弟がいるらしく、「昔から妹が欲しかった」という理由で、なるの食事や睡眠時間を何かと気にしてくる。
そして、なるより少し年下のゆうちゃん。
『なる今日もかわいい』
配信開始から一分も経っていない。
「はいはい。ありがとう」
『なる大好き』
「それも知ってます」
いつものやり取りに、コメント欄が笑いで埋まった。
「まだ何もしてないんだけど。配信つけただけだよ?」
『配信つけたなるがかわいい』
「もう何でもいいんじゃん!」
そこへケンケンが入ってきた。
『今日も通常運転だな』
「ケンケン、こんばんは」
三十代後半でお笑い好きのケンケンは、なるが何か変なことを言えばすぐに拾う。なる自身、最近ではケンケンがいると「今の絶対突っ込まれる」と思うようになっていた。
そんな他愛のない話をしている時だった。
なるがふと、自分の配信画面を見た。
そこには配信を始めた頃に何となく決めたルーム名が表示されている。
『なるの部屋』
なるはしばらくそれを眺めた。
「ねえ」
『なに?』
「私のルーム名さ……普通すぎない?」
コメント欄が一瞬止まり、すぐに笑いが起きた。
『今さら?』
タクさんだった。
「今さらって何!」
『ずっと思ってた』
「だったら言ってよ!」
ケンケンからも『徹子の部屋みたい』と飛んできて、なるは吹き出した。
「やめてよ! もうそれにしか見えなくなるじゃん!」
考えてみれば、配信を始める時はルーム名など深く考えていなかった。
自分の名前を入れておけば分かりやすいだろう。それくらいの理由で『なるの部屋』にした。
でも、配信を始めた頃と今では、この場所の意味も少し変わっている。
「変えようかな」
なるが何気なく言うと、コメント欄が急に賑やかになった。
『変えよう』
『考えようぜ』
『ルーム名会議』
「え、今から?」
『今から』
「私、明日も稽古なんだけど」
すると、みさ姉がすぐに反応した。
『じゃあ30分だけね』
「もう時間決められた!」
そう言いながらも、なるは楽しそうだった。
「じゃあ募集します。私の新しいルーム名!」
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最初はまともな案が出ていた。
『なるの休憩所』
「悪くないけど、私が休憩する場所みたいじゃない?」
『なるハウス』
「犬小屋みたい」
『なるちゃんねる』
「動画配信っぽいなぁ」
そのうちケンケンがふざけ始め、『スナックなる』と言い出した。
「私まだスナックのママじゃないから!」
『係長なる』
「なんでタクさんの役職を私が引き継ぐの!」
タクさんが会社で係長をしていることは、いつだったか雑談の中で聞いた。
本人は「大した役職じゃないよ」と言っていたが、ルームではいつの間にかまとめ役のようになっている。
「というかタクさん、会社でもここでもまとめ役やってるじゃん」
『ここでは給料出ないけどな』
「私も払えません」
そんなやり取りをしていると、あかりがやって来た。
『こんばんは。何してるの?』
「ルーム名変えようと思って、みんなで考えてる」
なると同い年のあかりは、大手企業で受付の仕事をしている。年齢が同じだからなのか、なるも彼女には友達に話すような感覚で接することが多かった。
『なるカフェとかは?』
「あ、それちょっと可愛い」
『採用?』
「候補!」
するとゆうちゃんが、
『なる大好きルーム』
と書き込んだ。
「却下」
『早い』
「それ、ゆうちゃんのルームじゃん」
『じゃあ、なるを愛でる会』
「もっとダメ!」
コメント欄が一気に笑いで埋まった。
そこへ、普段はほとんどコメントをしないまーくんが珍しく書き込んだ。
『なるの縁側』
なるは少し考えた。
「縁側?」
『みんななんとなく集まって話してる感じするから』
「……まーくん、たまにコメントしたと思ったら急にいいこと言うよね」
普段は配信を聞いているだけのことが多いまーくんが、照れたように『また聞く側に戻ります』と残す。
「戻らないでよ!」
また笑いが起きた。
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しばらくすると、しんさんもやって来た。
六十代で、定年まで小学校の校長をしていたというしんさんは、なるが知らない言葉や昔の出来事について話している時、さりげなく教えてくれることが多い。
「しんさん、いいルーム名ない?」
突然振られたしんさんは、少し考えてから書き込んだ。
『名前というのは、そこで何をしたいかが伝わるといいかもしれませんね』
「おお……」
なるは思わず姿勢を正した。
『校長先生の話始まった』
ケンケンのコメントが流れる。
『まだ一行です』
しんさんが返した。
「ケンケン、校長先生の話ちゃんと聞きなさい」
『なるまで先生側についた』
みんなで笑ったあと、なるは少し考えた。
ここで何をしたいのか。
最初は俳優になるために、人前で話す練習になればと思って始めた。
でも今は、それだけではない。
「なんだろうね。楽しく話せて、疲れた時には帰ってこられて……みんなが来てよかったって思えるところ?」
自分で言いながら少し恥ずかしくなった。
「なんか真面目になっちゃった」
『いいじゃん』
さくらからだった。
二十代前半でイラストレーターをしているさくらは、普段から穏やかなコメントが多い。
『素敵な場所になったらいいね』
「素敵な場所かぁ」
なるが呟く。
その言葉をきっかけに、またいろいろな案が出始めた。
『なるの素敵部屋』
『素敵ななる部屋』
『素敵になる部屋』
「素敵になる部屋?」
なるが声に出した。
何かが引っかかった。
「素敵に……なる」
コメント欄も少しずつ気づき始めた。
『あ』
『なる?』
『素敵なる?』
なるは画面を見ながら、ゆっくり口にした。
「素敵なるーむ……?」
一瞬の間があった。
そしてコメント欄が一気に動いた。
『いいじゃん!』
『それだ』
『なる入ってる』
『素敵なルームにもなるってことか』
なる自身も、何度か口にしてみた。
「素敵なるーむ。素敵なるーむ……あ、私これ好きかも」
『ひらがなの「るーむ」がいい』
さくらが書き込む。
「あ、それ可愛い!」
イラストレーターらしい意見だと、なるは妙に納得した。
そこへ遅れて、たっちゃんがやって来た。
『こんばんはー!』
「たっちゃん、ちょうどいいところ来た。ルーム名決まりそう」
『祭りなる神輿は?』
「話聞いてた!?」
祭り好きのたっちゃんらしい案に、みんなが笑った。
『絶対盛り上がるぞ』
「ルーム名から神輿担がないでよ!」
さらにその直後、久しぶりの名前が現れた。
『ハル:ただいま』
「あ! ハル! 久しぶり!」
神出鬼没のハルだった。
「最近全然来なかったじゃん。どこ行ってたの?」
『仙台と大阪』
「何しに!?」
『推し』
「ああ……」
それだけで全員が納得した。
アイドル好きのハルがしばらく姿を見せない時は、大抵どこかへ遠征している。
「今ね、ルーム名変えようって話してて、『素敵なるーむ』が候補なの」
しばらくして、ハルから返事が来た。
『いいと思う。覚えやすい』
「おお、遠征のプロからも合格いただきました」
『何のプロだよ』
ケンケンのツッコミが飛ぶ。
なるは笑いながら時計を見た。
三十分のつもりだった配信は、とっくに一時間を超えていた。
「あっ!」
すぐにみさ姉から、
『ほら』
と来る。
「ごめんなさい」
『明日稽古でしょ』
「はい」
『寝なさい』
「はい……」
なるが素直に返事をすると、みんなが笑った。
「じゃあ、本当に最後。ルーム名は――」
なるは画面を操作した。
少しして、配信画面に表示されていた『なるの部屋』という文字が変わった。
『素敵なるーむ』
なるはそれを眺めた。
「……いいじゃん」
最初は何となく付けただけだった『なるの部屋』。
あの頃は、ここに誰が来るのかも分からなかった。
何を話せばいいのかも分からず、コメントが来るだけで慌てていた。
それが今では、ルーム名を変えようと言えば、こんなにもたくさんの人が一緒になって考えてくれる。
タクさんがいて、みさ姉がいて、ゆうちゃんがいて、ケンケンがいる。まーくん、あかり、しんさん、たっちゃん、さくら、そして時々しか現れないハルもいる。
もちろん、名前を挙げきれない人たちもいる。
なるは新しいルーム名を見ながら笑った。
「素敵なルームに……成る、ってことだよね」
『もうなってるよ』
誰かが書き込んだ。
なるは一瞬黙って、それから少し照れたように笑った。
「そういうこと言うから、終われなくなるんだって」
すぐにみさ姉から『寝なさい』と飛んでくる。
「はいはい!」
なるは笑いながら手を振った。
「じゃあ、素敵なるーむ最初の配信はここまで! また明日ね」
たくさんの「また明日」が流れていく。
配信を終了したあとも、なるはしばらく新しくなったルーム名を眺めていた。
素敵なるーむ。
素敵なルームになる。
そして自分自身も、少しずつ素敵な何かに成っていけたらいい。
そんな場所になればいいと思った。
いや。
もしかしたら、もう少しだけ――。
なり始めているのかもしれなかった。




