第四話 温泉の噂は、村の外へ
それから一週間。
俺の生活は、驚くほど平和だった。
朝起きる。
畑を見る。
温泉に入る。
昼飯を食べる。
また畑を見る。
そして――
「グラウ、ただいま」
『おかえり、主』
村の入口で、巨大な狼が出迎えてくれる。
これが最近の日課になっていた。
「今日も異常なし?」
『問題ない』
「魔物は?」
『三匹ほど森に入ってきた』
「追い払った?」
『森の奥まで送った』
「……殺してないよな?」
『主が殺すなと言った』
「えらい」
『褒められた』
グラウの尻尾が激しく動く。
ドンッ!
地面が揺れた。
「だから尻尾!」
『……失念していた』
そんな平和な毎日だった。
だが。
村の中では、少しずつ変化が起きていた。
「カイル!」
ある日の朝。
村長が血相を変えて走ってきた。
「どうしたんです?」
「温泉だ!」
「温泉?」
「あれに入った村人たちの怪我が、次々に治っている!」
「……そうなんですか?」
俺は温泉を見る。
確かに、普通の温泉ではない。
鑑定すれば、
【聖竜の湯】
【効能:肉体修復・魔力回復・呪い解除】
と表示される。
だが、俺自身は毎日入っているので、もう慣れてしまっていた。
「そういえば……」
村人の一人が腕を上げる。
「俺、十年前に痛めた肩が痛くなくなった」
「私は腰が軽いよ」
「俺なんて、昔の火傷跡まで薄くなったぞ」
「本当か?」
村人たちが次々と自分の身体を確認していく。
そして。
「これ……」
村長が自分の顔を触った。
「白髪が……減ってる?」
「え?」
村人たちが一斉に村長を見る。
確かに。
昨日まで真っ白だった髪に、黒い部分が戻っている。
「……温泉に入ると、若返るのか?」
誰かが呟いた。
その言葉に。
村全体が静まり返った。
「まさか」
「いや……でも村長を見ろ」
「じゃあ、この温泉は……」
俺は慌てて鑑定する。
【特殊効果:生命力回復】
【長期入浴による老化速度低下】
「…………」
俺は頭を抱えた。
「またか」
「カイル?」
「いや、なんでもない」
俺は思った。
これはまずい。
かなりまずい。
温泉が傷を治すだけなら、まだいい。
だが。
若返る温泉。
そんなものが世間に知られたら――
絶対に人が押し寄せる。
俺は静かに暮らしたい。
それだけなのに。
しかし。
俺の心配とは裏腹に。
噂は村の外へ流れ始めていた。
きっかけは、一人の商人だった。
「……本当に、あの村に温泉が?」
「はい」
村へやってきた商人が、村人から話を聞いた。
「怪我が治る?」
「ああ」
「疲れも取れる?」
「ああ」
「病気にも効く?」
「たぶんな」
「……」
商人は目を輝かせた。
「ぜひ入らせてください!」
「誰でも入れるぞ」
「本当ですか!?」
商人は温泉へ走った。
そして三十分後。
「…………」
無言で湯船から出てきた。
「どうした?」
俺が声をかける。
商人は自分の手を見つめていた。
「……昔、馬車から落ちて痛めた腰が」
「うん」
「痛くない」
「そうか」
「肩も軽い」
「うん」
「目もよく見える」
「……」
商人は俺の肩を掴んだ。
「カイルさん」
「はい?」
「この温泉を――」
俺は身構えた。
「――王都で売りませんか?」
「嫌です」
「即答!?」
商人が驚く。
「俺は静かに暮らしたいんです」
「しかし、この温泉は――」
「ダメです」
「ですが――」
「ダメです」
「……」
商人はしばらく俺を見た。
そして。
「では、せめて噂を広めることだけ許してください」
「……それも嫌なんですけど」
「もう遅いと思います」
「え?」
商人が笑った。
「私はこの村へ来る途中、三つの村で温泉の話をしています」
「…………」
「この温泉は、もう噂になっていますよ」
俺は空を見上げた。
「……終わった」
その日の夕方。
村の入口に、馬車が三台やってきた。
「温泉はどこだ!」
「怪我が治るというのは本当か!」
「病気にも効くのか!?」
「若返るという噂は!?」
「順番に並んでください!」
村人たちが対応する。
俺は遠くからその様子を眺めていた。
「グラウ」
『なんだ、主』
「どう思う?」
『人間が増えた』
「そうだな」
『温泉が人気だ』
「そうだな」
『主は困っている』
「そうだな……」
グラウは少し考えた。
『ならば追い払うか?』
「ダメだ」
『なぜ?』
「悪い人たちとは限らないだろ」
『しかし主が困っている』
「……まあな」
俺はため息をついた。
すると。
「カイル!」
村長が走ってくる。
「大変だ!」
「今度は何です?」
「王都から使者が来た!」
「……王都?」
俺は固まった。
「どうして?」
「わからん」
村長が震える声で言う。
「だが――」
村の入口を見る。
そこには、白銀の鎧を着た騎士たちが並んでいた。
その中央にいる男が、馬から降りる。
「この村の責任者は誰だ」
俺は一歩前へ出た。
「俺です」
騎士は俺を見る。
「名は?」
「カイル」
「……カイル?」
騎士の表情が変わった。
まるで、聞き覚えのある名前だったかのように。
「まさか……」
騎士は持っていた書状を開いた。
「王命である」
周囲が静まり返る。
「この村に存在する温泉について、王都への報告を命じる」
「…………」
やっぱり来た。
俺は頭を抱えた。
すると。
『主』
グラウが低い声を出す。
「なんだ?」
『あの者たち』
「うん」
『敵ではない』
「そうなのか?」
『だが――』
グラウの目が細くなる。
『一人だけ、強い殺気を持つ者がいる』
「……誰だ?」
グラウが視線を向けた先。
王都の騎士たちの後ろに、一人の少女が立っていた。
黒いローブ。
金色の瞳。
そして。
胸元に刻まれた紋章。
俺は知らない。
だが、グラウは知っていた。
『魔王軍の紋章だ』
「……え?」
俺が振り返った瞬間。
少女が笑った。
「初めまして」
そして。
「カイル様」
俺の名前を知っていた。
「私は――」
少女はゆっくりと頭を下げた。
「魔王軍、四天王の一人です」
――温泉の噂は。
王都だけではなく。
魔王軍にまで届いていた。




