第二話 温泉
「……これは、温泉だな」
目の前には、湯気を立てる小さな池。
昨夜、リゼに水を撒いてもらった場所。
ただの水たまりだと思っていた。
だが違った。
近づいてみると、白い湯気が立ち上っている。
「カイル」
「なんだ?」
「昨日、水を撒いた」
「うん」
「そしたら出てきた」
「うん……」
俺は地面を見つめた。
どう見ても、自然に湧き出した温泉だった。
「……俺の能力って、もしかして」
昨日、リゼを助けるために【設定変更】を使った。
その影響で、世界の何かが変わったのだろうか。
試しに温泉へ【鑑定】を使う。
【名称:天然温泉】
【水温:42℃】
【効能:疲労回復・傷の治癒・魔力回復】
【品質:極上】
【備考:世界設定変更の影響により、本来存在しない泉質が発生しています】
「……」
俺は黙った。
「どうしたの?」
「いや」
昨日までの俺なら、この時点で大騒ぎしていただろう。
だが。
「温泉があるなら……」
俺は腕を組んだ。
「入るしかないだろ」
「入る?」
「ああ」
俺は前世の記憶を思い出した。
温泉。
日本人なら、あれは文化だ。
疲れた身体を湯に沈める。
肩まで浸かる。
そして、
「ふぅ……」
あの瞬間。
すべてがどうでもよくなる。
「よし」
俺は決めた。
「温泉を作ろう」
「今あるじゃない」
「これは小さすぎる」
今ある温泉は、どう見ても一人用。
俺一人ならいい。
でも、これから村で暮らすなら。
村人にも使ってもらいたい。
「せっかくだし、みんなが入れる温泉にしよう」
「みんな?」
「ああ」
俺は地面を見た。
ここなら広い露天風呂を作れる。
問題は――
「どうやって掘るかだな」
普通なら、何日もかかる。
石をどかして。
土を掘って。
湯を引いて。
浴槽を作って。
俺一人では無理だ。
だが。
俺には【設定変更】がある。
「試してみるか」
俺は地面に手を置いた。
「【設定変更】」
頭の中に、文字が浮かぶ。
【変更対象:地面】
【変更内容を指定してください】
俺は想像した。
地面が自然に掘れていく。
石が浴槽の形に整えられる。
地下から温泉が流れ込む。
さらに。
周囲を木で囲って、脱衣所を作る。
――だが。
「……待て」
俺は手を止めた。
いきなり豪華な温泉を作ったら怪しまれる。
俺は追放されたばかりだ。
目立つ必要はない。
「まずは小さく」
設定を変更する。
「深さ、一メートル」
「幅、十メートル」
「形状、自然な岩風呂」
「温泉は地下から自然に湧く」
最後に。
「誰でも安全に入れる」
――カッ。
地面が光った。
ゴゴゴゴゴゴ……。
「うわっ!」
地面が揺れる。
土が左右へ移動し、巨大な岩がゆっくりと地面からせり上がってくる。
数秒後。
そこには――
立派な露天風呂が完成していた。
「…………」
「…………」
俺とリゼは、無言で温泉を見る。
「カイル」
「なんだ?」
「すごい」
「……俺もそう思う」
しかも。
温泉は勝手に満たされていく。
透明な湯が岩風呂へ流れ込み、白い湯気が立ち上る。
「本当にできた……」
俺は自分の能力を見つめた。
【設定変更】
昨日まで俺は、この能力を「役立たず」だと思っていた。
違った。
この能力は。
世界そのものを変更できる。
「……でも」
俺は苦笑した。
「これ、使い方を間違えたら大変なことになるな」
例えば。
鉄を金に変える。
魔物を弱くする。
自分を強くする。
そんなことだってできるかもしれない。
だが。
今は考えない。
「俺は静かに暮らしたい」
「うん」
リゼが頷く。
「温泉に入って暮らす?」
「……それもいいな」
俺たちは笑った。
そのときだった。
「カイルー!」
遠くから声が聞こえた。
「いるかー!」
村の青年、トーマだった。
「なんだ?」
俺が手を振る。
トーマが走ってくる。
そして。
「…………」
固まった。
「……カイル」
「うん」
「これは?」
「温泉」
「いや、見ればわかる!」
トーマが頭を抱える。
「昨日までここ、ただの荒れ地だっただろ!」
「そうだったな」
「なんで一晩で温泉ができてるんだよ!」
「……偶然?」
「そんな偶然あるか!」
トーマの声が村中に響いた。
すると。
「何事だ?」
「どうした?」
「温泉って聞こえたぞ?」
次々と村人が集まってくる。
そして全員が――
「…………」
温泉を見た。
「温泉だ」
「本当に温泉だ」
「この村に温泉なんて……」
「俺、子供の頃から一度も見たことないぞ」
村人たちがざわめく。
俺は少し困った。
目立ちたくなかったのに。
だが。
一人の老人が、ゆっくりと温泉へ近づいた。
「……待て」
老人は湯気を見つめる。
「この匂い……」
「何か知ってるのか?」
俺が聞く。
老人は震える声で答えた。
「昔、爺さんから聞いたことがある」
「何を?」
「この村の地下には――」
老人が温泉を指差す。
「伝説の『聖泉』が眠っている」
「聖泉?」
「ああ」
老人の顔から血の気が引いていく。
「昔、この地には王都の騎士団ですら恐れるほどの魔物が住んでいた」
「魔物?」
「その魔物を倒した英雄が、最後にこの地へ剣を突き刺した」
老人は続ける。
「その剣が大地を割り、地下から湧き出したのが――」
「この温泉?」
「そうだ」
俺は温泉を見る。
ただの温泉だと思っていた。
だが。
【鑑定】
もう一度、温泉を調べる。
【名称:聖竜の湯】
【品質:神級】
【効能:肉体修復・魔力回復・呪い解除】
【特殊効果:???】
「…………」
俺は絶句した。
神級。
しかも特殊効果が隠されている。
そんなものを、俺は――
「普通に作ってしまったのか?」
その瞬間。
森の奥から。
ズズズズズ……。
大地を揺らすような音が響いた。
「なんだ!?」
村人たちが振り返る。
森の木々が、一本。
また一本。
倒れていく。
「魔物だ!」
「逃げろ!」
悲鳴が上がる。
森から姿を現したのは――
巨大な狼だった。
体長は三メートル。
赤い目。
口からは黒い煙が漏れている。
「【呪狼】……!」
村人の誰かが叫んだ。
「どうしてこんな村に……!」
呪狼がこちらを見る。
そして。
真っ直ぐに――
温泉へ走り出した。
「え?」
俺は呆然とする。
呪狼は温泉へ飛び込んだ。
バシャーン!
「…………」
「…………」
全員が固まる。
すると。
ジュウウウウウ……。
呪狼の身体から黒い煙が抜けていく。
赤かった目が、青く変わる。
そして。
巨大な狼は――
小さな子犬になった。
「……」
「……」
「……」
子犬が俺の足元まで歩いてくる。
そして。
「クゥン」
尻尾を振った。
「……お前」
俺はしゃがみ込む。
「温泉、気に入ったのか?」
「ワン!」
村人たちは誰も声を出せなかった。
俺は頭を掻いた。
「……まあ」
俺は温泉を見る。
「悪くないな」
こうして。
俺の作った温泉には――
最初の客がやってきた。
ただし。
それは人間ではなく。
元・災害級魔物だった。




