第6話 フローライトの忠告
「夜」が退室して後。
改めて里璃の前にずらりと並んだトヒテは、順々に頭を下げ、
『申し訳ございませんでした、里璃様』
と輪唱の謝罪をする。
「夜」が里璃の名を正しく発音したためか、トヒテたちが呼ぶ名前は、すんなり里璃の耳に入った。
……リリとまた呼ばれたことに関しては、多少の疑問が残るものの。
「いや……分かって貰えたならいいです」
ほぼ直角に下げられた頭たちへ、里璃は恐縮して手を振る。
すると同時に上げられたトヒテの顔が、皆、同じ角度で傾げられた。
『『『『『里璃様? ワタクシに敬語は不要ですわ。どうぞ、先ほど叫ばれた時のように自然な口調でお話しくださいませ』』』』』
「え……いや、あれは、普段の喋り方じゃないんですけど」
あの叫びは、兄関係に対峙する時の口調である。
男物の服を着るようになってから身につけた、言わば仮初のモノ。
里璃本来の口調は、「夜」へトヒテを叩くか尋ねた際の弱々しい言葉を、前向きに変換したものになる。
ここでまたしても円陣を組んだトヒテたちが、互いの意見を交換し合う。
何を話しているのか、単語さえ聞き取れない相談は、里璃が気になって身を乗り出す前に終わりを迎えた。
再度、並んだトヒテたちは首を縦に振る。
『『『『『承知致しました。里璃様の御好みの言葉を御遣いくださいませ――ただし』』』』』
一区切り、ずいっと一歩進んでは、里璃を相談に混ぜるような動きで中腰の姿勢になる。
『『『『『決して、御身の性別通りの口調を用いませぬよう。これはワタクシ、トヒテたっての願いでございます。分不相応は重々承知の上ではありますが、御理解いただきたいのです』』』』』
無表情の中にも、懇願が籠められた口振り。
圧倒されて頷いたなら、トヒテたちは姿勢を正して一歩下がり、安心した様子で胸を押さえた。
芝居がかったため息の後で、一人のトヒテが一礼と共に辞す。
残ったトヒテたちは、仕切り直しとばかりに手を打った。
『『『『『さてと。里璃様には失礼なことばかりしてしまいましたが、かといって、御前の言葉を素直に受けては、御身に危険が及ぶのは必至。……幸いなことに、里璃様はとても着やせするタイプのようですし』』』』』
「!」
じっと向けられた視線の先を知り、里璃はまたも椅子の上で丸くなる。
男物のワイシャツで、だいぶ性差を感じさせない姿になったとはいえ、着ているのは一枚だけ。
なんとも心許ない装備を思い、ため息を出しかければ、先ほど退室したと思しきトヒテが静かに入室し、用心深く扉を閉めた。
そして、里璃の前まで来ると、胸に抱いていた衣服を差し出す。
受け取り、折り畳まれた中から出てきたのは二点。
『サイズは把握しておりますゆえ、問題ないかと。シャツは保険です。万が一、ワイシャツが肌蹴たとしても、それで少しは誤魔化せるはずですから……たぶん』
さらりととんでもないことを言われた。
直に触られ計られたサイズもさることながら、ワイシャツを着込んでいるのに、肌蹴る場面とは一体どんなものだろう。
だが、必要な備品ではある。
礼もそこそこに、早速身につけようとした里璃だったが、トヒテたちの無表情が雁首揃えてこちらを見つめていると知って眉を顰めた。
「あの、向こう向いて貰っても?」
『『『『『……承知致しました』』』』』
やはり変化に乏しい美少女たちは一様に頷き、里璃の言う通り、くるりと背を向けた。
――のは、良いのだが。
(妙に……間があったな)
どういうつもりなのか問い質したいところではあるが、心許ない胸元、さっさと着てしまうことを里璃は優先する。
* * *
しっかり着込んだワイシャツ姿の里璃へ、トヒテたちは黒いズボンと同色のベストと上着を差し出した。
着替えさせることを諦めた風体の彼女らは、それでも手伝いは止めず、里璃を立ち上がらせては、四肢の丈合わせをする。と同時に、襟元に作られる深い青の綺麗な蝶結び。
次いで椅子に座るよう指示されて腰掛ければ、柔らかく梳かれる髪の毛。
『綺麗な髪ですわ……それに、指通りも滑らか。……里璃様さえよろしければ、従者よりもいっそ――』
『あら、いけませんわ。確かに里璃様の御姿は絵になるかも知れませんが、方々の御婦人から恨まれてしまいますもの』
『それに御前ですし。勘違いされていても、あの御様子なのですから』
『ええ。その考えはとても危険でしてよ。里璃様は容貌も優れておいでですが……』
不意に言葉を切るトヒテたち。
注がれる視線は、厭きもせず同じ場所。服を着ているせいか、構うのが面倒になったせいか、里璃は顔だけ怪訝にトヒテを見つめるのみ。
『人体の神秘、ですわね。それとも里璃様は、服装に合わせて体格を変えられる秘技を御持ちなのでしょうか? 豊かな御胸が、こうまでぺったんこに見えてしまうなんて』
『でなければ、視覚の異常でしょう。困りましたわ、メンテナンスは終えたばかりですのに』
一人の言葉を受けて、トヒテは各々目に対して、リアクションを取り始める。
目を擦る者があれば、指を一本出して片目を交互に閉じる者があり、かと思えば遠い灯りを細めた目で見つめる者もあり。
わざとらしさのない、至って真剣で、だからこそふざけているとしか思えない仕草の数々。
目の当たりにした里璃は、なんともなしに息を吐き出した。
と、梳かれていた髪が、後ろで一つに纏められる感覚が伝わる。
『終わりましたわ』
振り向いた先には、フローライトの瞳があり、最初に里璃をここまで運んだトヒテと気づいた。
「あ……」
視線を交わせば、一瞬だけ、その目が柔らかく笑ったように見えて、話しかけ、
『里璃様、御足を』
しかし、彼女は元の無表情で、里璃の視線を足元へ導くのみ。
(見間違い?)
不思議な面持ちとなった里璃だが、逆らう意思も理由も特になく、姿勢を前に戻しては、出された黒い革靴を履いた。
* * *
フローライトのトヒテを先頭とし、他のトヒテに見送られつつ、部屋を後にした里璃。
白い廊下を想定し、開けられた扉向こうへ目を細めるが、
「……あれ?」
今までいた部屋と同じ造りの、レトロな廊下に出くわしては面食らう。
真ん丸くなった目できょろきょろ辺りを見渡せば、トヒテが小さく声を上げた。
『ああ。この廊下でございますか? 先ほど、里璃様に……ではなく、エル様に合わせて御前が改築されたのです』
「改築? この短時間で?」
『はい。御前の御力は無尽蔵ですから。里璃様に誓われた手前、制限はありますが、それでも御前はほぼ最強かと思われます』
「最強…………?」
『はい。魔法に関しても、肉体的な能力に関しても、御前と肩を並べられる御方はほとんどいらっしゃいません』
里璃の困惑へ、トヒテは当然の如く答えるが。
「…………魔法?」
現実離れした単語を問えば、トヒテがくるりと里璃に向き直る。
愛らしくも美しい相貌が傾くのに合わせ、ツインテールの巻き髪が軽く跳ねた。
『里璃様は……魔法を扱われないのですか? エル様の御親族というからには、里璃様にもゼウバライの血が流れていると御見受けしたのですが』
「エル様……って大叔母さんのことだよね? ゼウバライは大叔母さんの名字だけど、その血……って、何ですか?」
頬を掻きつつ尋ねたなら、フローライトの瞳が少しばかり見開かれた。
次いで、何かを迷う素振りで目を泳がせたトヒテ。
『立ち話というのもなんですし……御前が御待ちですので、歩きながら御答えしても?』
「あ、はい。どうぞ」
頷くとトヒテは優雅にお辞儀をし、背を向けては歩き出した。
里璃もこれに続く。
『ゼウバライというのは、ワタクシから見ても古い血族です。祖に魔人を抱えていると噂されるほど、ゼウバライの姓を持つ方々は、強い魔力を備えてらっしゃいます。ヒトの言葉で表すならば、魔法に関しては、由緒正しい御家柄、とでも申しましょうか』
「いや、あの、前提で魔法があるところから、教えて貰っても良いですか?」
おずおず手を上げて言えば、トヒテはしばらく沈黙し、後。
『魔法というのは、様々な現象を具現化させる能力のことですわ。通常、ヒトで魔法を扱えるのは、血筋に魔力を残された一族だけ。つまり、御前のように魔力を持つ方と交わり、孕んだ子から伝わっていきます』
「……はあ」
分かったような分かってないような声が里璃の口から漏れた。いや、理解できているのだが……理解したくない、と言った方が正しいかもしれない。
何せ、自分の先祖は人間ではないと言われたも同然なのだ。
引いては、里璃まで人間の枠に嵌らないという話になる。
長年、自分は多少周りと容姿の配色が違うだけの凡人、と思っていた里璃にとって、トヒテの話は青天の霹靂だった。
トヒテはそんな里璃の機微を汲まず、一定の速度で歩みながら先を続ける。
『里璃様はエル様と親族関係だと聞いております。なればこそ、ゼウバライの血も引き継がれていらっしゃるはず。ですから、魔法を扱われると、ワタクシは思っておりました』
「んと、じゃあ、大叔母さんは……本当に魔女だったの?」
『魔法を扱う者をヒトはそう呼ぶのでしたね。里璃様はヒトですし、ここはjaとお答えすべきなのでしょう』
「……え」
唐突に知らぬ発音が出てきた。
戸惑う里璃の気配を察してか、振り向きもせずトヒテは応える。
『……はい、と』
「そ、そうなんだ…………何語?」
『確か、独逸語だったかと』
「…………なんで?」
『なんとなく、です』
しれっと答える機械的な声に動揺はない。
逆に里璃の方が困惑を続け、これに背を向けたままのトヒテは淡々と言葉を続ける。
『そもそも、こうしてワタクシが語る言葉は、里璃様の知るヒトの言葉ではありません。これは御前にも当て嵌まる御話ですが』
「へ? じゃあ、私は――」
『御安心下さい。里璃様はまだ、Japanischで御話しされていらっしゃいます』
「…………まだ?」
引っ掛かる物言いに小首を傾げたなら、トヒテの歩みが止まった。
続いて止まれば、くるり、トヒテが振り返る。
『到着いたしました。この先で御前がお待ちです。後の詳しい御話しは、御前から御聞きくださいませ』
「はあ……」
す……と優雅に示された先の扉を見て、里璃はぽかんと口を開けた。
自分の身長よりだいぶ高く、横幅もある、観音開きのソレ。
(なんて……実用的じゃないんだろう)
中世の王侯貴族の優雅な暮らしは、テレビその他で想像するばかりだが、実際目にしての感想は浪漫の欠片もなく、無駄が多いな、という感心のみ。
どうやって開けるのかと眉を寄せれば、突然、内側から勝手に扉が開き出した。
「……あ、そっか。王族なんだから、誰かが開けてくれるんだ」
妙な納得をして、一つ頷く里璃。
ごくり、喉も鳴らし、足を踏み出そうとし、
『そうそう、里璃様?』
いきなり出鼻を挫かれ、開く扉の明かりを感じながらトヒテを見た。
両手を前で揃えたトヒテは、小首を傾げて言った。
『もう御承知と存じますが、御前にせよ、ワタクシにせよ、この屋敷内、引いてはこの区域内自体、里璃様と同じヒトはいらっしゃいません。ですから――』
一瞬、部屋の明かりに陰り、フローライトの瞳が笑う。
『御前の申し出は御受けした方が御身のためかと。魔法も扱えず、御加護もない里璃様では、この屋敷外へ出られて御無事で在らせられる、という保障はございませんので』
「!?」
それはどういう意味?
問い掛けた言葉は。
「…………この、匂いは?」
鼻腔を擽り、腹をくぅと鳴らす馨しい薫りによって、打ち消されてしまった。




