第4話 トヒテ
機械的で涼やかな声音のトヒテ、その表情は声そのままの無表情ではあったが、容姿はそこらでお目にかかれないほど整っていた。
絶世の美少女、と評すべきだろうか。
尼僧の如きシックさを誇る、ほっそりした濃紺のメイド服。ヒールの低い靴を履く足のラインは、ストッキングに包まれていても形良く、禁欲的な服装にしては妙な艶っぽさを感じる。
白いレース仕立てのカチューシャを着用した、俗に言うツインテールの巻き髪は漆黒。滑らかな肌を彩る瞳は、黒曜石を思わせる長い睫毛の陰を知らぬ、フローライトの輝き。唇は淡い紅で、薔薇の花弁の如く、ふっくらしている。
前に揃えられた手の先では、清潔感のある爪が長くも短くもない、絶妙なバランスで切りそろえられており、
(……ビスクドールみたい)
蕩けた思考で里璃はそんな感想を抱く。
甘い顔立ちは言わずもがな、纏う雰囲気がアンティーク独特の気品を感じさせた。惜しむらくは、その鉄仮面染みた無表情。
少しでも笑めば、場が華やぎそうなのに。
「ねえ、トヒテさん」
『はあ……申し訳ございませんが、サトリ様。ワタクシに敬称は必要ございません。トヒテ、とお呼びいただければ幸いです』
「あ、はい。じゃあ、トヒテ、私のことも里璃だけで――」
『承りかねます。サトリ様は御前の従者。形代のワタクシよりも、位の高いお方なのですから』
単調な声音に変化はないが、頑として譲らない気配が伝わってきた。
気圧された里璃は、それでも諦めきれず口を開きかけ。
「……はれ? と、トヒテが一、二、三……湯中りしちゃったかな?」
ぞろぞろと扉から同じ美少女面が入ってきては、自分の頭を心配する。
これに対し、最初に居たトヒテの横へずらりと並んだ彼女らは、一斉に口を聞いた。
『『『『『それは大変ですわ。御召し物の用意が整いましたので、早速、御着替えを』』』』』
「う……目だけじゃなくて、耳もやられたのかな?」
同じ声、同じリズムで、同じ顔から発せられる言葉。
現実逃避するようにバスタブへ沈もうとした里璃は、途中で彼女らに捕まり、あれよあれよと言う間に引き上げられ、身体をふかふかのバスタオルで拭かれていく。
ふらつけば、いつの間にか用意されていた椅子に座らされ、水気のなくなったところへ香油が塗られた。
まるで下味を付けられているような身の上だが、抵抗する気力も湧かない。
なにせ、同じ顔がてんでばらばらな動きをしているのだ。
自分一人が裸を晒している状況を恥ずかしがるより、混乱の方が勝っていた。
(……もしかして、悪い夢でも見てる?)
ふと思い当たる事象。
奇妙な夢ではあるが、夢ならば今までのことは全て説明がつく。
だって夢だ。
何でもありの夢なのだ。
幾ら記憶が関係していると聞いたことがあっても、こんな場面を想像するような記憶に覚えがなくても。
これは絶対、夢に違いない。
新たな逃げ道を見出した里璃は、トヒテたちの動きを捉えつつも、心の中でそうなんだと言葉を繰り返す。
きっと兄を追っ払ってから、知らない内に寝てしまったんだ。
だから本当の私は自宅の居間で、広げた雑誌の上に突っ伏して寝ているんだ。
もしくは、ソファの肘掛けに頭を乗せ、首を限界まで曲げて寝ているんだ。
寝相が悪いから、こんな妙な夢を見ているんだ。
そうだ、そうに違いない。
あの白仮面も言ってたじゃないか。
大叔母さんの名前を。
彼女が用いた私の呼称を。
あれは大叔母さんのことを思いながら眠ったせいだ。
魔女だって言っていたのを思い出して寝たから、こんな不思議な夢を見ているんだ。
無理矢理にでも、そう、思い込もうとして――
ふにゅっ
「うひぁっ!?」
都合の良い逃避に耽っていた頭は、脈絡もなく胸を掴まれ覚醒してしまった。
夢だ湯中りだといった言葉も忘れ、下だけ着せられていた身体を椅子の上で小さく縮ませる。
「な、ななななな……何をぉう!?」
動揺を上手く言葉に出来ず、腕で庇った胸を足でも庇い、トヒテらを睨む。
すると、その内の一人、里璃の胸を掴んだトヒテが、妖しくやわやわと手を動かし、他のトヒテを見渡した。
『見ましたか? この弾力、柔らかさ、御肌のハリ……間違いなく、本物ですわ』
「か、確認することですか!?」
素っ頓狂な声を上げる里璃を尻目に、宣言を受けたトヒテたちはざわめいた。
『そんな……リリ様は女性ですの?』
『ですが、御前は殿方だと』
『行き違いがあったのでは? リリと御前は仰っておりましたが、この御方は御自分の御名前をサトリと訂正されていましたし。……御報告すべきでしょうか?』
『いいえ。それはどうでしょう。御前は殿方だからこそリリ様、もとい、サトリ様を従者に望まれたのです』
『そうですわね。……もしもリリ様、もとい、サトリ様が女性と御知りになられたなら――』
ここでずらり、トヒテたちの無表情が里璃へ向けられた。
びくんっと跳ねつつも、里璃は迎え討つように問う。
「な、何なんですか、一体!?」
『『『『『いえ』』』』』
素晴らしく、息ピッタリ、一斉に首を振られてしまった。
そうしてまた、コソコソヒソヒソ話し合いをする始末。
上半身裸のまま捨て置かれた里璃は、椅子を濡らさぬよう掛けられていたと思しきタオルを身体に巻く。
話し合うのは結構だが、その前に何か着る物を渡して欲しい。剥ぎ取られた服はどこかへ持っていかれたらしく、上着の類は里璃の視界に入らない。
変わりに分かったのは、この部屋の内装。
丁度、開いた扉の陰に位置するバスタブを右とし、左を見やれば緞帳のような赤い布に囲われたダブルベッドがある。
天蓋付という、乙女の夢だのなんだの言われる代物だが、四方の壁に設置された、蝋燭のような儚い橙の室内灯に照らされては、妙に艶かしく映った。
ベッドの先には赤いカーテンで覆われた壁と、金の装飾の施された白い衣装箪笥が存在し、トヒテが団子状に固まった前方の壁には、絵画が一点、ベッドと正反対の位置に設置されている。
全体的にくすんだ色彩は、だだっ広い床を覆う、毛足の長い赤の絨毯にも及んでおり、どこまでも徹底したレトロな洋風っぷりが、ちょっぴり物哀しい。
(……白いご飯と味噌汁が食べたいな)
あまりにも自宅と程遠い環境を思い、小腹の空いてきた里璃は、慣れ親しんだ食事を思う。
(贅沢を言えば、焼き魚か煮魚、お新香と副菜を二、三品付けて)
「そういや、今日の晩ご飯はカレーライスだったな。あー、カレー……っくしゅ」
美味しい感覚を舌に転がした途端、襲ってきた寒気にくしゃみを一つ。
すると今まで話し合いに熱中していたトヒテたち、慌てたように里璃の下へ馳せ参じ、口々に勤めを放ってしまった謝罪を伸べた。
次いで有無もなくバスタオルを剥ぎ取ると、着替えを再開させる。
しかし、男物のワイシャツを羽織らせた時点で、全員がぴたりと止まった。
里璃の両腕を押さえたまま、全員が全員、一所を注視。
前だけ肌蹴た状態に羞恥が高まる。
「ちょっ、何をまじまじとっ!?」
押さえつけられた腕の変わりに足を引き上げれば、その両方がぐいっと下へ引っ張られた。
顔を背けても、左右上下、同じ顔がずらりと並び、皆同じ角度で同じモノを見ていると知っては、自分がいたたまれない。
一種の拷問に近い状況。
感じていた寒気すら沸騰しそうな思いに霞み、どうにか動こうと試みても、里璃をここまで運んだトヒテの腕力と、彼女らの結束の前では無意味に等しく。
「もうっ、は、放してください!――じゃないっ! 放せっ! 見るなぁっ!!」
こうなっては敬語もへったくれも在りはしない。
半ば泣き叫ぶように訴え怒鳴り散らす。
しかしてトヒテたちに変化はなく、彼女らを威嚇する里璃が分かったのは、同じ顔のトヒテたち、瞳の色は各々違うという、この場では全く役立ちそうにないことだけ。




