英雄・江川英龍の死②
「越、たい、来てくれたのか。」
布団から起き上がることもできなくなった兄は、顔だけ向けて義姉と私の名を呼ぶと、ほんのわずか顔を綻ばせた。
蒼白の顔色、頬はこけ、白髪が増え、髭が伸びた兄を見て私は言葉を失ってしまったが、義姉はそっと英龍の手を取り、
「お元気そうで安心いたしました。」
と微笑んだ。
「そうか、越からも元気に見えるか。やはり越が一番わしのことを分かってくれるな。
自分でも今日は気分が良いと思ったのだ。良かった、これで明日にでも城に行けるな。」
兄は義姉の嘘を喜んだ。兄が一番欲していた言葉を掛けられる義姉はさすがである。
「とんでもない!!」と叫びそうな医師を私は視線で制し、
「では兄上様、義姉上様、私はお医者様に看病の手順を教わってまいります。義姉上様、兄上様をよろしくお願いいたします。」
と言いおいて部屋を辞し、わずかな時間でも二人だけで過ごせるようにしてほしいと、医師や家臣達に頼んだ。
妻や妹に会えた喜びからか、兄は一時的に回復の兆しを見せた。家の中だけならほんの少しだけ、支えがあれば歩ける程度に。
大小を腰に差し、背筋を伸ばして毅然と歩く兄の姿を見慣れた者としては複雑だが、これから少しずつ回復してくれればよいと皆が願った。
今回の病は、働き過ぎの兄に『休め』との神仏のお達しだったのではないのかと。
これを機に、兄にはもっと自分を大切にしてもらいたい。
川路様から「何とか無事にロシアと和親条約を結ぶことができた」と便りが届き、手紙を読み終えた兄は「一つ肩の荷が降りた」と笑顔も見せた。
兄のためにと江戸中の蘭方医が訪れ治療にあたった。兄と旧知の仲の医者だけでなく、幕府や大名家からお抱えの医師が派遣され、交代で診ている。
その医師の方々も家臣達も、ここ数日の兄の回復ぶりを見て安心していたのだが…。
英龍の病を治すために多くの医師がやってきたり、三嶋大社で神楽を奉納したり、加持祈祷も行われたり…。
英龍を慕う人々も必死でした。




