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矢田部郷雲

 一方、英龍が肝入りで迎えた蘭学者が矢田部郷雲である。


 天保14年に江川家に召し抱えられた郷雲は武蔵国勅使河原村(てしがわらむら)(埼玉県児玉(こだま)上里(かみさと)村)の出身で江戸の蘭学者・坪井信道(つぼいしんどう)に入門ののち長崎に遊学したり小田原藩に仕えていたりしたが、己の才能を遺憾(いかん)なく発揮させてくれる主君を探していた。


 天保13年4月、兵糧として保存性の高い『乾パン』を製造したい、パンの作り方を知っている者を招きたいという英龍の提案で白羽の矢が立ったのが郷雲であった。


 郷雲は驚くほど多才な人物で、蘭方医として医学にも造詣がありながら砲術にも詳しい上に腕も良く、砲術も銃術も韮山で学んだ者達の中でも上位に入るほどだった。反射炉もお台場の翻訳も、郷雲が中心となった。


 郷雲は特別に英龍が公費ではなく私費で雇った手代であるが、こなした高度な仕事の分だけ報酬を要求するしたたかさを持っていたため、江川家に絶対的な忠誠を誓う総蔵とは互いの技量は認めつつも相容れなかった。


 その二人の間に大らかで物事に動じない大象が入ることで、なんとか均衡が保っていた。そのような三人三様の優秀な家臣達は8月1日、韮山を出発した。


 結果は残念ながら、オランダから『最重要の国家機密』だから無理だと教えてもらうことはできなかったが、三人はただでは帰らない。蒸気船について学べるだけ学ぼうと、オランダスームビング号の艦長・フハービウスに詰め寄った。

坪井信道の日習堂に在塾中から郷雲が取り組んで弘化2年に完成した『撒羅満氏産論抄書さろまんしさんろんしょうしょ』から技法を学んた伊古田純道いこたじゅんどう岡部均平おかべきんぺいが、嘉永5年、飯能の(はんのう)(埼玉県)山中で行ったのが我が国初の帝王切開手術だそうです。

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