柏木総蔵と望月大象
望月大象は、柏木林之助事件で殺された望月鵠助の甥にあたる。
鵠助の妹が江川家と縁を切って嫁いだ先で生まれた次男で、伯父に会ったこともなく伯父が殺害されたことも母の身の上のことは何一つ知らずに育ったが、天保10年、剣術を学ぼうと道場の門を叩いた日から人生が一変した。
偶然にも大象が叩いたのは、斎藤弥九郎の『練兵館』だった。
鵠助が殺された後、鵠助に子がおらず望月家は絶家となってしまっていた。忠臣・望月鴻助の家を断絶させたくない英龍は、行方知れずとなっていた鵠助の妹を探していたが長年見つけられずにいた。
それがまさか向こうから縁を繋いでくれた不思議に感謝し、英龍は大象と共に鵠助の妹に挨拶に行き頭を下げ、大象に望月家を再興してほしいと嘆願した。
大象は悪い話ではないと思い快諾した。
3年後の天保13年、江川家の役所に行った時、温かく迎えてくれる面々の中にただ一人、自分に深々と頭を下げる若者がいた。
「貴殿の伯父上を殺めたのは私の兄です。母君にも多大なご苦労をおかけしたことをお詫び申し上げたい。」
大象は自分とさして歳の変わらぬ若者に謝罪されることを不思議に思っていると、若者が語った。
「私と兄とは親子ほど歳が離れておりました。兄は江戸、私は韮山におりましたが、兄の罪を忘れた日はありません。」
「お待ちください!」
大象は若者の謝罪を聞いていられず、思わず言葉を遮った。
英龍が挨拶にきたあと事件の詳細を息子達に打ち明けた母から、伯父が殺されたのは大象が3~4歳頃だったと聞いた。
ではこの若者も事件当時、自分とたいして変わらぬ子供だったのではないか。
「お身内の犯罪ではあっても、当時子供だったあなたには責任はないはずです。」
「しかし、」
「あなたは何も悪くない、俺や母はあなたやそのご家族を恨んだりしていません。伯父を知らない俺はあなたと『被害者側と加害者側』の関係になりたくありません。」
大象が強い口調で若者に詰め寄った。大象にはこの若者が長い間罪悪感に苛まれていたことは容易に想像がついた。。
「大象の言うとおりだ、総蔵。」
二人のやりとりを見守っていた英龍が総蔵に声を掛ける。
「そなたがずっと林之助の罪を自分で背負うつもりで生きていたことを知っている。被害者が皆この役所の関係者だったからなおさらな。
遺族がいくら「総蔵には罪がない」と言っても聞く耳を持たなかったな。
でも、もう自分を赦してやっていいはずだ。大象が赦したことで、もう全ての遺族から赦しを得たはずだ。」
「殿様…、望月殿…。」
総蔵の目からが涙が溢れ出た。8歳の頃からずっと背負ってきた、加害者の弟という重い枷を、ようやく外すことを赦された。
「ありがとうございます。ではこれから同僚としてよろしくお願いいたします。私は柏木総蔵と申します。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
悪夢のような凄惨な事件から11年、総蔵だけでなく英龍もまた『望月鴻助の忠死』から長く続いた因縁から解き放たれたような清々しい気持ちになれた。
この『加害者の弟』と『被害者の甥』はのちに、遠因となった江川家の子孫である英龍のもとでその才能を伸ばされ、江川家の双肩として英敏・英武兄弟を支え江川家を守り続けるのである。
フィクションのような本当の話。




