黒船来航①
その日は突然やってきたわけではない。
嘉永6(1853)年6月3日、浦賀沖にマシュー・ペリー提督率いるアメリカ艦船4隻が来航した。うち2隻は、誰も見たこともない、ごく一部の有識者ですら知識としてしか知り得なかった最先端の技術の結晶『蒸気船』であった。
今まで見たことのある大型帆船と明らかに違う、大きな外輪が付き煙突からもうもうと煙を上げている『黒船』に、人々は恐れおののいた。
しかし幕府上層部は、アメリカが脅しを多分に含んだ来航を目論んでいることを1年前にオランダ商館長・ヤン・ドンケル・クルティウスから『風説書』にて忠告してもらっていて事細かく知っていた。
さらにオランダは、「アメリカが来るより先に日蘭で条約を結ぶべきである。そうすればそれを批准にアメリカと交渉できるようになる。
我が国は旧知の仲である日本に不利な条約は提案しない。アメリカに脅されて不利な条約を迫られるより良い結果になるはずだ」と日本にとってありがたい提案を『再び』してきてくれた。
しかし譜代大名や海防掛らは通商反対派が多数を占めていたため、オランダには返事することもなく、この情報は上層部に留め置かれて浦賀を守る現場の与力などには伝えられることはなかった。
何も知らされていなかった現場が右往左往するのは分かる。だが情報を知っていたはずの幕府上層部がうろたえるのは解せない。
悪いことは重なる。ペリーが来航したその時、将軍家慶は死の床にあった。
この窮地に困り果てた老中・阿部正弘は大坂への左遷人事から勘定奉行に出世していた川路聖謨を呼んだ。
「今こそ韮山代官、江川太郎左衛門をお召しくださいませ!」
「う~む、しかし江川は自分を取り立ててくれた水野殿を上様に訴えただろう?」
(!)
川路は阿部が『大塩の手紙』に始まる一連の騒動を、英龍が大奥を使って上様に訴えた件を知っていたことに驚いた。
阿部はまだ若いがとても有能な老中である。寺社奉行として水野忠邦の下に付いていた頃、11代将軍・家斉の側室・お美代の方とその父・日啓を断罪するために、大奥に通ずる優秀な協力者を抱えて今に至る。
「江川の見識は認めよう、だが本当にその人柄を信じてよいのか?」
「それは阿部様ご自身で江川を見極めてくださればよろしいと存じます。」
「会ってみれば分かる、と?」
「はい。3年前、イギリスのマリナー号艦長のマチソン中佐の心を開いた男です。
内政は我らが死力を尽くしますが、外国に関しては彼を置いて他におりませぬ。」
英龍の情報提供者…斎藤弥九郎(剣術ネットワーク)
大慶直胤(刀工ネットワーク)
遠山の情報提供者…勝小吉(不良ネットワーク)
江戸町の鳶の親分ら顔役
みたいに、優秀な官僚はそれぞれ部下以外にも協力者を抱えていた。
英龍は『大場の久八というヤクザの大親分』も改心させて協力者としたけれど、小説内で書ききれなかった…。




