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高野長英

「さて、最後の『後始末』をつけなきゃな。」


 『仇討ち』から4年後の嘉永3年の秋、遠山は煙管(きせる)の灰を落とすと部下に告げた。

 

 逃亡を続けていた高野長英が江戸の町に戻っており、偽名を使って青山百人町(南青山五丁目)に潜伏しているという情報が入ったのだ。


「いくら不当な判決から始まった不幸とはいえ、『切り放ち(災害などで命の危険があるとき一時的に罪人を解放し危険から遠ざけること。期日までに戻ってくれば罪を減刑、そのまま逃げたら戻らなければ死罪)』という人道的な配慮を悪用して放火した罪は重い。

長英に(ほだ)されて放火の実行犯となった栄蔵はすでに火あぶりになっている。元凶を見逃しちゃおけねえ。」


 長英と面識のない部下達ですら戸惑いの顔をするのを見た遠山は、英龍が悲痛な表情を浮かべる様子が容易に想像できた。

『御用』は『生け捕り』が絶対で、長英の末路は『拷問の末の火あぶり』である。


 遠山は部下達に発破をかけた。

「せめてもの情けだ。一太刀で楽にしてやれ。」



 高野長英は天保12年に永牢(終身刑)の判決が下って伝馬町(てんまちょう)牢屋敷に収監された。

 蘭方医の第一人者であった長英は、服役者達の治療にその腕を惜しまず使ったことで『牢名主』として尊敬を集めるようになった。

 さらに獄中でもこの国を憂う気持ちは褪せることなく、牢番の役人から得た時事情報を分析し、赦免(しゃめん)の日を待ち望んでいた。

 しかし一向に風向きが良くならないことに業を煮やし、ついに脱獄を決意する。その頃には牢番の栄蔵が長英を心酔するようになっていた。


 長英は栄蔵を見込んで放火するように指示を出した。栄蔵は長英を解放することこそがこの国を救う最善の方法だと信じ、己の命を捨てて放火を実行する。そして慣例通り『切り放ち』が行われ、同じく牢屋にいた本庄茂平次は帰ってきたが、長英は三日後に帰ってくるという掟を破り逃走した。


 その後は蘭学者仲間やその支援者のもとを転々としたのち、母との再会を果たす。

 そして蘭学及び開国に理解ある宇和島(うわじま)藩主(愛媛県)・伊達宗城(だてむねなり)に庇護されて、偽名を用いて蘭学書の翻訳や砲台の作図などをしていた。しかしその見識の高さが長英だということを露見させてしまい、ここも出て行かねばならなくなった。


 嘉永2年に顔を硝酸で焼いて人相を変えて江戸に戻り、沢三伯(さわさんぱく)の偽名で町医者を開業する。しかしここでも医療技術の高さで長英だと見抜かれてしまった。


 何もせず、ただ一日一日が過ぎるのを待てば露見することなく命を繋ぐことができたかも知れない、それでも長英はこの国のため、その知見を余すことなく世に遺すことに固執した。


 10月30日、南町奉行・遠山景元配下の同心や捕り方達が長英宅に踏み込んだ。



「申し訳ありません。一太刀で、とはいきませんでした。」

 

 部下から事の顛末を聞いた遠山は、部下を叱責することはなかった。


「仕方ねえさ、奴はそれだけ生きたかったんだろうよ。」


 長英の抵抗はすさまじく、荒事に慣れた武士でさえその気迫に圧されてしまうほどだった。長い牢獄生活や逃亡生活で実年齢とかけ離れるほど痩せ衰えているように見えたのに、メスを振り回す長英になかなか致命傷を与えることができず結果は惨殺となってしまった。


 それでも拷問の末の火あぶりよりはましであったと思いたい。



 遠山は『憂国の士として、無実の嫌疑で永牢とされた無念を考慮して』罪一等を減じて火あぶりから死罪にした。長英の遺体は『焼く』のではなく、『首を落とす』判決となった。あまり変わらないように感じられるが、『特別に減刑した』という事実が、長英を慕う者達へのせめてもの救いとなるようにとの配慮である。


 墓を建てることも許されない長英の遺体を密かに引き取ったという日本橋の薬屋・神崎屋を訪れた英龍は、涙を堪えることができず嗚咽(おえつ)をもらした。

 神崎屋の主人は長英と同郷の陸奥国(むつのくに)水沢(岩手県奥州市水沢)出身で、長い間長英を支援していた理解者であった。


 

 隣にいた遠山は、長い時間どこか遠くを見つめていたが、やがて強い口調で英龍を叱咤(しった)した。


「阿部殿に冷遇されているからといって腐ってる暇はないぞ、江川。」


 水野忠邦が二度目の失脚をした後を継いで筆頭老中となった阿部正弘により、親水野派と見なされた英龍は鉄砲方を罷免、川路は左遷という懲罰人事をくらっていた。


 幡崎鼎に始まった蘭学者の弾圧のせいで、外国との力の差は広がる一方である。焦っても静観しても、事態が良くなることがない。


 英龍はとてつもない無力感に襲われていた。自分の身を投げ売って崋山先生や高島先生、長英を助けることができたなら、少しはましな未来があったのではないかと思えて仕方ない。その心を遠山に見透かされたのだ。


「阿部殿やその側近・松平近直(まつだいらちかなお)殿はな、恐れているんだよ。お前が正しいと分かった時に、お前を冷遇した過去の自分に向き合うことをな。」

「なんですか、それは。」

「自分より優秀で自分よりずっと立場が低い者を認めるってのは、誰にでもできることじゃねえんだよ。その点、水野殿は上に立つ者としては優れていたな。」

 

 天保の改革の時は水野と対立した遠山だが、互いに認め合うところもあったらしい。何より、二人とも家慶の目指す理想の国家論に同調していた。


「上のやつらがつまらない意地を張ろうとも、外国からの脅威は刻一刻と迫っている。水戸の斉昭公が振りかざす『攘夷論』も若い下級武士達の間で広まり始めている。外からも内からも、幕府は今以上に責められることになる。

近いうちにお前の存在がこの国の中心に必要とされる時が来るだろう。自信がないなんて弱気なことは言わせないぞ。崋山や長英に顔向けできるよう、お前がしなくてはならないことがまだたくさんあるはずだ。」


高野長英は崋山や秋帆と違い、どうしても実刑は免れなかったと思うけど、英龍はせめて減刑や恩赦などで助けられないか考えていたと思います。


そんな長英と英龍はなんと、『直接交流していた』記録がないらしい…。間接交流はがっつりしてたと思うけど。

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