将軍・家慶①
数日後、家慶が任子の部屋にやってきた。息子家祥と任子が頭を下げて迎える。
「楽にしてよい、今日は見舞いだからな。体調はいかがか?」
「御心配いただきありがたく存じます。皆が心のこもった世話をしてくれるおかげで、いくらか元気が戻ってまいりました。」
元気になったと言っているが任子の顔色は優れない。すっかり痩せ細ってしまい、床につけた両手は震えている。
家慶はその震える手の中に書状が伏せられているのを見つけた。
「その書状は余に宛てたものか?見せてみよ。見舞いの席で咎めたりはしない、安心せよ。」
任子がほっとした表情を浮かべ書状をそっと家慶に差し出す。痩せた小さな青白い手から受け取った書状を開いた家慶は、その内容の深刻さに驚愕した。
(なんだこれは…!!無実の者を『謀反』で裁く?幕府重鎮や諸大名、公家達の不正無尽?水野や水戸、林大学頭と大塩との癒着?この国難の時期にこんなことが行われていたなんて…!)
家慶は思わず怒りの声を上げそうになったが、手紙の下から任子の震える細い指先が垣間見え、どうにかとどまった。任子を怖がらせてはいけない。
手紙をそっと懐にしまい任子に再び向き合うと、家祥が任子の肩を不器用に抱いている。
家祥には障害があり、人に心を開くことがほとんどない。家慶の息子の中で成人したのは家祥一人だけなので血筋だけなら次期将軍だが子も望めない。それでも家祥は任子を大切に慈しんでいる。
家慶は目に熱いものが込み上げてくるのをぐっと耐えた。
「この手紙、しかと受け取った。これをそなたに託した者を咎めたりもしない、安心せよ。
そしてこの手紙を書いた者とこの場を用意してくれた者達に『よく知らせてくれた、感謝する』と伝えておいてほしい。
今日はもう疲れたであろう、ゆっくり休んでくれ。家祥、妻を大切にするのだぞ。」
と言い残すと、家慶は任子のために滋養ある食事や薬を惜しむことのないようにと医師に指図してから帰っていった。
こうして英龍の書いた告発の手紙は、無事に将軍の手に渡った。
「この手紙に書かれているすべての事件のウラを取れ。」
夜、人払いをした家慶は小姓の権太泰従に静かに告げた。
将軍に付く小姓は政治絡みの発言は御法度であるから、権太は友人の英龍や川路が苦しんでいても家慶に上申することができなかった。
ようやく彼らの苦難を解決する糸口ができたと、権太は友人達の策の成功を心の中でそっと喜んだ。
御庭番衆の出番です。登場しませんが。




