御簾中としてできること
その日の夜たいが辞したあと、任子が一人泣いていたことは誰も知らない。たいから手紙を託された時、任子の心を塞いでいた分厚い雲を割る光芒が射したのだ。
任子は21歳、天下一の江戸城の大奥で頂点に属し、花ざかりだというのに身体は鉛のように重く胸が塞ぎ、もう二度と元気になることはできないのではないかと嘆く日々を淡々と過ごしていた。
豪勢な食事や贅を尽くした華やかな衣装…、飢えや貧しさとは程遠い、誰もが憧れるような生活を送っているのに任子には自分自身を誇れるような、生きがいを感じられるようなものが何もなかった。
夫・家祥は生まれつき障害があり、子を成すための行為が完遂できない。徳川将軍家という重責を共に背負う同士として、家族として、互いに歩み寄り支え合っている自負はある。
それでも恋という感情も、我が子を夫とともに慈しむという幸せも、今生で経験することができない虚しさに押しつぶされそうになっていた。
でも今日たいから手紙を託された時、自分にしか成せないことがあったのだと心の中でひそかに歓喜した。
体調が優れない主に負担をかけまいと、お側仕えの者達は政治や市井の窮状を任子に知らせていない。それでもたいの兄が水野殿に重宝されていたことは知っている。
たいの人となりを見れば、その兄の人柄も想像がつく。
自分にもこの身分に恥じぬ善行がたった一つでも遺せる可能性ができたのだ。私にも誰かの未来を救う手伝いが出来るかもしれない。残りいくばくかも分からぬ命でも、今はあってくれて良かったと心から思えた。
任子は舅である家慶を敬慕していた。
家慶は、家祥が子を成すことを待ち望むよりは自分の方がまだ可能性があると、自らも健康が優れぬうえに重責に苛まれた日々を送っているのに、51歳となった今も後継者作りに取り込んでいるという。
それはもはや色欲などではなく、息子夫婦の負担を軽減しようという、家長として、国を背負う国父としての矜持であろう。
だから手紙を家慶に渡すことは緊張はしても怖くはない。
任子は久しぶりに晴れた心地で眠りにつくことができた。
家祥の描写は難しい…。障害と言っていいのかどうか。
気分を害された方がいらっしゃったらすみません。




