義姉と妹の絆
兄の部屋を辞したあと、私は久しぶりの里帰りでようやく会えた義姉と膝を並べて茶をすすった。
「大塩が富士宮にいるという噂を聞いた殿様が変装して隠密調査に行っている間、私は家の者に殿様の不在を気づかれないように、毎日二人分の食事を食べていたのよ。日頃から粗食に慣れていたからたくさん食べるのは大変だったわ。でもちゃんとお役目は果たせたわよ、皆をだまし通したわ。」
と義姉・越様は朗らかに語っているが、なかなかに肝の据わった話である。
義姉が我が家に輿入れした日、楚々として美しく優しそうな方で、この方ならきっと兄を幸せにしてくれるだろうと思った。
私はいわゆる『お兄ちゃん子』だった。甘えん坊の私の行く末を心配した兄はお稽古事には厳しかったが、普段はとても可愛がってくれた。
絵が得意な兄は私が嫁ぐ時に牡丹の花と孔雀を描いた衝立と、山桜を描いた小屏風を贈ってくれた。小屏風の裏には龍が描かれていて、きっと離れても私を護ってくれるつもりで自分の分身の龍を描いてくれたのだろう。
兄にも義姉にも幸せになってほしかった。質素な着物をまとい手も荒れてずいぶん逞しい性格になった義姉を見て、思わず謝罪の言葉がこぼれ出た。「苦労をかけて申し訳ない」と。
すると義姉は口を押さえてくすくすと笑った。
「殿様と同じことをおっしゃるのね、さすが兄妹ね。心配してくださるのは嬉しいわ、でも大丈夫よ。
殿様は人を見た目で判断する方ではないから、私が歳をとって多少くたびれてしまっても妻として変わらずに大切にしてくださっているのが分かるから。
あかぎれがあるこの手のことも「家庭に尽くしてくれる尊い手だ」と褒めてくださったの。
殿様は『世直し大明神』と呼ばれるほど民に慕われておられるでしょう?
私も『神の妻』にふさわしくなれるように精進しなくてはね。」
ああ、この方が兄の妻になってくださって本当に良かったと、私は心から感謝した。
きっと兄が一番つらい時も、こうして受け入れて前向きな明るさで支えてくれたのだろう。多少のろけられてしまったが、義姉も幸せそうで私も嬉しくなった。
兄は「今は皆が苦しい時。上に立つ者が率先して辛苦を味わわなければ民の心は救われまい」と、常日頃から誰よりも質素倹約を心掛けている。着物は自ら当て布で補修して、箸なども自作して長いこと使っている。皿や茶碗が割れれば金継ぎで補修する。娘の硯箱も頂き物の菓子の箱に兄が絵を描き足したものだ。
使用人が少ないから庭の草も伸び放題、義姉は自ら畑を耕して野菜を作っている。障子が破れたら反古紙を貼っているので、晴れた日の昼間でも部屋が薄暗い。畳も何年も替えていないため、着物や足袋にくずが付いて払うのにひと苦労である。
心では贅沢に慣れることなく清貧に暮らそうと思っていても、大奥というこの国で一番華やかな場所にいるうちに、私もずいぶん贅沢に染まってしまっていたらしい。兄や義姉の、ぎりぎりまで身を削る本気の倹約を目の当たりにして私は己を恥じた。
「殿様はご自分では気づいておられないけれど、感情がお顔に出るのよね。おたい様にお会いになる前、眉間に深いシワを寄せてずいぶん悩んでいるご様子だったわ。おたい様に何か言いづらい話でもあったのかしら?」
兄は件の手紙について、義姉にも話していなかったらしい。私が何と言おうか迷っていると、
「あのお顔は怒っているのではなく心配しているお顔だったわ。きっとおたい様を心配するようなことがあるのね。」
「…。」
「おたい様はお元気そうだから、身体の心配ではなくお仕事のことかしら?」
「…。」
「おたい様がお仕事に苦しんでいるわけでもなさそうね。
では殿様は大奥にいるおたい様の何を心配されているのかしら?」
「…。」
「殿様と大奥の間に、おたい様を心配するような事柄があるとは考えにくいわね。」
「…。」
「では大奥というより将軍家の方々が関わるお話かしら?」
…義姉が鋭い。
「殿様はおたい様に将軍家のお方に取り次いでいただきたい事柄がある…?」
義姉上様、鋭すぎませんか?
「それならばきっと高島先生のことね。
殿様は高島先生に崋山先生や幡崎先生を重ねてしまっておられるわ。今度こそは必ず救い出して見せると意気込んでもうまくいかなくて、とても苦悩しておられるの。
だからもう上様に決着をつけていただきたいのね。
ご自分ではいろいろしがらみがあって上様に上申することができないから、大奥で将軍家の方々にお会いできるおたい様に頼みたいのね。」
…義姉は私や兄が何も言わずとも答えを導き出してしまった。
高島先生を救い出せなければ、兄は一生自分を赦せずに苦しみ続けるだろう。兄の心の叫びを上様に一番印象良く、印象深く渡すには…。
私が誰にも介入されずに直接上様に手紙を渡そうか。
『妹が禁を破り危険を冒してまで訴えた』と、うまく美談にしてしまえば、慈悲深い上様のこと、きっと兄の訴えを聞いてくださるだろう。私は御役御免で済むか分からないけれど。兄はそれを心配したのだろうけれど。
捨て身の戦術を練る私だったが、義姉は一枚上手だった。
「殿様はおたい様が心配で仕方ないようだけれど、私は大丈夫だと思っているわ。おたい様はご自分に何かあったら殿様は自分を責めてしまうと分かってらっしゃるでしょう?
殿様にたくさんの味方がおられるように、優しくて誠実なあなた様にもきっと味方がいるはずよ。どうかお一人で背負わないでね。」
義姉にやんわりと釘を刺されてしまった。玉砕覚悟では駄目らしい。
確かに兄をこれ以上苦しめるわけにはいかないと、私は考え直すことにした。
英龍公は使用人含む家に居る女性達に儒教の『女誡(女性が守るべき戒め)』を講義したそうです。
・女性は男性より「弱く、低い」存在である。
・夫を敬い、夫婦の絆を大切にする。
・常に慎み深く行動し、感情をあらわにしない。
・夫や姑の言葉に逆らわず、従順に従う。
江戸時代に生まれなくて良かった…。




