兄と妹の共闘
英龍には二人の妹がいる。大奥に出仕しているたいは下の妹である。上の妹・みきは徒頭の榊原小兵衛に嫁いだが子がなく、英龍の推薦で鏡次郎という養子を迎えて英龍の長女を妻としている。
長男、次男が夭折してしまった英龍の後継ぎは昨年生まれたばかりの三男・保之丞だが、生まれつき体が弱いが正統な血統の保之丞と、成人で優秀な英龍の信頼厚い娘婿・鏡次郎のどちらが良いか…、江川家も将軍家のような後継問題を抱えていた。
※保之丞(のちの英敏)は天保10年生まれとされているが、実際は家督を継ぐ際に歳を4歳上に偽ったとの説があり、天保14年生まれと思われる。
亡き兄・英虎にも、さらに言えばみきにもたいにも子がなかったため、江川家の血筋は英龍にかかっている。己の代で江川の男系の直系が途絶えてしまうかも知れないと思うと母の法事に向かう心も重くなった。
天保15年7月15日、英龍は浅草本法寺で行う母久子の十三回忌にかこつけて、大奥でせわしなく働いているたいを呼び出した。
〜兄の頼み〜
法要を終えたあと、帰宅するや私は兄の部屋に呼ばれた。兄は人払いした上で私に頭を下げた。
「高島先生をお救いするにはもはやこの手しかない。
この手紙に高島先生を陥れた者達の悪行のすべてといきさつを書いてある。
上様にご覧いただけるよう、大奥の信頼できる御年寄に渡してほしい。
幕府の高官の名も高貴な方の名もある。くれぐれも内密にしてほしい。」
兄の悲痛な面持ちはきっと、私の心配をしてくれているからだろう。でも、武士としての誇りを曲げて頭を下げる兄の苦しみを少しでも肩代わりできるのなら私は嬉しい。
天保10年に義姉上様から私財の売却の仲介を頼まれた時からずっと、兄夫婦のために自分にもできることを模索していたが、これといった妙案もなく歯がゆい思いを持ち続けていた。
「兄上様、どうか頭を上げてください.
兄上様が私に頭を下げなければならないほどの事とは、きっと志高い方々のお力だけではどうにもならない、この国の一大事なのでしょう。
大丈夫です、私も江川の家の者。やれる限りやってみましょう。」
私が努めて明るい声で答えても、兄はセンブリ茶を飲んだかのように渋り切った顔をしていた。
この小説のナレーションはおたい様なので、彼女が登場する時は彼女視点の『私』語りになります。




