斎藤弥九郎②
「ひとまず状況を整理しよう。
まず天保8年2月に大塩が乱を起こし、3月4日に三島で手紙が見つかった。町田亘もこの手紙の書き写しに参加していた。
3月27日に大塩が焼死。しかし生存しているとの噂は絶えず。
大塩が沼津行きの船を予約したとの情報が領民から伝えられ、俺と貴殿が変装して富士宮近辺を捜索する。
ちょうど同時期に長崎で幡崎先生を見知っていた本庄が鳥居に幡崎先生の正体を告げ、幡崎先生は出張先の長崎で捕縛された。
江川家の手代を辞め借金を重ね逃げていた町田が秋頃に江戸に来て本庄と知り合う。
貴殿と鳥居が江戸湾測量の命を受けた天保9月12月、町田と井上先生が殺害される。
天保10 年5月、崋山先生と高野長英殿が逮捕される。
天保11年、本庄が高島先生を探るために長崎に行き、帰りの船で井上先生の弟・伝之丞を殺害。
天保12年12月、南町奉行の矢部様が鳥居によって罪に問われ罷免され、鳥居が後釜に就く。
天保13年、鳥居とその親戚で長崎奉行になったばかりの伊沢政義の策略で高島先生が逮捕される。
で、極めつけは去年、とうとう勘定奉行を兼任とまで成し遂げたと。
…、確かに『大塩の手紙』の内容を鳥居に握られて以来、一目瞭然で鳥居に都合の良いようにことが運んでいるな。」
「そうだ。江戸湾測量の巡見の時も鳥居からずいぶ、をと難癖をつけられたが、上に報告しても歯切れの悪い返答ばかりだった.
あの時の直属の上役は内藤矩佳様、大坂西町奉行をされていたことがある。
大塩の手紙では『不正無尽で捕まった商人を証拠隠滅のため殺害した』と告発されていた。真偽はともかく、その商人に内藤様が送った掛け軸が『大塩の手紙』に同封されていた。今思えばあの時すでに鳥居に強請られていたんだろうな。」
「幕府高官のほとんどが大塩の手紙をきっかけに鳥居に強請られ、水戸藩までも弱みを握られたと。
しかし逆に水戸が鳥居を何らかの力で排除もしくは取り込むことができたとしたら、その勢いで幕府首脳陣の刷新などを強行してしまうかもしれない、と。
将軍後継候補を有する水戸がそこまで政治介入したら、御三家の均衡も崩れてしまうな。」
「ああ。これが流行り小説なら、正義の主人公が活躍してすべて良い方向に向かいめでたしめでたしになるだろうが、現実はそうはいかぬ。
対立する主張の者同士、話を擦り合わせて妥協し合いながら、決裂しないよう衝突しないよう少しずつ進めていくしかないのだ。
強権を振るえば必ず反発が起こる。
国内で大規模な争いが起これば、諸外国は必ずその隙を突いて襲ってくる。」
「まさに内憂外患、四面楚歌だな。
その流れの突破口を開く役をおたい様に任せたいと言われたわけか。」
「ああ…。」
妹を心配する兄の顔になった英龍に弥九郎は発破をかけた。
「邦次郎(英龍の幼名)、よく聞け。俺はおたい様のことも良く知っている。
あのお方にもし『自分を守るために兄が大事な役割を断り政情が悪化した』と知られたら、お前、どうなると思う?」
弥九郎の鋭い指摘に英龍は唸った。
「…怒られる、いや悲しませる、か。」
「そうだ。おたい様は自分のせいだと苦しまれるだろう。
兄心は分かるがもう少し回りを信頼しろ。
おたい様のことは川路様だけでなく権太様も心を砕いてくれるだろう。命に関わるような罰を受けるわけではない。最悪でも『御役御免』あたりか?
大奥でもおたい様の評判は上々で御簾中様からの信任も篤いと聞いている。
何しろお前の妹君だ。機転も利くし根性も据わっておられる。ご自分で未来を拓く力のあるお方だろう?」
英龍は、たいは母によく似ていたと思い出す。母は愛情深く慎み深い人であったが、一方でとても芯の強い女性だった。
英龍がやんちゃだった少年時代、温厚な父に叱られるより母に静かに正論でとくとくと諭されることの方が堪えた。
妹もまた、突如襲ってきた不幸に負けず前を向ける強い女性である。
妹・たいには顔半分に疱瘡(天然痘)の痕がある。
結婚直後という幸福を、この疱瘡が打ち砕いた。たいは相手を思い自ら身を引き離縁して江川家に戻って来たが、家の重荷になりたくないと大奥に勤めに出た。
もとは美しい娘だっただけに、大奥という国一番の華やかな世界であばた顔を晒すことはさぞやつらいだろうと心配した英龍に、たいは
「このあばたのおかげで妬み嫉みを向けられることなく、純粋に人柄を評価してもらえて楽しく働かせていただいております。」
と笑ってみせたのだった。
英龍はその眩しい笑顔を守りたかった。妹の生きがいを奪いたくなかった。しかし弥九郎と話したおかげで、英龍が過保護に守らなくても妹は柳のようにしなやかに、したたかに立ち回ってくれそうだと思い直すことができた。
「…そうだな、無理強いは絶対にしないが話はしてみよう。判断はたいに委ねよう。」
子供の頃
英龍…やんちゃ
遠山…やんちゃ
勝小吉…めちゃくちゃやんちゃ




