人生、何とかなっていく
25年間生きてきて、舞はいろんな人と出会い、いろんな経験をしてきた。
その中で、いわゆる順当に進んでいった人もいれば、そうでない人もいた。
ここでは、あらゆる人と出会い、そこで形成されていった彼女の人生観について記録しておく。
”生きてるだけで偉い”
このフレーズが本当かどうかは置いといて、このフレーズが今の日本に多少なりとも受け入れられ浸透してしまっていることに悲しさを感じる。
医療や技術が発展し、世の中は便利になり、ちょっとやそっとで自身の生命を揺るがされることはなくなったはずなのである。それなのに、生き死にについてそれが偉いとか偉くないとかわざわざ明言しなくてはならないのは、それだけ、只々普通に生きることが簡単じゃなくなっている人がいるということである。
このフレーズの出所はおそらくこうだろう。
何があったかはその人それぞれによるが、学校や会社あるいは家庭で、仕事や人間関係に苦しみながらも、何とか身を削り生きていこうとしてる人に対して、一度息抜きしてみてはといったような慰めで、出たものだろう。
つまりだ、どうにかして生きてやろうとしていることが、前提となっているのである。
じゃあ、逆に命を絶とうとしている人、あるいは何らかの事故や事件で亡くなった人は偉くないのかということになってしまう。
舞の中での現状の考えはこうである。
”生きてるってことは強い”ということである。
これはある船長の言葉を借りたものだ。
はじめに、ちょっとやそっとのことで、生命を脅かされることはなくなったといったが、これは病気やケガなど外的要因に対するもので、人間は自身のマインド一つでころっと自殺に追い込んでしまえるほど、ある種奇妙で厄介な生物なのである。
この”強い”というのはもちろんフィジカルな面もあるだろう。しかし、現代社会においてはメンタル面が大きいだろう。
この複雑に入り組んだ社会において、あらゆる脅威にさらされる中、いろんなことがあったかもしれないが、結果として今現在生きているってことは、強いということである。
だから決して、自分の歩んできた人生を卑下することなく、その強さに自信と誇りを持ち、まだ決定されていない自分の物語を綴っていくのがいいんじゃないかと思う。
幸い、日本には神社という、どんな人であれ、来るもの拒まずといった”便利”な存在がある。
そこにはいろんな人が集まって、各々好き勝手やって帰っていく。
お願いごとをする人もいれば、許しを請いに来る人もいる。あるいは自分の運勢を占ってもらう人もいれば、おはらいをしに来ている人もいる。もっと言うと舞なんかは、小さいころ只々漫画を読みに行っていたほどである。これほど”便利”な存在が他にどこにあろうか。しかも24時間営業なところがいい。
偉い偉くないとかではなく、只々生きてるだけでいい。そんくらいの心持ちで、もっと気ままにその人らしく楽しんでいった方が素敵だと思う。
つい最近、知り合いが大変そうだったので、こんなことをちょっと考えてしまったりしたりした




