第26話 水の妖精
ダリス大峡谷の最深部には大きな泉が広がっていた。
一面を澄んだ水に覆われているというのに底が見えないほど深い泉の上にそれは座っていた。まるで玉座に腰掛けるようにして最深部で姿を見せたのは青い髪の女性であった。
神秘的な美しさを持つ女性から放たれる存在感がセイヤたちの息を浅くする。
名前を尋ねなくても青髪の女性が水の妖精ウンディーネであることはわかった。ウンディーネが視線を向けただけで呼吸が止まりそうな錯覚に陥る。
種族としての格が違いすぎるとバジルは感じた。威圧感に気圧されながらもセイヤが質問を投げかけた。
「あの、ここに紅い瞳の女の子が来ませんでしたか?」
これまでの敵は言葉が通じない魔獣ばかりであったが精霊の類は別である。それらは人間よりも高位の存在であるため言語によるコミュニケーションは可能だ。
「私がその質問に答えて何か利益があるのかしら?」
「もし知っているならば教えては頂けないでしょうか。僕たちはその子を探してここまで来ました」
「そう」
ウンディーネがつまらなそうに答える。
「仮に私がここで知らないと答えたらどうするのかしら?」
「僕たちは即刻ここを立ち去ります」
自分たちが歓迎されていないことを知っているセイヤはなるべくウンディーネの気を損ねないように受け答えをする。しかしセイヤは根本的な勘違いをしていた。
「人の根城に土足で立ち入って無事に帰れるとでも思っているのかしら?」
鋭い水が矢のように飛来する。
突然の攻撃にセイヤは光属性の防御魔法を行使したが、ウンディーネの水は容易にセイヤの魔法を貫く。
「隔絶せよ」
遅れてバジルも氷の壁で攻撃を防ごうと試みたが水の威力は弱まらない。二人は咄嗟に横に飛ぶことで攻撃を回避する。
先刻まで二人が立っていた地面には水で刳り貫かれた穴が空いた。
「僕たちに争うつもりはありません!」
「そう。けれども私にはあなたたちを始末する理由があるわ。もちろん、向こう側にいるお仲間もね」
「仕方がない。私が相手を務めよう」
槍を構えたバジルがウンディーネの事を睨む。
部下に危害を加えると宣言されては戦わずにはいられない。あわよくば話し合いで解決できればと考えていたが現実は上手くいかないものである。
「僕も戦います」
「頼む。あれの相手は私一人では荷が重すぎる」
「はい」
セイヤの協力をバジルは素直に受け入れる。自分ひとりの力ではどうしようもないということは先ほどの攻撃を見れば明白であった。
武器を構える二人を見てウンディーネが玉座の上で頬杖をつく。その背後では泉の水が大きな球体を形成していく。
巨大な球体の表面に細い線が走ると姿を現したのは水で成形されたドラゴンだ。大きな咆哮を轟かせながらセイヤたちの前に降り立たったドラゴンはこれまでの魔獣以上の威圧感を放っている。
「ウォータードラゴン。あなたたちに終焉をもたらすこの名前よ」
水竜が口元に青色の魔法陣を展開するとセイヤたちに向かって水のブレスを撃ち出す。セイヤとバジルは互いに反対の方向に向かって地面を蹴って攻撃を回避した。
二人の防御魔法では攻撃を防ぎきれない判断しての行動である。
「顕現せよ、氷結の獅子」
回避をする中でバジルが魔法を行使する。水色の魔法陣によって二体の氷で形作られた獅子が姿を現すと、水竜に向かって駆け出す。
しかし水竜が氷結の獅子に対して両翼を羽ばたかせると、その姿がただの氷塊になってしまった。
「沈静化か……」
翼で生み出した風に水属性の魔力を乗せることで水竜はバジルの魔法を無効化した。その光景を魔法理論に精通している専門家が見たならば原始的な攻撃であると評したに違いない。
ウンディーネの使う魔法は全て現代魔法とは大きく時代を隔てている。だが原始的な魔法が劣っているという訳ではない。
そもそも現代魔法は魔力を持つ者が誰でも魔法を使えるように効率的に体系化されたものであり、魔法の威力だけを考えれば原始的な魔法に軍配が上がる。その時代の魔法は選ばれし者のみが使える特権的な力であり、ウンディーネの力は現代魔法とは比にならないほど強力なものであった。
「次の攻撃が来る……」
水竜が翼を広げて上空へ飛び立つ。そして狙いを定めると再び口元に魔法陣を展開させて攻撃をする。
訪れたのは先刻と同様の水のブレスだ。
だが、その範囲はセイヤたちが立っている地面全体に向けてである。回避するためには泉に飛び込むしかないが、泉の水にはウンディーネの魔力が含まれていることから触れることは避けなければならない。
残された選択肢は防御だけだ。上空から放たれる高圧のブレスは初撃よりも威力を増している。セイヤはホリンズを手放すと上空に向かって両手を突き出す。
そこには紫色の魔法陣が展開され、直後に紫色の魔力が放出される。
セイヤは魔法を使ったのではない。ただ魔法陣を通して闇属性の魔力を撃ち出しているだけだ。
出口を通って無秩序に世界に放たれた闇属性の魔力が水竜のブレスと交差する。セイヤの行動は原理的には水竜のブレスと同じである。
闇属性の消滅がブレスの勢いを弱めたが完全消滅には至っていない。セイヤの後に続くようにバジルが魔法を行使する。
「凍てつけ」
バジルもまた単純な魔法を行使する。この場面において必要な魔法は緻密に編まれた高度な魔法よりも最短時間で効果を得られる単純な魔法である。
勢いが弱まった水のブレスが一瞬にして氷に姿を変える。バジルの氷は水を伝って水竜の口まで到達した。水竜が水属性の魔力でバジルの氷の効果を弱めようとするが、それよりも先にセイヤが氷を伝って水竜の口元に到達した。
身体中から光属性の魔力が溢れ出るセイヤの両手にはホリンズが握られている。ホリンズが纏う魔力は消滅を運ぶ紫色である。
セイヤの振り下ろした刃が水竜の首を斬り落とした。通常の魔獣であれば勝負が決する所であるが、水竜は魔力を含む水で成形された魔法だ。
水竜がすぐに再生を始める。
「させない」
再生が完了するよりも先にセイヤの撃ち出した紫色の魔力弾が斬られた断面から水竜の胴体に入り込む。そして瞬く間に水竜に身体を体内から消滅させた。
セイヤの攻撃を見たウンディーネが関心を示す。
「光と闇を使う人間がいるとは驚いたわ」
「よそ見をしてもらっては困る」
上空を見上げているウンディーネに槍を持ったバジルが接近する。
「あなたには興味が無いわ」
ウンディーネが一瞥をする。
それだけで大量の水がバジルに襲い掛かった。ウンディーネの魔力を含む大量の水を前にしてもバジルの進行は緩まない。
「私は十三使徒の一人だ! 氷よ、我が行進を翼賛せよ!」
次の瞬間、泉を含む辺り一面が銀世界に包み込まれる。バジルに襲い掛かろうとした大量の水は氷に姿を変え、ウンディーネの玉座の下に広がる泉の水面も余すところなくバジルの氷に覆われた。
広範囲を一瞬にして自分の世界に塗り替えるバジルの力は絶大である。これが魔法師相手ならば勝負は決していたに違いない。しかしウンディーネ相手には力不足であった。
「言ったでしょ、あなたには興味が無いって」
銀世界に亀裂が走る。
バジルは少しでもウンディーネに近づこうと歩幅を大きくするが、彼の槍はウンディーネに届かない。氷が砕けて大量の水がバジルに向かって襲い掛かる。
「ならば!」
槍が届かないと判断したバジルは、右腕を大きく後ろに引くと自分の出せる最大限の力で槍をウンディーネに向かって投擲する。放たれた槍が一直線にウンディーネへと迫った。
「吹き飛べ」
バジルは前方に向かって風属性の魔法を行使する。その風は投擲された槍を後押しする形で槍を手助けするとともに、バジルは反動で後方に吹き飛ばされる。
風の補助を受けた槍であったがウンディーネが指を一振りしただけで地面に叩き落とされてしまう。だが反動で吹き飛ばされたバジルも結果的に大量の自ら逃れることができた。
カランという金属音を立てて地面に落ちたバジルの槍に導かれるようにして上空から光を纏ったセイヤが飛来する。




