退魔騙り(十)。
からん、と少女の手から小太刀が落ちた。
極細の刃は霊力を失い、ただの髪へと戻る。
「っ、うぅ……!」
「随分と粘りましたが……どれだけ改良しようと、所詮は子供騙しの呪いに過ぎない」
岐領は全身に傷を受けていた。だが、それは黒葉の奮戦を示すものではない。
この男は、そもそも少女の攻撃を避けようとさえしなかった。
何をしようと無意味だと。どれだけ傷を受けても、一切顔色を変えることなく、ゾンビのように少女を袋小路へと追い詰めた。
神聖な気を纏う左手が、黒葉の細い首を握りつぶさんばかりに締め上げようとする。腕を払いのけようとする黒葉だが、どれだけ抵抗しようと岐領の左腕は小揺るぎさえもしない。
「もっと良い師に恵まれれば、多少は厄介だったのでしょうがね」
「ぐっ、ああっ!」
黒葉が必死に腕を振り回す。それは見るからに闇雲な動きで、仮に岐領が通常の人間だったとしても何の痛痒を与えることもできなかっただろう。
デタラメに振り回された細腕は、何の意味もなく空を切る――かに思えた。
「――――!」
これまでの攻撃に防御反応を取ろうとしなかった男が、その時初めて血相を変えた。
少女の小さな体を投げ飛ばし、後ろに跳んで距離を取る。
「げほっ、えほっ……!」
地面へと転がされ、締められかけた喉を抑えて咳き込む黒葉。
咄嗟に立ち上がろうとする黒葉だが、投げられた時に足を捻った。だが、岐領は身動きの取れなくなった少女に近寄ろうとしない。
「……それもあの女に教わったと?」
「や、やっぱりそうなんですね……! あなたは――」
「こうなると少々面倒ですね。捕獲するつもりでしたが、ここで殺しておきますか」
そう言って、岐領は左袖の奥に隠された刃を取り出す。
青い雷を纏った呪刃。形こそ黒葉の持つ小太刀と同一だが、その内側に宿された怨念の量はもはや比較にもならない。否、この刃に比する呪具などこの世にたった一振りしか無い。
「れ……"霊、獄"……?」
「あなたのような子供に本物が手渡されるとでも?」
「じゃ、じゃあ、私が雷定法師の子孫だっていうのは、」
「ああ、安心してください、それに関しては本当ですよ。隔世遺伝を起こしたあなたならば、聖人の腕でさえ抑えることの出来ないこの呪具を、代償無しで振るうことが出来る」
その瞬間、バヂィ、と"霊獄"の禍雷が弾けた。岐領の顔へと電撃が飛び、その整った顔立ちが黒く焼ける。
だが、やはり岐領は反応しない。苦鳴の一つさえ漏らすことはない。
「見ての通りです。真っ当な人間なら、この腕を使ったとしても数分と経たず死んでいるでしょう。私とて、今の状態では"霊獄"の力の一割も引き出せない。無理に使えば総身が弾けるか魂が砕けるか、二つに一つと言ったところ」
ですが、と言葉が続く。
「あなたの腕なら? あなたの腕があれば代償も無い。十の神、百の鬼、千の妖、万の霊。一万一千と百十一の超常を宿した最強最悪の妖刀を完全に支配することが出来る。私にはあなたの手が必要なのですよ、黒葉お嬢様」
"霊獄"が黒葉に向けて振り上げられる――しかし、次の瞬間。
「破ァ!」
複数の光弾が矢のような速度で岐領へと飛んだ。
光弾は彼に触れる寸前で消失する。"霊獄"より強い力を持つ術でなければ、この呪具を持つ人間を傷つけることは出来ない。
だが、岐領の気を引くことには成功した。
黒葉は、光弾の飛来した先を見た。
岐領と同じ法衣を纏った、壮年の男性。
薙刀を構えた黒葉の父、四鍔野黒成が三人の門弟とともに岐領を囲んでいた。
岐領は呆れたようなため息をつき、夜空を眺める。
「お父さん……!」
「無事か、黒葉! すまない、私が――」
「随分と遅かったではありませんか。一度は娘を見捨てかけたでしょうに、随分と殊勝に現れたものですね。四鍔野黒成」
黒成の言葉を遮り、岐領が言った。
「それに、着いてきた退魔師も三人程度。人望の無さが伺える」
「私の部隊に逆徒を紛れ込ませておいて、ふざけたことを……! 岐領、貴様、他派閥に寝返ったな!」
「寝返りというほどのものではありません、ただの取り引きですよ。私が実行犯となって"霊獄"を奪取し、黒葉お嬢様を捕獲または殺害。"霊獄"は派閥間で共有。私が黒葉様の右腕を頂き、余った部分はそれぞれの派閥で『山分け』する――そういう取り引きです。全ての責は私に負わせられるでしょうが、元より退魔師としての立場などどうでも良い」
自分を報酬とした凄惨な取り引きに黒葉が身体を震わせ、自分の娘を人とも思わぬ岐領と裏刀宗に黒成が歯を食い縛る。
「貴様……! 地獄に落ちろ、岐領ッ!」
「滑稽な啖呵だ。"霊獄"を持つ私に勝てるとでも?」
「舐めるな!」
黒成が地を蹴り、薙刀を構え岐領へと駆けた。
凄まじい速度の突き。それを迎え撃つように禍雷が放たれる。
しかし、それと同時に黒成に付き従っていた三人が結界を展開。電撃を弾き、黒成を守る。
「いくら聖人の腕があろうと、それだけで"霊獄"を十全に振るうことは出来まい――その程度の出力ならいくらでも対処のしようがある!」
「ほう」
余裕ぶった声は刃に切り裂かれた。
黒成に一切の迷いは無い。薙刀が的確に胸の中心を貫き、心臓を穿つ。
――だが、明らかな致命傷にさえ岐領は反応しない。目の前に迫った黒成を無視するかのように視線を空にやる。
「なるほど、そこの四鍔野門弟。数は用意出来なかったようですが、質は凡百の退魔師より良いようだ」
「ッ!」
目線を戻し、何事もなかったかのように岐領が"霊獄"を振るう。
結界は霊力防御を重点的に行っている分、物理攻撃には弱い。飛び退き躱す。斬撃と同時に追撃の禍雷が放たれるが、結界によって防がれ事なきを得る。
「……どういうことだ、その傷で何故動ける!」
「西洋に伝わる些細な呪いですよ。さほど難しいものでもない」
「お父さん、その男は――」
黒葉の声は連続する雷鳴にかき消された。
幾条もの稲妻。結界が防ぐものの、そう長くは保たない。
黒成は速攻に転じる。いくら最強最悪の呪具たる"霊獄"といえど、その依代自体はただの小太刀だ。間合いにおいては薙刀使いである黒成が勝る。
「もらったッ!」
禍雷への守りを門弟の結界に任せ、岐領に取り付けられた聖人の左腕を切り落とす。だが、
「それじゃダメです!」
「――『手繰れ』」
切り落とされた左腕がひとりでに浮き上がる。
その予想外の挙動に、黒成達の反応が一瞬遅れた。
腕のみが黒成の頭上へと飛び、雷を放つ。
狙いは結界で守られた黒成ではなく、守りを担っていた門弟たち。
「ッ、避けろ!」
夜闇に光が爆ぜた。三人の退魔師が吹き飛ばされ、気絶する。
「直撃は避けたようですが、それでも気絶ですか。だらしの無い」
「岐領……!」
怒りのままに、黒成が両腕を失くした男の脳天を貫く。心臓に続いて脳までも破壊された。
しかし、岐領は顔色一つ変えはしない。
浮遊する腕が再度黒成を照準。刃を中心に禍雷が集い始め、青光が周囲を照らしあげる。
強力な一撃を予感するが、空を舞う腕に薙刀は届かない。咄嗟にその場を離れようとして――
「避けてよろしいのですか? あなたの娘に当たりますよ」
「くっ――!?」
黒成は足を止めた。
薙刀を投げ捨て、凄まじい速度で指を組む。
(間に合え……!)
迸る雷光。光線のような一撃に対し、黒成が渾身の結界を展開――地を揺るがす轟音が響いた。
「お、おぉぉぉッ!」
防いだ――しかし、雷は放出され続ける。
凄まじい圧力に黒成の結界が押し込まれ、組んだ指がミシミシと歪む。
(ぐっ……だが、いける! 霊力防御に私の全力を懸ければ――!)
「――その分、結界の物理的強度は脆くなる」
パン、と乾いた炸裂音が響いた。
結界が音を立てて破れる。
雷は八方に爆ぜ、黒成は直撃を免れた。しかし。
「ぐ、ぁ」
「退魔師は確かに超常の担い手だ。ですが、肉体的には決して常人の域を出ない。ありふれた銃弾には全くの無力」
脇腹から血が溢れ出る。痛みは熱のように全身を焼いた。黒成が膝をつき、崩れ落ちる。
両腕の無い状態でどうやって銃を。苦痛を押し殺して顔を上げ――
「……ばか、な」
「気づきましたか? 『有ると知るが故に識り、無いと識るが故に知れぬ』。そんなものは存在しないと、そう思い込んだ瞬間霊は見えなくなる。最初から私の腕は在ったのですよ。右腕を失くした岐領という男に『私』が宿ったまでのこと」
――岐領の右肩からは、半透明の黒い右腕が伸びていた。
銃を握るその右腕は、半ば炭化したように焼け焦げている。
焦げた肉から噴き出す膿のようなものが腕を一回り肥大化させ、歪に伸び捻れた指の骨格が枯れ木のような手を作る。腕の断面からは血管だけが伸び、岐領の身体を縛り付け、強制的に動かしていた。
まさしく、その右腕こそが。
その悪霊の右腕こそが、本体であるというように――
「貴様が、"一本腕"だというのか……!?」
「――私をあのようなモノと同じにするな」
どす黒い怒りが溢れ出す。ビリビリと夜闇が蠢いた。
「全て、全てアレのためだ。"一本腕"を滅ぼすために、私はこんな退魔組織などに八年も隠れ潜んだ。"霊獄"を手に入れ、それを振るう腕を手に入れ、派閥間の争いを煽って裏刀宗を"一本腕"にぶつける。私を貶めたあの化け物を、私がこの手で地に堕とす」
呪詛を漏らす岐領。いや、岐領に取り憑いた悪霊の右腕。
痛みを感じていないのも当然だった。最初から、岐領だった男は死んでいたのだから。
gazgiz。東欧州の伝承を起源に持ち、『蘇生』を意味するこの呪いは、そもそもが死人の肉を操作する屍霊術である。
悪霊が迫る。
黒葉が押し殺した小さな悲鳴を上げる。黒成は渾身の力を込め、震える脚で立ち上がった。
岐領が片眉を潜め、黒成を見る。
「……まだ、立ちますか。たった一人で"霊獄"の雷を突破し、銃弾を掻い潜り、私にたどり着けるとでも?」
「貴様が、悪霊であることはわかった……ならば、霊核を砕けばそれで終わる……銃弾の一発や二発で、裏刀宗幹部にして四鍔野の当主であるこの私を殺せると思うな……!」
手放した薙刀を再度手に取る。たとえ刺し違えてでも、この悪霊の霊核を砕いてみせると――
「では、百発ほどぶち込まれてみますか?」
岐領が空を眺める。瞬間、ガサガサガサガサガサ! と木を揺らすような、虫が這いずるような、気味の悪い異音が周囲全体から響き渡った。
黒成と黒葉は見る。――それは、腕だった。
十、二十、三十、四十、それ以上。
夜闇に蔓延る大量の腕。
その全てが銃器を手に、黒成へと銃口を向けている。
「先ほどから上空に飛ばしてはいたんですがね。黒葉お嬢様が思ったより早く気づいたせいで、到着させるのが遅くなってしまいました」
「この、腕は……」
「隣町の暴力団ですよ――加間瀬組とか言いましたか? あそこの構成員を皆殺しにして、溜め込んでいた銃火器を握らせただけのこと。私の『手繰り』は視界内に入っていなければ発動できませんが、空に飛ばしておけば少し上を見るだけで視界に入れることが出来る」
先ほどから何度か空を見上げていたのは、挑発のためではなかった――しかし、この状況ではもはや何も変わらない。
ガチリ、という音が連続する。撃鉄が起こされた音が連なって響く。
「それでは。死んだ後に、あなたたちの腕もこの中に加えることにしましょう。人手はどれだけあっても足りませんから――」
そして、引き金が引かれようとしたその瞬間。
「すいません、遅れました!」
バイト初日で遅刻しかけたことを詫びるような声だった。
ダン、と袋小路の壁の向こうから跳び上がる音。
黒葉と黒成の前。悪霊との間に立ちふさがるようにして、一人の女が着地する。
足首まで伸ばされた長い黒髪。女性にしては高い背丈。死人のように青白い顔。
パンツスタイルのダークスーツを纏う、片霧セツナがそこにいた。
「お姉、さん……?」
「そうだよ、黒葉ちゃん。――退魔師の、お姉さんだ」
右手にナイフを構える。ホームセンターで売っているような、千円ちょっとのちゃちな刃物。
「あなたは……」
「岐領さん、でいいのかな? そういえば、自己紹介がまだだった。
私の名前は片霧セツナ。
職業:退魔師。趣味:悪霊狩り。
多少の霊感を持っていて、この【街】に住んでいるだけの、ごく一般的な霊能力者だ」




