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退魔騙り(九)。

 夜の街。

 暗い夜道を、青い瞳の少女と法衣姿の青年が歩いていく。

 五月とはいえ、この時間になると少し肌寒い。冷たい風がひゅうと少女に吹き付ける。


「……っ」

「黒葉お嬢様?」

「……だ、大丈夫です、岐領さん。少し、寒気がしただけですから……」


 そう言って、黒葉は岐領から顔を背ける。涙の滲む目元を見られたくはなかった。


「……ごめんなさい。しばらく、こっち見ないでください……」

「……畏まりました」


 岐領が振り返り、背中を向けて前を行く。

 黒葉は、懐に手を入れ思案する。


「…………」


 黒葉の憧れたお姉さんは、片霧セツナは、退魔師ではなくただの一般人だった。

 ……正直、分かっていた。片霧が自分より才能に劣っていることは薄々察していた。纏っている霊力は自分や父より遥かに薄いし、法具の一つも持っていない。


 それでも。

 彼女が教えてくれたことは、間違いなく本物だ。嘘はついていたのかもしれないけど。決して不誠実ではなかった。小手先の手品やペテンで意味の無いまじないを教えたりはしなかった。


 だから四鍔野よつばの黒葉は、躊躇ためらうことなく岐領の背中に小太刀を突き刺した。



 私はようやく身を起こした。小一時間ぐらい泣いていた気がする。

 夕飯なんて食べる気力が沸かない。薄紅色の消火粉末に塗れた服を脱ぎ捨てて、下着姿でベッドの上に転がった。


「…………」


 ――もうやめよう、この趣味。


 悪霊狩りはしない。

 ナイフは捨てる。

 ブログも閉鎖する。

 SNSも退会する。

 オカルト絡みのデータや資料も全部廃棄する。


 そうしたら私には何にも残らなくなるけど。

 最初から何も無かったのだから同じことだ。


 のろのろと起き上がって、パソコンを起動させる。景気よくハードディスクでもぶっ壊そうかなと思ったけど、流石に勿体ないのでやめた。使ってるサービス止めた後にフォーマットすればいいか。


 まずブログからだ。レンタルサーバーの契約を切って、ドメインの使用も停止した。


 次にSNS。ルーティン的にタイムラインを覗きそうになるけど、未練を振り払うように設定欄に移って退会処理を選択する。

 何度もしつこく「本当に退会しますか?」と聞いてくる確認画面を見て苛立ちつつ、マウスを叩くように決定ボタンをクリックする。


 自動的に画面がSNSのトップページへと移った。私の住む地域に関するトレンドニュースがずらりと表示されている。


『腕無し殺人事件、暴力団員とボランティア団体会長、共通点はあったのか――』


 そんな見出しが目に入る。ブラウザを閉じようとするけど、それでも殺された人の顔写真を追ってしまう。

 少しガラの悪い男の人と、人の良さそうなおじさん。

 私が。私が本物の退魔師だったならこの人たちだって死ぬことは――


「……?」


 ――何か、違和感があった。


 これまでの経験が、理屈を飛ばして答えを指先に引っかける。

 ルーティン的に。凄まじいスピードで推理が回る。


 考えたくない。何かとんでもないことに気づいてしまった気がする――違う。私はもうこんなものに関わらないって決めたのに。私が何をしても何の意味も無いのに。


「…………」


 なのに。なぜ私の手は、止まってくれないのか。


 二人目の被害者、ボランティア団体会長の連藤路國吉さんの顔写真――いや、顔写真じゃなくて全身画像の方がいい。ボランティア団体の公式ホームページなら……あった。

 画像を保存し、自作の霊的情報表示&出力アプリケーション"狐ノ窓(FoxGrid)"を起動。ダウンロードした画像を読み込ませる。


 黒葉ちゃんが、この人の訃報に対して反応していたのが気にかかった。一人目の被害者に対しては特に何も言わなかったのに。

 確かに肩書きとしてはこの人の方が立派だけど、それであそこまで露骨に他人の評価が変わるのは不自然じゃないだろうか。どちらも見ず知らずの人であることには変わりがない。

 加えて、"一本腕"は右腕しか無い悪霊のはずだ。それなのにこの人は左腕を切断されている。それがどうしても気になる。


 関連づけるには弱い。けど、私の勘はもう薄らと答えを出してしまっている。だからこれは、頼むから勘が外れていて欲しいと願う、自分の間違いを期待した検算のようなもので――


「――ぁ」


 表示された。


 お人好しそうなおじさん。連藤路國吉さん。

 恐らく、この人は本当に純粋な善人だったのだろう。それがわかるぐらい彼の纏う霊力は清らかで暖かい。

 そんな、霊感のある人間が実際に見れば一目で分かるような、神聖な霊力が画面に表示されている。


 デパートで会ったあの退魔師。岐領さんの左腕が纏っていた霊力と、全く同じ霊力が、画面に表示されている。


「……!」


 なら――もしそうだとすると、岐領さんは、岐領は。


「……この人から腕を切り取って、自分の腕とすげ替えてる……?!」



「――いや、参りましたね。連藤路國吉の知人とは接触しないよう、細心の注意を払っていたのですが」

「……っ!」


 黒葉が驚愕に目を見開く。

 彼女の刺したナイフは、しっかりと岐領の背中へと深く突き立っている。肉を裂き、内臓を突き刺す嫌な感触が確かにあった。


「黒葉お嬢様に連藤路國吉との接点はなかったはずです。彼は裏刀宗でも把握できていない、身近な人々の中で静かに生きる類の聖人でしたからね」


 なのに、岐領の声音はまるで痛痒を感じさせない。痛覚など無いと言わんばかりの平然とした口ぶりで言葉を続ける。


「連休中にこの街で会ったということも無いでしょう。彼は旅行でつい先日この街に帰って来たばかりでしたし――帰ってきた直後に殺しましたので」


 人々を守る側であるはずの退魔師が、なんでも無いことのように殺人を暴露する。


 黒葉は咄嗟に小太刀を引き抜き、その場から飛び退いた。傷口は出来ているのに、岐領の背中からは血が溢れない。

 手元を見る。小太刀の刃にこびり付いていたのは血とも呼べない茶色の何かだった。


 周囲を狐の窓で覗く。

 優れた霊能力を持つ黒葉は、この呪術の発動に指を組む必要が無い。機械による補助も必要無い。だからこそニュースを見た時に連藤路國吉が聖人であることに気づき、岐領がその左腕を自身に接続していることがわかってしまった。


「……ここも、あのデパートと同じなんですね」


 視界の全てが無彩色モノクロ。この辺り一帯が、既に【裏側】と化している。

 住民からの通報と、それに伴う退魔師による救助は望めない。


 スマートフォンの全ボタンを長押しし、保護者への緊急連絡機能を作動させながら岐領を睨む。しかし、彼はそんな黒葉を気に留めた様子もない。


「死体に霊力が残らないよう、その場で荼毘にも付してみたのですが……。おかしいですね、魂の欠片でも残っていましたか? よもや、顔写真を見ただけで霊力を判別できるわけでもないでしょうに」

「……出来ますよ。お姉さんが教えてくれました」

「ほう。変わった技術もあったものですね」


 黒葉は自分の髪を手で梳いた。三本の髪が指に絡みつく。


「『紡げ(gazgiz)』」


 呟きとともに、髪が独りでに動き出した。

 足首まで髪を伸ばした片霧と違い、セミロングである黒葉では長さが心もとない。しかし、黒葉の持つ強い霊力によって髪は鋭く強固に尖る。

 更に元々の術で可能な領分を超えて、髪自体が変形。人間を殺傷可能な極細の刃へと変わる。もはや片霧の『紡ぎ(gazgiz)』とは全く異なる、黒葉独自の呪術と化していた。


「それもあの素人に教わったものですか? 半端な人間はこれだから厄介だ。本当ならあのデパートであなたも殺せていたというのに」

「……何のためにこんなことをしたんですか」

「私の目的は今も昔も変わっていない」


 優しげな笑み。その貼り付けた仮面のような表情の裏に、どす黒い怒りと殺意が満ちていることが感じ取れた。


「あの"一本腕"を祓うためです。あれを滅ぼすにはまだ腕が足りない。手が足りない。何もかもが足りない。私の復讐のためにはあなたの腕も必要なのですよ、黒葉お嬢様」


 狂的な笑顔を浮かべながら、岐領は袖から左腕を出した。彼から満ちる邪悪な気配とまるでそぐわない、神聖な霊力が周囲に溢れ出す。


「あなたも、あの女の手を借りていればよかったのでは? あれを犠牲にすれば、あなた一人が逃げる時間ぐらいは稼げたでしょう」

「……だって、あのお姉さんは、一般人だったんです」


 黒葉はそう言って、ぎゅっと小太刀を握りしめる。


「――頼るわけには、いきません」



 ――なんで、頼ってくれなかったんだろう。


 私はそんな疑問を浮かべて、即座にそれを頭の中から振り払った。


 そんなの決まってる。私が自分が退魔師じゃないってバラしたからだ。

 どうして私は最後まで見栄を張らなかったんだ。私が自分からあんなことを言わなければ、黒葉ちゃんは私を頼ってくれた。私さえ犠牲になれば、黒葉ちゃん一人が逃げる時間ぐらいは稼げたかもしれないのに。


「後悔してる場合じゃない……!」


 どうする、とりあえず黒葉ちゃんが今どこにいるか探さないと。闇雲に街を探し回るのは無しだ。時間がかかりすぎる。岐領が一連の事件の犯人だったなら、こうしている今この瞬間黒葉ちゃんが被害に遭っていても何もおかしくはない。


「警察……ダメ、絶対【裏側】に入ってる。霊感のある人じゃないと見つけられない……」


 私はこれまでずっと一人で悪霊を狩ってきたことを悔やむ。頼れる人間が私にはいない。裏刀宗は信頼出来ないし、私が折をつけられるはずも……


「……いや」


 一人、恐らく黒葉ちゃんの味方であると思しき退魔師が頭に浮かんだ。

 会ったことは無いし、名前も知らない。でも、この人ならどうにかしてくれるかもしれない。


 私は、すぐに父親の携帯に電話した。久しぶりの会話を喜ぶ父親の言葉を切って、単刀直入に問いかける。


「お父さん、時間が無いからすぐに答えて。――四鍔野さんの連絡先、わかる?」


 お父さんの恩人。黒葉ちゃんをこの家に預けた、黒葉ちゃんのお父さん。

 裏刀宗の幹部であるというこの人なら、きっと何とかしてくれるはず。


 番号を聞くなり通話を切って、教えられた番号へとかける。


《……もしもし》


 幸い、通話自体はすぐに繋がった。

 私なんかが信用されるのかはわからない。でも、とにかく伝えないと……!


「よ、四鍔野さんですか? 黒葉さんを預かっていた片霧ハジメの娘です! あの、黒葉さんが攫われて……とにかく助けてあげてください、まだこの街からそう遠くないところにいるはずなんです!」

《……いや、こちらでも非常事態であることは把握している。黒葉からも携帯の緊急連絡機能で位置情報が送られてきていた》


 そんな答えが返ってきた。位置がわかってるなら、すぐに現場に迎えるはずだ。


「ならお願いします! 私も一応霊感があるので、裏刀宗のことは知ってるんです! 幹部の四鍔野さんなら――」

《――だが、現在私は"一本腕"の討伐のために部隊を率いる身だ。仮に黒葉が危機にあったとしても、救出のために動くことは出来ない》


 一瞬、思考が止まった。


「は……?」

《私も退魔師である以上、人の命は感情ではなく数で判断する。国を滅ぼす大悪霊による被害と、少女一人の危険。どちらを優先して対処するかは自明だ》

「な――何言ってるんですか、自分の子供でしょう!? そんな、いるかどうかもわからない霊に備えるために、娘を見殺しにするって言うんですか!?」

《"一本腕"は存在する。各地で怪異の被害が増加し、この街でも二人の死者が出た》

「だからそれはっ、それは岐領の仕業です! あの男が被害者の二人を殺して……!」

《彼は私の側近だ。そんなことをする理由が無い》

「あいつは! あの男は被害者の左腕を自分に取り付けていました! 岐領が犯人なことは間違いありません!」

《何の意味があってそんなことをする? 仮にそうだったとして、君はそれを証明出来るのか?》

「っ……!」


 頭に血が昇る。なんなんだこの人。"一本腕"がどうとか言ってる場合じゃないはずだ。あなたの娘が危ないのがわかってるのに、どうしてすぐに動かない!?


「(落ち着け、私……!)」


 考える。怒鳴って泣き落として解決する話じゃない。

 そう、黒葉ちゃんのお父さんの言う通りだ。私が証明すればいい。

 あの男が事件の元凶だと。

 "一本腕"なんてそもそもいないのだと。


「連藤路國吉さんの霊力は、確認していますか?」

《二人目の被害者か。彼の遺体は発見時に既に焼失させられていた。霊力の確認は出来ない》


 なら、やっぱり裏刀宗は連藤路國吉さんが聖人だと知らない。


「彼の写真を用意してください。デジタルデータで構いません」

《……何をするつもりだ?》

「ただのおまじないです。指を組んで、両手を狐の形に。耳を合わせて指を広げる。そこから霊界を覗きつつ、焦点を前にずらして。その上でタットワイメージ……いえ、五輪塔と言った方が伝わるでしょうか。一切色を意識し、霊力を窓の中で三秒に五度、十五に分けて小指から一ずつ増やし巡らせる――」


 私は黒葉ちゃんにも教えた狐の窓の使い方を伝える。


「――私はプログラムによる処理を利用していましたが、理論上は補助無しでも出来るはずです」

《狐の窓、か? 相当複雑だが……》

「黒葉さんは出来ていました。必要なら駿河書第六頁の詠唱を。複数人で協力する形でもいけるはずです」

《…………》


 電話先から何人かの話し声が聞こえる。

 少しして、どよめいたような声。


《……馬鹿な。二人目の被害者は、聖人だったのか? どこでこのような技術を……。片霧家は霊能と関わりのない血筋だったはずだが》

「独学です――とにかく、岐領はその聖人の左腕を自分に取り付けている。何か裏刀宗の方で心当たりはありませんか? 例えば、聖人の腕を利用した儀式があるとか、()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

《――――》


 一瞬、息を呑んだ音がした。


《まさか……いや、だがしかし……。待ってくれ、すぐに本部に確認を入れる》


 わずかに待つ。返事はすぐに返ってきた。


《……裏刀宗最大の呪物である"霊獄"が、盗み出されている》


 声には隠しきれない驚愕があった。


「信用して、もらえますか?」


 私は言う。いや、信用してもらえなくたって構わない。


「"一本腕"と"霊獄"、どちらが危険かは知りません。ですが、不確かな脅威と明確に存在する危険、どちらを優先すべきかはわかりきっているはずです」

《……わかった。動こう》


 電話先の声は、確かにそう答えた。


《一つだけ聞かせてほしい。――君は、何者だ?》

「退魔師です」


 断言した。

 もう迷わない。甘えた弱音は必要ない。

 あの子のためにも、私はそう在るべきだから。


《ならば、恥を承知で仕事を依頼したい。私の娘を助けるために、手を貸して欲しい》

「わかりました。位置情報をこちらに送ってください、すぐに向かいます」


 通話が終了する。

 私はクローゼットの中から取り出した服を身に着け、ゴミ箱の中からナイフを拾い直す。

 もう二度と手に取らないと決めた刃。だけど、これが一番馴染む。

 大仰な術や魔法なんて要らない。私に必要なのはこれだけでいい。


 送信されてきた位置情報を確認する。

 趣味の時間はもう終わりだ。

 薄暗い部屋を出る。ゴツい安全靴を履き、私は人生初めての仕事へと駆け出した。

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