38 汚したい!
「まさか、吸血鬼?」
その言葉…ではなく声にフセルは驚いた。
使い古されていない新品の鈴のように綺麗な声、脳にしっかりとこびりついてしまうのがさも当然のように響く麻薬のような声だと瞬時に理解した。
呆然と見つめていたら声を出してしまったことに気付いたシエルは慌てて手で口を覆った。
それはフセルにとっても好都合であった。
吸血鬼であるフセルは、一度興味を持ってしまった対象をそういう対象として見てしまうようになる、その思いが強まった原因である何かがもう一度行われた瞬間にそういう行為をしたくてたまらなくなってしまう。
この場合、シエルの声を次に聞いてしまったら吸血鬼としての欲求が強まり、何をしてしまうか分からないからである。
それに気がついたフセルは、牙が疼くのを押さえ込もうと歯を食いしばった。
だけど、フセルは一度そういう風に見えてしまった対象をもう同じ様には見ない、それはさながら乙女フィルターの様に、どんなにつまらない一挙一動でもどこか淫猥に見えてしまう。
ただ慌てているだけのシエルですらも、どこか誘っている様に見える。
このままではまずいと思ったフセルは
「ちょっと、お手洗いにっ!」
と部屋を出ていってしまった。
シエルはさらに戸惑ったが、『吸血鬼』であることを思い出す、それと同時にそういうことかと納得することにした。
「な、なんなんですあれは…声、たかが一声聞いただけじゃない!なのにこれはおかしいです!でも素敵な声だったなぁ……あの白い肌に牙を突き立てて赤くしたい、どんな声で鳴くかな……いけないいけない!もっと気をしっかり!」
ですが、あの首に牙を立てたい…赤く染めたい、白い肌を汚したい、味を知りたい…。
落ち着け私ー!と首を左右にブンブン振り、ふと目の前にある鏡を見た。
そこに映るのは頰を赤く染めた自分、淫靡に口角を釣り上げ、走り終えた直後の様に肩で息をし、やっと欲しいものを見つけた様に微笑んでいる自分だった。
「こ、こんな端ない顔をしていたら恥ずかしくて外にも出れません!……しばらく隠れておきましょう。」
「……」
シエルはフセルがお手洗いに行っている間にポンチョを脱ぎ、クローゼットに仕舞い、そのままうつ伏せにベッドに倒れこんだ。
ベッドはふかふかで、手触りもよく、思わず顔がだらしなく緩んでいく。
どうせ有翼人だってバレてるし……いいよね?
ファサッ!と純白のふわふわとした翼がシエルの背中から飛び出した。
ピンッ!と5秒ほど伸び、今度はふにゃふにゃっと脱力していった。
「ママ様、早速有翼人とばれてしまいましたね!」
声と一緒にどこからかフウカが飛んでくる。
実は服の袖の中に入っているだけなのだが。
「…(バレちゃったねぇ…でもまぁ経験の差をならしょうがないよ)」
「でも他の有翼人の人達のことも聞いてみたいですね♪」
「……(まぁ確かに。)」
「時間が有るときに聞いてみましょう!」
横向きになるように寝返りを打つ。
「制服を着てみた感想はどうですか?」
「……(着心地は最高、ちょっとスースーするけど問題なしって感じかな。)」
「そうですか!軽くですけど、翼の手入れは必要です?」
「……(といっても今日一日ポンチョに隠れてたけど出しっぱなしだったから特になんだよね…でもお願いするね。)」
「分かりました!じゃあ失礼します!」
「っ!?」
「ふわぁ~…ふわふわですぅ~」
その日1日、要請の小さな声と、誰かが何かを耐える声が静かに聞こえた。




