~望み~
本編突入前の重要な出会いその2。
俺が宍倉夫妻に引き取られ1年が経過した。
食事も運動もバッチリだった環境で育ち、俺は1年前からしたら比べるまでもなく大きくなっていた。
そんな俺にあるここ最近の目下の悩みは……
「だぁーうぅー」
半年前宍倉夫妻の間に生まれた子供、娘の瑞輝だ。
宍倉 瑞輝 どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、透流がやたらとハマっていた乙女ゲームの主人公の1人の名前ではないか。
正式なタイトルは知らんが『マナ恋』という略称だというのだけは知っている。
そのゲームは女主人公が3人いて選ぶことができる。
瑞輝を主人公の1人と言ったのはそういう理由だ。
共有の攻略キャラが5人とそれぞれに専用の攻略キャラが1人いるので、それぞれ18のベストエンド、ノーマルエンド、バッドエンドが存在し、更には隠しギャグエンドが各主人公に2つ存在するので全テキスト既読にするのに相当な時間が掛かるゲームだ。
俺はやったことはないのだが、話だけは耳タコになるレベルで聞かされている。
(ただの同姓同名だろう。ゲームの世界に転生したなんてネット小説じゃあるまいし)
ちなみに、記憶を持ったまま人外転生というのもネット小説ではありがちなネタなのだが、そこは棚上げしている。
(仮にそうだとしても乙女ゲーの世界に転生するなら主人公か主人公のライバルキャラ或いは親友ポジってのが妥当な線だろ。言うなればストーリーにおけるメインかサブ辺りのポジ。その中に犬って(笑)先ず、学校にすら通えないからモブ以下確定だしな)
ぶっちゃけ、モブだったらどんなに良かったか。
人であるだけ恵まれている。
俺がもしモブキャラに転生したら、メインキャラ達の絡みを傍観して楽しむね。
(もし、仮に本当にここがあのゲームの世界或いはあのゲームを土台とした現実ならこの娘は主人公の1人ということになる。となれば、将来この娘が複数の男に言い寄られるようになると……少し複雑な心境だな)
これが娘を持った父親の心境というやつなのだろうか?
以前の俺には子供はいなかったし、分からないが遠くないものだと思う。
ちなみに、妹に対してはそんな気持ちになったことは一切ない。
現実の妹は全く萌えない現象ここに極まれりだ。
恐らく愚痴を言い出したらお互いノンストップ&ノーガードの殴り合いになることは必至だろうことだけは明言しておく。
「あー?」
寝台を覗き込む俺を好奇の眼差しで見つめる赤ん坊。
こちらに向かってその小さな手を伸ばそうとしている姿が、たまらなく愛おしいものだ。
妹が赤ん坊だった頃、このような心境になっただろうか?
いや、無い。
(あの頃は俺もクソガキだったし、両親に面倒見させられてた感が半端なかったからな)
妹は12年下のだったので、共働きの親の代わりに俺が面倒を見ていた時期があったのだ。
ちなみに俺の彼女だった透流は妹の幼馴染で親友だった。
透流と知り合ったのはそういう経緯である。
正直、当時高校生だった透流に突然告白されたとき、30を目前としたオッサンだった俺は酷く戸惑ったものだ。
今思うと懐かしい気分だ。
俺が瑞輝の眼前に顔を寄せると、俺の鼻先に触れて楽しそうに笑った。
何がそんなに楽しかったのだろうか?
無垢な子供だ。
目の前に映る光景全てが新鮮で楽しいのだろう。
それに今の俺の顔は精悍とはかけ離れているからな。
人間だった頃もイケメンではなかったが(笑)
仕方ないじゃない。
だって、セント・バーナードだもの。
ずんぐりむっくりとか、のべっとした顔というのが似合う表現の犬種なのだ。
愛嬌はあるのかもしれない。
「あぁーうー」
笑う赤ん坊と俺。
今日も宍倉家は平和だ。
(ま、平和なのも今のうちだけだ。しばらくしたら直ぐに火が付いたように忙しくなる)
子育ては大変なのです(切実)
俺も可能な限り手伝ってはいるが、犬だからな。
哺乳瓶を温めることも出来なければ、オムツを替えることも出来ないのだ。
いや、頑張ればできなくもないよ?
でも、流石にそれは犬として異常って貴文、優歌夫妻に気付かれるからね。
それにこれは親としての仕事であり試練だ。
俺が下手に手出しするする訳にはいかないのだ。
まあ、サポート程度はするが。
人間も動物も赤ん坊は可愛いものだ。
更に半年が経った。
ハイハイが出来るようになって、瑞輝の行動は更に活発になった。
付き合う身にもなって欲しい。
そして、貴文、優歌夫妻。
俺が見てるからって、安心し過ぎだ。
確かに危ないことしないように見張ってはいるが、子供は思いもよらぬ行動するからこっちの精神はいつもハラハラドキドキです。
「せー」
疲れて寝ていたら腹に瑞輝が突っ込んできた。
安眠していたのに一発で目が覚めた。
ちなみに『せー』とは瑞輝が呼ぶ俺の名だ。
『セツ』と発音できないので『せー』になるのだ。
1歳を迎えて、瑞輝は多少ではあるが言葉を発するようになった。
ただ、一番最初の言葉が『父』でも『母』でも、『パパ』でも『ママ』でもなく『せー』……
俺だったのは貴文、優歌夫妻に悪い気がしたが、一番瑞輝を見ていたのは俺なので仕方ないとも言える。
あまり手出しをするつもりはなかったのだが……
夫婦初の子育てで、大変苦労していたので見てられなかったのだ。
その結果、凄く懐かれた。
まあ、可愛いから良いんだが。
子供の相手は結構疲れるのだ。
主に精神的に。
瑞輝は俺の腹毛がお気に入りの模様。
動き回れるようになってからウリ坊ように毎日腹に突進してくる。
好かれているのは分かる。
でも、毛を引っ張るのは勘弁して欲しい。
地味に痛いのです。
ついでに部分ハゲとかできないか心配でならない。
30分程経つと瑞輝は電池が切れたかのように倒れ、深い眠りに入った。
こうなるとしばらくは大抵のことでは目を覚まさない。
俺はいつも通り瑞輝の服を咥えて瑞輝を持ち上げると、そそくさ寝台へと運ぶ。
無論、布団をかけてやることも忘れない。
風邪をひいたら大変だ。
「ヴォフ」
『うむ、完璧だ』と思い、鼻を鳴らす。
ここ一年で俺もほぼ成犬になり大きくなったので、その音は重厚感があって嫌いではなかった。
寝台で眠る瑞輝を覗き込んでいると、
「あら、雪。瑞輝を寝かしつけてくれたの?いつも有難う」
そこに様子を見に来たのであろう、優歌婦人が現れ労ってくれた。
俺の頭を撫でる手つきは優しく気持ちが良い。
ちなみに旦那の貴文は仕事に行ってるからいない。
「ヴォフ」
『気にするな。いつものことだ』という意を込めて鼻を鳴らす。
カワイイは正義、子は宝だ。
「本当に雪がいてくれて助かっているわ。私たちだけだったら多分色々と無理だったわね」
そんな事はないと言いたいが、否定はできない。
元々経験がないのでは仕方のないことだ。
俺は人間だった頃に妹でノウハウを知っていただけに過ぎない。
どちらにせよ、俺は犬なので言葉には出来ない。
「前々から思っていたんだけど、雪って私たちの言葉をきちんと理解してるんじゃないの?」
隠しているつもりではあったが、どうやっても普通の犬を演じるには中身がただのオッサンである俺には難しい。
どうやっても違和感は隠せないのだろう。
元々犬を飼っていた人には尚更だ。
「そんな訳ないか。でも、雪が優しい子ってのは理解してるからね。これからも宜しくね」
「ヴォ」
『こちらこそ宜しく頼む』聞き取れはしないだろうが、俺はそう言って床に伏せる。
折角、瑞輝が寝ているのだ。
こちらも再び起きた時に備えて寝ておく必要がある。
「雪も疲れてるだろうからゆっくりおやすみなさいね」
うむ、言われずともそのつもりである。
そうして、俺は惰眠を貪る。
ずっと家で寝てても文句言われないのは良いね。
犬になってそれには感謝している。
人間だったら穀潰しとかニートとか言われるからな。
何故か女性だと家事手伝いと言われ差別化されているのは、甚だ疑問ではあるが。
人間だった頃は休み自体少なかったし、不定期だった。
動物相手の仕事だったからそれも当然である。
動物にとって人間の都合なんて知ったことじゃないのです。
(これから先、瑞輝がどのエンドを辿るのかは分からない。20の終幕のどれかを辿るのかもしれないし、それ以外の道を行くことになるのかもしれない。だが、彼女の選んだ結末を見届けてみたい。最初は犬になって絶望したが、犬は犬で悪くない)
そんな事を思いながら、俺は深い眠りに誘われた。
不明瞭な未来に対する希望を胸に。
次は一気に時間が飛びます。
少し長かった気もするけど次から本編が始まります。




