第2話
旅に出て、三日が経った。三日もたてば少しは旅に慣れてきた。私は今、人生で初めての一人旅を満喫している。
「ふふふ〜ん♪」
鼻歌を歌いながら、街道を歩く。空は快晴。風は心地よく、道端には見慣れない花が咲いている。背中の荷物は少し重いけれど、それすら今は楽しかった。
何せ、私は自由なのだ。朝起きる時間も、食事をする場所も、どの道を歩くかも、全部自分で決められる。
もちろん、旅の目的は忘れていない。
「次の街は、確か……」
私は鞄から地図を取り出した。
今向かっているのは、故郷から四日ほど歩いた場所にある交易都市ベルク。各地から商人が集まる街で、珍しい食材や調味料も手に入るらしい。
しかも、ベルクには冒険者ギルドがある。旅に出る前、父から口を酸っぱくして言われたのだ。
『いいか、リネット。旅をするなら冒険者ギルドに登録しておけ。身分証にもなるし、何かあったときに相談できる』
冒険者。その響きには少し憧れる。魔物を倒して、人々を助けて、未知の土地を探索する。なんて格好いいのだろう。
「……まあ、私は魔物を倒したくないけど」
だって怖いし。痛いのも嫌だし。何より死にたくない。
私はあくまで料理を学ぶために旅をしているのだ。危険な冒険は、勇敢な人たちに任せたい。
「よしっ。今日も張り切っていくぞ!」
そう宣言して、私は再び歩き出した。
◇ ◇ ◇
お昼を少し過ぎた頃。
私は街道脇の開けた場所で休憩することにした。
大きな木の根元に腰を下ろし、鞄から昼食を取り出す。
今日のお昼は、昨日の宿で作っておいたサンドイッチだ。
香ばしく焼いたパンに、薄く切った燻製肉とチーズ、葉野菜を挟んである。
「いただきます!」
ぱくり。
「ん〜! 美味しい!」
燻製肉の塩気とチーズのまろやかさが、ちょうどいい。
昨日、宿の女将さんに特製の燻製肉のレシピを教えてもらった。これはぜひ覚えておきたい。
私は小さな手帳を取り出して、材料と感想を書き込んだ。
この手帳は、旅に出る前に母がくれたものだ。
『色んな料理を覚えてくるんでしょう? だったら、ちゃんと書き残さないとね』
そう言って、革表紙の立派な手帳を渡してくれた。
まだ最初の数ページしか埋まっていないけれど、いつかこの一冊が料理でいっぱいになったら嬉しい。
「次の街では何が食べられるかなぁ」
そんなことを考えながら、最後の一口を頬張る。
そのときだった。
がさり。
「……ん?」
少し離れた茂みが揺れた。
私は口を動かすのをやめた。
風、だろうか。
がさがさっ。
違う。
明らかに何かがいる。
「…………」
私はゆっくりとサンドイッチを包み直した。
そして、そっと鞄を肩に掛けた。
旅に出る前、父に何度も言われた言葉が頭をよぎった。
「怪しい物音がしたら、確かめようとするな。すぐに離れろ』
うん、そうしよう。私はそろりと立ち上がった。
その瞬間。
「グルルル……」
茂みの奥から、低い唸り声が聞こえた。
「…………」
黒い鼻先。鋭い牙。そして、こちらを睨む黄色い瞳。現れたのは、普通の狼より一回り大きな獣だった。背中には硬そうな黒い毛が逆立っている。
……これ、知ってる。
村の教会にあった魔物図鑑で見た。確か、ブラックウルフ。
初心者冒険者でも複数人で討伐することが推奨される、森に生息する魔物。
「…………こんにちは?」
「グルルッ!」
「ですよね!!」
私は即座に鞄へ手を突っ込んだ。取り出したのは、旅立つ前に作っておいた特製の干し肉。ただの干し肉ではない。香草と塩で味付けし、じっくり乾燥させた、私の自信作である。
これを――
「どうぞっ!!」
思い切り投げた。干し肉は弧を描き、ブラックウルフの少し手前に落ちた。
魔物の視線が肉へ向く。
ぴたり。動きが止まった。
「……よし!」
私の固有スキル《飯テロ》。
自分が調理した食べ物を認識した生物の食欲を刺激する能力。
どこまで効果があるのか、正直まだよく分かっていない。でも今は緊急事態だ、ダメもとでも試すほかない。
思惑通りブラックウルフが干し肉に鼻を近づけ、勢いよく食いついた。
「やった!」
私は踵を返した。
「それじゃあ失礼しまーす!!」
全力疾走、これが私の必勝法である。戦わず近づかない。食べ物を渡して逃げる。
完璧だ。
……そう思っていた。
◇ ◇ ◇
「はっ、はっ、はっ……!」
どれくらい走っただろう。
私は街道から少し外れた森の中で、ようやく足を緩めた。
「よ、よかったぁ……」
心臓がばくばくしている。
怖かった。本当に怖かった。でも、何とかなった。
「やっぱり《飯テロ》って便利かも……」
私は胸を撫で下ろした。油断したその時。
がさっ。
「…………え?」
後ろから音がした。
振り返る。
木々の間に、黄色い瞳が二つ。
「……うそ」
さっきのブラックウルフだった。
どうやら干し肉を食べ終えて、こちらを追いかけてきたらしい。
「ちょ、ちょっと待って! もう食べたでしょ!?」
「グルルル……」
「おかわりはありません!!」
実際には鞄にはまだある。
でも、ここで全部使ってしまったら、次に魔物と遭遇したとき困るではないか。
……いや。
今死んだら次も何もない。
「はいっ! もう一個!」
私は二つ目の干し肉を投げた。
ブラックウルフがそちらへ飛びつく。
よし、逃げよう。そう思った瞬間。
「グルル……」
右側の茂みから、別の唸り声。
「…………」
左からも。
「グルルル……」
「………………」
ゆっくりと周囲を見回す。
一、二、三匹。
……四匹?
「なんで増えてるのぉぉぉ!?」
どうやら運が悪いことに近くに群れがいたらしい。しかも、私が投げた干し肉に興味津々である。
もしかして。
《飯テロ》って、食べ物を見せたら見せただけ、魔物が寄ってくるのでは?
……いやいや。
そんなこと考えてる場合じゃない!
「無理無理無理! 絶対無理!!」
私は走った。とにかく走った。木の根を飛び越え、低い枝をくぐり抜け、必死に足を動かす。後ろから複数の足音が聞こえる。
怖い。怖い怖い怖い!
「誰か助けてええええ!!」
森に、私の情けない悲鳴が響き渡った。
◇ ◇ ◇
前方に人影を見つけた瞬間、私は叫んだ。
「逃げてくださああああい!!」
背の高い男の人だった。暗い色の髪に、旅慣れた様子の服装。そして何より目を引いたのは、背中に担いだ巨大な剣。
……強そう。
でも、相手は魔物が五匹だ。いくら強そうでも、危険なことに変わりはない。
私は必死に手を振った。
「魔物! 後ろから魔物が来てます!!」
「……は?」
男の人がこちらを向く。
青灰色の瞳が、私を捉えた。
ちょっと怖い顔だ。
でも今はそれどころじゃない。
「とにかく逃げてください!!」
私はそのまま男の人の横を走り抜けた。
後ろで何か声がした気がするけれど、聞き取れなかった。
ごめんなさい!私、今それどころじゃないんです!
そのまましばらく走り続けたところで、背後から獣の悲鳴のような声が聞こえた。続いて、何か重いものが地面に落ちる音。
……え?
思わず振り返りそうになった。でも、怖い。とりあえずもう少し走ろう。そうして、私は大きな木の陰まで逃げ込んだ。
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……!」
私は木の根元にしゃがみ込んだ。
足が震えている。いや、走りすぎたからじゃない。怖かったからだ。
「……生きてる」
よかった。本当によかった。
でも。
「……あの人、大丈夫かな」
途中ですれ違った、背の高い男の人。あんな大きな剣を背負っていたのだから、きっと冒険者なのだろう。
でも、ブラックウルフが五匹もいた。もし怪我をしていたら。もし逃げ遅れていたら。
「…………」
私はしばらく悩んだ。正直、戻りたくない。ものすごく戻りたくない。
でも、あの人を置いてきてしまった。
「……ちょっとだけ」
私は立ち上がった。音を立てないように、そろそろと来た道を戻る。
途中、折れた枝や踏み荒らされた草が目に入った。嫌な予感がする。
そして。
「……あ」
少し開けた場所に出たとき、私は足を止めた。そこには、さっきの男の人が立っていた。
足元には、倒れたブラックウルフが五匹。男の人は大剣についた血を払い、何事もなかったように背中へ戻している。
「…………」
すごい。
あの魔物を全部倒したの?しかも、怪我ひとつしていないように見える。私は思わず声を漏らした。
「……生きてる?」
男の人がこちらを向いた。
「……それはこっちの台詞だ」
「あっ」
低い声だった。怒っている。
……ような気がする。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて頭を下げた。
「魔物を引き連れてきちゃって! でもわざとじゃなくて! 最初は一匹だったんです! それがいつの間にか増えてて!」
「……落ち着け」
「はい!」
「まず、怪我は?」
「……え?」
「怪我をしていないかと聞いている」
「あ、してないです!」
「そうか」
男の人は短く答えた。そして、倒れた魔物へ視線を戻す。
「何であんな数に追われていた」
「えっと……」
私は鞄を抱きしめた。
「ご飯をあげたら、追いかけてきました」
「…………」
「……?」
「……もう一度言ってくれ」
「ご飯をあげたら、追いかけてきました」
男の人は眉間を押さえた。
「意味が分からん」
ですよね。私もそう思います。
◇ ◇ ◇
事情を説明するのには、少し時間がかかった。
私が料理を作るのが好きなこと。
旅の途中で魔物に遭遇したこと。
持っていた干し肉を投げたら食いついてくれたこと。
そして、その後なぜか仲間まで増えて追いかけてきたこと。
男の人は途中で何度か呆れたような顔をしたけれど、最後まで聞いてくれた。
「……つまり、お前は魔物に餌をやって逃げたのか」
「はい」
「それで、食い終わった魔物に追われた」
「はい……」
「しかも群れのいる森の奥へ逃げ込んだ」
「…………はい」
「馬鹿なのか?」
「うっ……」
ひどい。でも否定できない。
「だ、だって怖かったんだもん……」
「怖いなら街道から外れるな」
「はい……」
「そもそも、なぜ一人でこんな場所を歩いている」
「旅をしてるからです」
「一人で?」
「一人で」
「……冒険者か?」
「いえ、これから登録する予定で……」
「…………」
男の人が黙った。さっきよりずっと長い沈黙だった。
「……戦えるのか」
「戦えません」
「魔法は?」
「ほとんど使えません」
「護衛は?」
「いません」
「……よく三日も無事だったな」
「えへへ……」
「褒めてない」
ですよね。
男の人は深いため息をついた。
「どこへ向かっている」
「ベルクです!」
「……ベルクか」
少し考えるように目を細める。
「俺もそこへ行く」
「そうなんですか!」
「ああ」
「じゃあ、同じ方向ですね!」
「……そうだな」
男の人は私をじっと見た。
何だろう。
もしかして、怒られる?
「……そこまで送る」
「…………え?」
「ベルクまでだ。俺も行くついでだからな」
私は目を丸くした。
「い、いいんですか!?」
「このまま放っておいたら、また魔物を引き連れてきそうだからな」
「うっ」
「それに、街道の魔物を無駄に刺激されても困る」
そう言って、男の人は歩き出した。
私は慌てて後を追う。
「あ、あの!」
「何だ」
「ありがとうございます!」
「……ああ」
「私、リネットっていいます! リネット・ベルナー!」
「……レオンだ」
「レオンさん!」
「レオンでいい」
「じゃあ、レオン!」
呼び直すと、彼はちらりとこちらを見た。
そしてまた前を向く。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうでちょっと怖い人だ。でも落ち着いてよく見てみると目つきは鋭いが整った顔をしている。
でも、悪い人ではなさそう。
何せ、見ず知らずの私を助けてくれたうえに、護衛までしてくれるのだ。
私はほっと胸を撫で下ろした。
これで少なくとも、ベルクまでは安心だ。
……たぶん。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、私たちは街道を歩いた。
レオンはあまり喋らない。
私が話しかければ答えてくれるけれど、自分から話題を振ってくることはほとんどなかった。
「レオンは冒険者なの?」
「ああ」
「何ランク?」
「Aだ」
「へぇ、Aランク……」
……ん?A?
「ええっ!? Aランク!?」
「……声が大きい」
「だ、だって! Aランクってすごく強い人でしょ!?」
「まあ、それなりには」
「それなりって!」
冒険者ギルドのランクは、下からF、E、D、C、B、A、Sの七段階。
Aランクといえば、熟練の冒険者でもなかなか到達できない高みにいる人たちだ。
そんな人が、どうしてこんなところを一人で歩いているのだろう。
「パーティの人は?」
「いない」
「今日はお休み?」
「いや。基本的に一人だ」
「えっ! 一人でAランク!?」
「……さっきから驚きすぎだ」
いやいや。
驚くでしょう。
私なんて魔物一匹に追いかけられて泣きそうだったのに。
……いや、実際ちょっと泣いたけど。
「すごいねぇ……」
思わず感心すると、レオンは少しだけ居心地悪そうに顔を逸らした。
「……別に」
あ。もしかして、褒められるの苦手なのかな。
そんなことを考えているうちに、日が傾き始めた。
◇ ◇ ◇
「今日はここで野営する」
レオンが足を止めたのは、街道から少し離れた小川の近くだった。
周囲は開けていて、見通しもいい。
大きな岩が風を遮ってくれる、ちょうどよさそうな場所だ。
「ここ、安全なの?」
「魔物の通り道から外れている。見張りもしやすい」
「へぇ……!」
さすがAランク。野営場所ひとつ選ぶのにも、ちゃんと理由があるらしい。私は感心しながら荷物を下ろした。
そして、ふと思い出す。
「あっ、そうだ!」
「……何だ」
「レオン、夕飯まだだよね?」
「ああ」
「じゃあ、私が作る!」
レオンがこちらを見た。
「……料理?」
「うん! 助けてもらったお礼!」
「別に礼はいらん」
「でも私がしたいの!」
私はにっこり笑った。
「料理、得意なんだ!」
レオンは少し考えてから、肩をすくめた。
「……好きにしろ」
「やった!」
私は早速、鞄から調理道具を取り出した。
小さな鍋。
包丁。
まな板。
調味料の入った小瓶。
そして、昨日の宿で買っておいた野菜と燻製肉。
「今日はシチューにしようかな」
野営で作るには、少し手間がかかるがせっかくのお礼なのだから美味しいものを食べてもらいたい。
私は袖をまくった。
「よーし、頑張るぞ!」
まずは玉ねぎを刻み、少量の油を引いた鍋でじっくり炒める。透明になって、甘い香りが立ち始めたら、角切りにした燻製肉を加える。
じゅうっ。
鍋から、食欲をそそる音がした。
「……」
少し離れたところで薪を割っていたレオンが、こちらを見た。
私は気づかず、料理を続ける。
人参と芋を加え、軽く炒める。
そこに水を注ぎ、乾燥ハーブと塩を少々。
あとは野菜が柔らかくなるまで煮込むだけ。
本当なら生肉を使いたかったけれど、今日は保存の利く燻製肉で我慢だ。
その代わり、仕上げに少しだけ牛乳と小麦粉を加えて、とろみをつける。
村で母に教わった、私の得意料理。
……そういえば。
「レオン!」
「何だ」
「苦手な食べ物ある?」
「特にない」
「よかった!」
私は安心して鍋をかき混ぜた。しばらくすると、辺りに温かい香りが広がり始める。
そのときだった。
「……妙だな」
「え?」
レオンがぽつりと呟いた。
「さっき昼飯を食ったばかりのはずなんだが」
「うん?」
「……腹が減った」
私は鍋をかき混ぜる手を止めた。
あ、そうだった。
私のスキル。
「えっと……たぶん、それ私のせいかも」
「……どういう意味だ」
「実はね、私、固有スキルを持ってるの」
レオンの動きが止まった。
「……固有スキル?」
「うん」
「本当か?」
「本当だよ!」
私は胸を張った。
「世界に一つしかない、とっても珍しいスキルなんだって!」
「……それで?」
「スキル名は《飯テロ》!」
「…………」
レオンが黙った。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……何だそれ」
「私もそう思った!」
思わず笑ってしまう。
「私が作った料理を見ると、みんなお腹が空いちゃうんだって」
「……それだけか?」
「今分かってるのは、それだけ!」
「…………」
「でも味は変わらないから、美味しいかどうかは私の腕次第なんだよね」
レオンは何とも言えない顔をした。
まあ、そうなるよね。
私だって最初はそうだった。
「だから、まずかったらちゃんと言ってね!」
「……ああ」
それだけ答えると、レオンは再び焚き火の向こうへ視線を戻した。
どうやら、それ以上は聞かないらしい。
ちょっと意外だった。固有スキルだと知った人は、たいてい根掘り葉掘り聞いてくるのに。
でもまあ、今は料理の続きだ!
「よし、完成!」
私は木の器にシチューをたっぷりよそった。それから、昼間買っておいた丸パンを添える。
「はい! どうぞ!」
レオンの前に差し出すと、彼は少しだけ目を見開いた。
「……ずいぶん本格的だな」
「えへへ。料理は好きだから!」
私は向かいに座り、自分の分もよそう。
「それじゃあ、いただきます!」
レオンもスプーンを手に取った。
そして、一口。
「…………」
ぴたり。動きが止まった。
私はどきどきしながら顔を覗き込む。
「……どう?」
レオンは何も言わない。
もう一口。
さらに一口。
……あれ?
もしかして、口に合わなかった?
「レオン?」
「……うまい」
「えっ」
「うまいな、これ」
その言葉を聞いた瞬間、私はぱっと笑顔になった。
「本当!?」
「ああ」
「よかったぁ!」
胸の奥が、じんわり温かくなる。初めて会った人に、自分の料理を食べてもらう。しかも、美味しいと言ってもらえるのがこんなに嬉しいなんて。
「おかわりもあるよ!」
「……もらう」
「もちろん!」
私は張り切って二杯目をよそった。
レオンはそれもあっという間に平らげた。
そして。
「……まだあるか?」
「あるよ!」
三杯目。
「……」
四杯目。
「…………」
五杯目。
私は空になった鍋を見つめた。
「……レオン、よく食べるね?」
「……そうか?」
「うん。すごく」
レオンは少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……腹が減っていた」
「そっか!」
私はにこにこ笑った。いっぱい食べてもらえるのは嬉しい。でも、ちょっと不思議だった。
《飯テロ》は食欲を刺激するスキル。
だから、たくさん食べたくなるのは分かる。でも、今までの人たちは、ある程度食べれば満足していた。レオンは、どうやらそれとは少し違うらしい。
……まあ、体が大きいからかな?
私は深く考えないことにした。
◇ ◇ ◇
夜。焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てている。私は毛布にくるまりながら、料理手帳を開いていた。
今日作ったシチューの材料と、レオンの感想を書き込む。
『燻製肉のシチュー。野営でも作りやすい。レオンに好評。五杯食べた。』
……五杯。
改めて書くと、すごいなぁ。
「何を書いている」
向かいから声がした。
「料理の記録だよ!」
「……料理の?」
「うん。旅先で覚えた料理を、全部ここに書いていくつもりなの」
私は手帳を閉じて、胸に抱えた。
「色んな国の料理を食べて、現地の人に作り方を教えてもらって、自分でも作ってみたいんだ」
「……そのために旅を?」
「そう!」
私は頷いた。
「知らない食材とか、見たことない料理とか、いっぱいあるでしょう? それを自分で見つけたいの」
レオンは黙って聞いていた。
「だから、いつかこの手帳を料理でいっぱいにするのが夢なんだ!」
「……そうか」
短い返事だった。でも、不思議と冷たくは感じなかった。
「レオンは?」
「……何がだ」
「旅の目的!」
「特にない」
「えっ?」
「依頼を受けて、金を稼いで、次の街へ行く。それだけだ」
「へぇ……」
そんな旅もあるんだ。私は少し考えてから、笑った。
「じゃあ、好きなところに行けるんだね!」
「……まあな」
「いいなぁ!」
レオンが少し意外そうな顔をした。
「……羨ましいのか?」
「うん! だって、行きたいところができたらすぐ行けるんでしょう?」
「……そうだな」
「私もそんなふうに旅したい!」
レオンはしばらく私を見ていた。それから、小さく息を吐く。
「……お前は変わってるな」
「えっ、そう?」
「ああ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
私は首を傾げた。
レオンは何も答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元が緩んだような気がした。
◇ ◇ ◇
その夜、私は久しぶりに安心して眠った。もちろん、野営が初めてというわけではない。旅に出てからも、何度か一人で夜を過ごした。でも、森の中で眠るのはやっぱり怖い。少し物音がするだけで目が覚めるし、暗闇の向こうに何かいるんじゃないかと考えてしまう。
けれど今日は違った。
「……レオン」
「何だ」
「見張り、交代しなくて大丈夫?」
「お前が起きていても、魔物が来たら対処できないだろ」
「……それはそう」
「寝てろ」
「……うん」
私は毛布を鼻まで引き上げた。
「ありがとう」
「……ああ」
焚き火の向こうで、レオンが静かに座っている。その背中には、大きな剣。
何だか、ものすごく頼もしかった。
……でも。
「ねえ、レオン」
「今度は何だ」
「明日の朝ご飯、何がいい?」
「……何でもいい」
「それ一番困るやつ!」
「……なら、今日の残りでいい」
「全部食べちゃったじゃん!」
「…………そうだったな」
私は思わず笑った。レオンも、少しだけ笑ったような気がした。
そして私は目を閉じる。明日は何を作ろう。ベルクには、どんな料理があるんだろう。そんなことを考えているうちに、意識がゆっくりと遠のいていった。
ーーこうして、私の初めての一人旅は、たった三日で二人旅になった。
もっとも、このときの私はまだ知らない。
この無口でちょっと怖いAランク冒険者が、後に私の旅に欠かせない存在になることも。
そして、彼が想像以上に食いしん坊であることも。
それは、もう少し先のお話。




