【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】17
簡単あらすじ
戦いを通して、キイチは学んだ。自分が、どれだけ八雲に愛されていたのかを。そして、自分がどれだけ八雲を大切に思っているのかを。
しかし、気づいた時には既に遅く……。
狐衾は、絶えず自分の体の中を、霊力で循環させている。しかしその循環が停止すると、普通の人間と同じように死を迎える。椋に斬られた時から、カウントダウンは始まっていたのだ。
「古御門八雲様は──たった今、天に召されました」
狐白の穏やかな声が、ホールに反響する。キイチは、崩れ落ちた八雲の元に歩み寄ろうとしたが、その足は段差に取られて転んでしまう。
「い……っ……」
いつもなら、すかさず手を差し伸べてくれる八雲の助けはない。それが余計に、嫌な想像をかきたてる。
キイチは痛みに顔を顰めながら震える体を起こした。
「八雲」
足を引きずりながら、八雲の体を懸命に抱き起こす。
琥珀色の瞳は、固く閉じられていた。その胸は、呼吸すらしていない。
「あ……」
天に召された。その言葉の意味を、キイチは理解できない。死を認めることは彼にとってまだ難しかった。そういうことにしておけば、傷つかないで済むから。
まだ、子供でいたい心に反して、彼の手のひらは八雲の死を温度として伝えてくる。
「八雲……」
いつでも受け身でいれば、八雲が助けてくれた。八雲が手を差し伸べてくれた。
青い炎に包まれた両手が、八雲の体をそっと抱き寄せる。
「八雲……ボク、分かったんだ。ようやく分かったんだよ……」
とめどなく溢れる涙は青い炎に変わり、滴り落ちる。
もはや熱いのか冷たいのか、それすらわからなくなっていた。
「きみはこんなボクを、精一杯愛そうとしてくれた。ボクは、そんなきみのことが……世界で一番大好きだったんだって」
くしゃくしゃの顔で、キイチが笑う。涙とともに感情が噴き出し、止まらない。
彼の中で生まれ、育まれた感情は目の前の出来事を否定して、膨らんでいく。
「ッ!!」
キイチの体は、青い炎となって天を焦がすように燃え上がっていく。何もかもを焼き払うかのように。
青い炎は狂ったように周囲を焦がし、信者たちは喜びの声を上げてひれ伏す。
「本当に素晴らしい」
狐白は、うっとりとその炎を見つめていた。すぐに信者たちが松明を持ってキイチの傍に近づく。松明に青い炎を燃え移らせ、その内の一本を狐白にも差し出した。
「参りましょうか」
狐白は穏やかな声でそう言って、壇上へと上がっていく。ホールの中央──鳥かごの真下には大量の薪が積み重なっていた。
そこへ、信者たちが生まれたての青い炎をともす。
「御神体に鬼の血を混ぜることが、これほど相性の良いことだったなんて。古御門ゆりには、感謝をしなければなりませんね」
狐白はそう言って微笑む。そんな狐白の元に信者たちが壺を持って駆け寄ってきた。中には、複数人の心臓が浸かっている。
「こ、これで我々は……お母様にお会いできるんですね?」
爛々と目を輝かせているその信者は、何かに取り憑かれたかのようにうっとりとした顔をして青い炎を見つめた。
「ええ。あとはこの心臓と、私たちの命を青い炎にくべれば……」
壺の中に浮かぶ心臓を愛しげに見つめて、狐白が微笑む。
その時、確かに青い炎の中心に赤い火花が見えたのだ。青い炎に、不純物が混じっている。狐白が勢いよく振り返ると、そこには炎の狗を従えた和服の男が立っていた。
「急急如律令反転呪化、火葬荒御魂」
炎が収縮していき、キイチの体からみるみるうちに青い炎が消えていく。それは、一枚の札によって吸い上げられていた。
煙草をくわえ、無精髭を生やした男がひらひらと札を揺らす。
「鬼道、柊ッ……」
これまでずっと温厚そのものだった狐白の表情が、憎しみに歪んだ。彼の体には、彼だけのものではない様々な形をした人魂が揺らめいている。それは彼の祖母であったり、顔も知らない兄弟のもの。八雲以前に作られた失敗作たちの魂。それらが狐白の体にまとわりついていた。
「これは、我々一族の悲願です……。邪魔をしないでいただけますか?」
狐白の白目は充血し、眼球が不規則に震えている。
柊は煙草の煙を吐き出すと、眉間に皺を寄せて『ああ?』と不快そうな返事をした。
「何が悲願だよ、バケモンが。テメーは何だ。どーゆー了見で人んちの息子に手ェ出してくれちゃってんだよ」
彼の後ろから、ひょこりと顔を覗かせた幼い子供が、燃え盛るキイチの頭に手を置いた。
狐白からすれば、突然赤い火花が弾けたようにしか見えない。けれどそこには、キイチを救うために姿を現した古の陰陽師の姿があったのだ。
当然、キイチにもその姿はハッキリと見える。鬼道の血が流れた者には、皆。
「怖くないよ。私はきみを救いに来ただけだから」
鬼道澄真。あどけない顔をして微笑んだ陰陽師は、優しくキイチの頭を撫でた。
柊の体を纏った赤い霊気は、熱く激しく渦巻いて青い炎を押し込んでいく。
「ご先祖さまよォ、俺ならその火ィ、一発で消してやるけど?」
「柊は乱暴だよ。いつも言ってるじゃない。火は優しく──。一瞬で消すんだよ」
ぱちん、と澄真がキイチの頭上で手を叩く。
青い炎の中から、傷ひとつないキイチの姿が現れた。八雲の体を抱いたまま、肩を震わせてしゃくりあげている。
「最後は父親の番。頑張って」
澄真はそう言って楽しげに笑うと、どこからともなく取り出した芋けんぴを、美味しそうに食べ始めた。
神出鬼没な陰陽師は、言いたいことだけ言って姿を消してしまう。
「……ほんっと勝手だな、俺らのご先祖さまは。まァ……」
柊は頭をがしがしとかいてため息をつくと、泣きじゃくるキイチの傍に屈む。
「俺も大概か」
彼の腕の中にいる八雲は、既に事切れている。呼吸もない。けれど微かに、彼の中に微かな命の火が見える。キイチには見えていないようだが、柊の目にはハッキリと映っていた。
「キイチくん──ちょいと俺の真似してみな」
柊は、動かない八雲へ手をかざす。柔らかな赤い炎が手のひらから放たれ、八雲の体を優しく覆う。
キイチは戸惑ったように柊を見つめていたが、彼に倣って、八雲の頬に手を添えた。どう力を使ったら良いのか、キイチは柊を観察しながら、己の中の力を八雲に集中させた。
「さっきの青い火を、優しく送り込んでやるイメージ。そう──センスいいぜ」
柊から赤い炎が、そしてキイチの青い炎が混ざりあって、八雲の体の中で循環していく。霊力を失った八雲の体に、体温が戻っていった。
「……う」
八雲の瞼が小さく動く。その琥珀色の瞳が、再びキイチを映すよりも早く──キイチは動いていた。
「八雲……!」
キイチは強く八雲を抱きしめ、その存在を確かめるように頬擦りをする。八雲は、ぼんやりと虚空を見つめたまま、静かに瞬きを繰り返していたが、やがてゆっくりと腕を持ち上げる。血の乾いた赤い手が、自分の目元を押さえた。
「……キイチ、お前の声がした」
目元を押さえたまま、八雲がぽつりと呟く。泣き腫らした顔で小さく鼻をすするキイチに、八雲が続けた。
「俺も……世界で一番、お前が好きだよ」
涙と血を滲ませて、八雲が笑う。その眼差しは、もう死に向かおうとしている目ではない。
八雲にぎゅうっとしがみつくキイチの頭をぽんと撫でて、柊が不器用に笑った。
「よくやったぜ、キイチくん。初めてなのに上……」
その時、柊の腹から薙刀の刃が勢いよく突き出してきた。血しぶきと共に、こぷっと口から鮮血が溢れる。
「──はい、上手やったよ」
穏やかで無慈悲な声。金糸雀色の袖が、鮮血と共に柔らかく舞う。それは、柊と同じ赤い瞳をした麗人──鬼道椋のものだった。




