【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】18
簡単あらすじ
キイチと八雲の窮地を救ったのは鬼道柊だった。しかし、彼を背後から斬り捨てたのは鬼道家四男。『落ちこぼれ』と称されていた椋で……。
びゅん、と薙刀が大きく振るわれ、鮮血が床に滴る。柊の体は呆気なくその場に崩れ落ちた。
即座に八雲がキイチを庇おうとするが、それより先に薙刀が動く。
「霜月!」
キイチの呼びかけによって出現した氷狼が、キイチと八雲を咥えて後方に避難する。
薙刀は空を切って、白い床に爪痕を残した。椋は、にこやかな笑みを貼り付けたまま、静かに向き直る。
その微笑みは、同じ人間とは思えない。まるで血も涙もない鬼そのものだとキイチは思った。
「キイチくん……キミは、今幸せ?」
聞き覚えのある、いつかの問いかけ。
かつてキイチの目の前に、黒い影と共に現れた和傘の麗人──。あの時の人物は椋だったのだ。あの時は和傘で顔が隠れていたせいで、椋の顔を知らなかった。けれど、今ならわかる。彼もまた、自分と同じ妖の血が流れていることを。
「ボクは──世界一幸せや」
椋は、妖艶に微笑んでキイチに歩み寄ってくる。その佇まいに、一切の隙はない。
死の淵から生還したばかりで身動きが取れなかった八雲が、ゆっくりとキイチを庇うように腕を広げる。その琥珀色の瞳が、椋を映した。自分に致命傷を与え、死へと追い込んだ男を。
「馬鹿め……」
それを聞いた椋の、表情こそ穏やかだったが、彼を纏う空気に暗い湿度が混じる。
「鬼道柊が、その程度で死ぬわけないだろうッ……!」
八雲の声と共に、椋の頭上に巨大な影が出現した。はっと振り返った視線の先に、斬り殺したはずの骸は既にない。その場に、微かな炎だけを残して。
反射的に椋が八雲たちの前から飛び退くと同時に、炎を纏った陰陽師は降り立った。
「──おたくはよォ、霊力も感じられねェのか? その薙刀は飾りかい?」
手のひらの上で、赤い炎をあやすように燻らせながら、その男は問いかける。
現代の鬼道澄真。鬼道家元当主にして、最強の陰陽師──その名を鬼道柊。
炎と同じ赤い目をしたその男が、椋を見据えた。
「かんにんえ。落ちこぼれなんです、ボク」
それでも、一切怯むことなく椋は笑う。自分を落ちこぼれと名乗った殺人鬼。
2人は、暫し無言で見つめあった。先に沈黙を破ったのは柊だ。煙草を咥えて、指を軽く鳴らすことで起きた自前の火花で火をつける。
「今日はずいぶんおめかししてるじゃねェか、通り魔。最後に会ったのは夏休みの──」
世間話のように柊が話しかける。しかし、最後まで言い終えるよりも早く、大きなリボンが目の前で舞った。成人男性がつけるには不釣り合いな、かわいらしい色のリボン。
びゅんと音を立てて、薙刀が首を狙いに来る。
「……話は最後まで聞けよ」
辛うじてその一閃を避けた柊は、指先から炎を迸らせるが──椋は薙刀でそれを易々と両断した。
彼は、冗談や遊びで薙刀を振るっているのではない。最初から、この場にいる全員を殺すつもりだ。
試しに袖を軽く振って炎を靡かせるが、椋の薙刀には効果がないらしく、打ち消されてしまった。
「チッ……やりづれ〜な」
柊が舌打ちをする。彼は陰陽師だ。術以外の手持ちは煙草とスマホくらいだが、椋に術が効かないなら意味がない。まだ物理攻撃が効かないだけの黒衣のほうがマシだ。
この状況を、どう打破しようか。椋と距離を取りながら考えていると、柊の足元にふわふわしたものが触れた。彼の足にまとわりつくように、白い子狐が現れたのだ。
「やあ、私の助けが必要かな?」
子狐は人懐っこく足に擦り付くと、柊を見上げる。子狐の瞳は、彼と同じで赤い。そして、恐らく椋にも見えている。
鬼道澄真。鬼道家始まりの陰陽師。
「あの殺人鬼をご先祖パワーでぶっ倒してくれんのか?」
柊は椋と睨み合ったまま、足元の子狐に飄々と問いかけた。子狐は背中を床に擦り付けて気持ちよさそうにしっぽを振った後、自分の揺れるしっぽに気づいて体を起こす。
「まさか、そんなことしないよ。でも……」
子狐は、自分のしっぽを追いかけるように、遊ぶようにくるくると回った。その仕草は、狐というよりもまるで犬だ。けれど、誰もその行為を咎めなかった。この緊迫とした雰囲気の中で、無邪気な子供のような彼の行為に和む者もいない。ただ、異質な空間。
「今のままだと少し不公平だよね」
大きなしっぽが床を撫でた瞬間、金属音と共に、赤銅色の柄をした日本刀が足元に転がる。子狐は、まるで武器を取れとでも言うように『くーん』と鳴いた。
カン、と軽快な音を立ててつま先で蹴りあげられた刀が、柊の手に収まる。
「──ケチだよなァ。俺はこういうモンを使うのが一番苦手だっつーのによ」
先祖からのプレゼントに茶々を入れながら、柊は手の中の武器を確かめるように軽く振るった。シンプルだが、妙に手にしっくりと馴染む。以前にも黒衣との戦いで槍を使ったことがあるが、武器というものはどうにも上手く扱えた試しがない。
だが、そうも言っていられないだろう。何せ相手は薙刀を手足のように扱う武器の達人だ。
椋は、柊の出方を待つように黙っていた。その赤い瞳は、熱に浮かされたように柊をまっすぐに見つめている。柊もまた、椋を見つめていた。
睨み合うふたりの子孫を見て、子狐が目を細める。
「頑張って、とは言えないな。きみだけを応援したら、やっぱり不公平だもの」
大きなしっぽをゆるやかに振った子狐は、ただ『死なないで』とだけ告げると、キイチに振り返った。青い瞳を丸くしているキイチを見て、小さくひと鳴きする。
その姿は、彼の血族にしか見えない。だから、なぜキイチが一点を見つめているのか、柊は誰と話しているのか、八雲には分からなかった。
「キイチ……どうかしたのか? 何が見えている?」
あまりにも一点を見つめたまま動かないキイチを案じて、八雲が声をかける。
「……鬼道、澄真?」
キイチが不思議そうに、微かな期待を声色に乗せて尋ねた。気まぐれな子狐は、その問いには答えず。ただ両足を揃えて、キイチの真似をするように小さく小首を傾げたのち──煙が立ち上ったかのように姿を消した。
「……」
しん、とホールが静まり返る。聞こえるのは祭壇の上で煌々と燃える青い炎が弾ける音だけ。
一瞬沈黙が流れた後、ふたりの姿が消え──ギィン、と獲物の擦れ合う音が響く。椋の薙刀には、一切の迷いや躊躇いなどない。
「──ふ」
動きにくい和服であるにも関わらず、椋の動きは人間の身体能力を超越している。
いくら最強とは言え、柊は武器を使った戦闘に慣れていない。むしろどちらかといえば、派手に術を使えないこの戦いは苦手な部類に入る。
「ふッ!」
しかし、天性の才能か、柊はすぐに椋の動きに慣れていく。
獲物の擦れる音と炎の爆発が立て続けに起こった。柊は、炎を目くらましのように操って薙刀の攻撃を受け流している。だが同じ手が何度も通じる程、敵は甘い相手ではない。
「もうちょい手加減してくんねェかな。ちょっと息上がってきちまってよ」
「煙草の吸いすぎちゃいますか?」
白く高い天井を、壁を自由自在に使いながら、柊は薙刀に弾かれて高く跳躍する。そのまま綺麗に宙返りをして壁に足を付き、すぐさま重力に任せて椋に斬りかかった。
弾かれて、払い除けられてはまた椋の懐に飛び込んでいく戦法。
「……よう跳びはるわ」
切れ長の瞼から赤い瞳が覗く。
「ちッ!」
ギィン、と音を立てて薙刀が柊の喉元を狙った瞬間、反射的に日本刀で受け止める。
その今までとは違った椋の鬼迫に、柊のリズムが乱れた。
「落ちこぼれに追い詰められる気分は──どない?」
にた、と椋が笑う。
「馬鹿みたいな身体能力しといて何の冗談だ、テメー……」
未だ刀を握った手首は痺れていた。壁に穴を開けるほどの威力で、椋の薙刀が柊の顔横に突き立てられる。あと少しズレていたら脳天を突き破られていたかもしれない。
このままでは消耗戦になる。一旦、外に出たほうがいいだろう。
「来いよ、殺人鬼!」
柊は壁から外に抜け出すと、そのまま壁に日本刀を突き立ててその上に飛び乗り、壁伝いに天井へと降り立った。
逆さ芙蓉の中腹に建てられたその白い建造物は、崖に張り付く神殿だ。内部は吹き抜けの大広間。外へ出れば女神の腕のように左右に広がった尖塔が、空へ向かって伸びている。幅は非常に狭い。足を滑らせたら最後、雲海の奈落が待っている。
「うおッ!」
風の刃が、柊の袖を裂く。背後から柊の後を追って、椋の攻撃が続いた。長いリーチを活かして、薙刀がしなる。
次第に、柊は尖塔の端へと追い詰められていった。
「ええ眺めやねぇ……」
椋はそう言いながら、呼吸も乱さずに歩み寄ってくる。外に誘い込んだつもりだったが、いよいよ絶体絶命のようだ。
「はっ……バーカ」
だが、こんな時こそ最強と謳われた陰陽師の見せどころというもの。
「ピンチの方が燃えんだよ」
鬼道柊とは、そういう男だ。




