【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】15
簡単あらすじ
狐輪教の本拠地で狐白に導かれた八雲は、キイチに再会する。キイチは、人が変わったかのように冷酷な態度で八雲に問いかける。『どうして古御門八雲になったのか』と。
そんなキイチに、十二神晶のひとつである霜月、氷狼を奪われてしまった八雲は……?
氷狼は、低い唸り声を上げながら八雲を見下ろしている。
通常、陰陽師と主従関係を結んだ式神は、主に歯向かうことはできない。それは十二神晶であっても同じこと。
不可能なはずなのだ。
「ガァアッ!!」
卯月の結界が、氷のブレスを弾く。光の壁越しでも、体の芯まで凍りつきそうな寒さが八雲を襲った。
「……酔わせろ、弥生」
八雲が再度命じる。命令に応じて出現したのは、赤い衣を纏った虎。その体からは甘い花の香りが立ち上り、対象者の神経を和らげる。それは、軽く酔わされたような感覚に近い。
痛覚を麻痺させることで、受けたダメージが軽減する。弥生の力は多岐にわたるが、今回は防御に全振りした。
「揺らせ、葉月」
続けて命じると、結界の外に羊が飛び出した。それは次々に増殖し、群れを形成して氷狼へと突進していく。
キイチは、涼しげな青い瞳を瞬いた。風もないのに、ふわり、と白い髪が靡く。
羊の群れに向かって、両手の親指と人差し指を使い、カメラで撮影するかのような形を取った。
「剥がしてあげる……文月」
その言葉と共に、八雲の体から一瞬力が抜ける。弥生の力を持ってしても、耐え難いほどの脱力感。
結界の外側で、キイチの傍には白馬が佇んでいた。
知恵の式神、文月。八雲が支配していたはずの十二神晶がそこにいる。
「それから……」
キイチの青い瞳が、八雲を映す。力を失いかけた、偽りの当主代理へと。
「おいで、弥生と葉月も」
青い炎に包まれた虎と羊は、それぞれ八雲の傍を離れ、キイチの足元へとかしずいた。
ありえない。
十二神晶が、ことごとく主を乗り換えたことも。これまで、戦闘経験すらなかったキイチが、自分で考え、行動し、八雲を追い詰めていることも。
「もう八雲じゃ、ボクに勝てない」
キイチの呟きは、まるで死刑宣告のように聞こえる。
「ちッ……」
卯月の壁が破られるよりも前に、印を結んで顕現させたのは、十二神晶の睦月。白ねずみの姿をした、複数型の式神だ。
睦月は、キイチの周囲に光の柱を何本も突きたてる。青い炎の威力を弱め、塞ぐ算段だった。
「無駄なのに」
キイチは、ふーっと静かなため息をついて白い指を伸ばす。
青い炎はそれらを飴細工のように溶かし、睦月までも取り込んでしまった。
古御門の至宝、十二神晶。理論上、誰も扱うことは出来ない式神。しかし、八雲には使役することができる。
陰陽師12人分の霊力を必要とする式神を調伏できるのは、体内で無尽蔵に霊力を作り出せる狐衾だけのはず。
鬼道の血──あるいは、八雲も知らない別の力が、それを可能にしているのかもしれない。
「辛そうですね」
尾崎狐白は、そんな2人の戦いを、慈愛に満ちた眼差しで見つめている。八雲は、両手を地面についたまま荒い呼吸を繰り返していた。
体が重い。底なしのはずの霊力が、尽きかけている。
「鬼道椋さんに傷をつけられていたでしょう? あの呪具には術を防ぐ効果もありますが……霊力を奪う効果もあるんです。気づいていましたか?」
狐白が言った。
八雲の脳裏によぎるのは、薙刀使いの麗人の姿。やってくれたな、と奥歯を噛み締めて毒づくが、その苛立ちをぶつけられる相手はここにいない。
ごぼごぼ、と音を立てて地面から青い炎に包まれた巨大な両手が、まるで鳥かごのようにキイチの体を包み込んでいく。
「……キイチをッ……連れていくな!」
執念にも近い叫びとともに、八雲が手を伸ばす。
少しだけでいい。十二神晶の権限を自分に移すことができれば。
「揺ら、せ……葉月ッ!」
残された霊力を使って八雲が叫んだ。
八雲との僅かな繋がりで、キイチの傍にいる葉月が反応する。羊たちが、モコモコと細胞分裂をするように増殖し始めた。
「……!」
防御の遅れたキイチが、僅かに目を見張る。八雲の狙いは、キイチではない。
「死ね、尾崎狐白ッ!!」
キイチを狂わせた元凶にして、邪教の主。彼を殺せばすべて解決する。幸い、狐白は丸腰だ。最初からこうしておけばよかった。
そのまま、踏み潰されて死んでしまえ。
羊たちが狐白を飲み込む瞬間、その身体は青い炎によって一瞬で消え去った。まるで自分から火に飛び込んだようにも見える。
しん、と静まったホールの中で、キイチがぽつりと言った。
「本当に……馬鹿だよね、八雲は。ボクを狙えば良かったのに」
呆れたような、彼を憐れむような声色。
次の瞬間、羊を飲み込んだ炎から、無数の棘が飛び出す。
それは、青い流星のように八雲の体を貫いた。
「ぐッ!」
青い炎の棘が、八雲の体に焼けるような激痛を引き起こす。傷口から、金色の光がこぼれ、キイチの体へと流れ込んでいった。
権限が、失われる。これまで古御門八雲を形作っていたものが吸い取られ、消えていく。
(ここで、終わる……)
死が、近づいている。それを悟って、八雲の口元に微かな笑みが浮かんだ。
悪くない。彼は、ずっと死に場所を探していたのだ。
唯一の心残りは、最後の尾崎の血筋である狐白を殺せなかったこと。だが、それもきっと、いずれ他の陰陽師たちが処理してくれることだろう。
(今日は……疲れた、な……)
指一本すら動かせない、心地いい疲労感。
久しぶりに、ゆっくり眠れそうだ。ずっと、長い道を走り続けていた気がする。最近は仕事続きで、満足に睡眠が取れていなかったから、余計にそう感じた。
目が覚めたら、キイチと一緒にホットケーキを焼こう。あの子はひとりで料理すら出来ないのだから。フライパンの扱いを間違えて、火傷でもしたら大変だ……。
それが、教育係であり、兄代わりとして生かされてきた彼の役目。今までも、これからも、ずっと。




