【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】14
簡単あらすじ
狐輪教の本拠地で目覚めた八雲は、尾崎狐白に導かれて、ついにキイチと再会する。狐白の身を護る姿は、八雲の知るキイチとは違い、まるで別人のようで……?
その少年は、狐白を守るように立ち塞がっていた。普段の浮世離れした雰囲気はどこにもない。
そして──見慣れていたはずの赤い瞳は、八雲の知らない色をしている。
「貴様……キイチに、何をしたッ!!」
八雲の怒声が、信者たちの喧騒を打ち消すように響き渡った。このまま、怒りに身を任せて発砲してしまいそうだ。
激しい怒りを向けられているにも関わらず、狐白は穏やかに微笑んでいる。
「何かしたのは……あなたのほうでは?」
狐白の手が、そっとキイチの肩に触れる。宝物を愛でるような、慈愛に満ちた眼差しで。
「悪魔は人を誑かし、何も出来ないように世話を焼いて堕落させます。あなたに……よく似ていますね、古御門八雲さん」
八雲と同じ琥珀色の瞳が、彼を憐れむように細められる。
信者たちの興奮は高まり、賛美歌を歌い始めた。この場にいない『お母様』に救いの声を上げたり、その場に座り込んでキイチに向かって頭を下げている者もいる。
彼らは操られているわけでも、脅されているわけでもない。本気で、狐輪教を家族だと思っている。
この異様な空間の中で、家族を攫いに来た異端者は、むしろ八雲の方だ。
「あなたのそれは、本当に愛と呼べますか?」
その声が、脳の奥に直接流れ込む。
これ以上、この男に喋らせてはいけない。八雲は直感した。狐白の言葉は、どんな武器よりも悪質で、残酷で、優しい。人の心の柔らかく敏感な場所に入り込み、その形を作り替えてしまう。
キイチの後ろで穏やかに微笑む男から、八雲の意識は離れない。
怒りで視界は狭まっていた。引き金にかけた指は強ばっていたが、それでも照準だけはぶれない。
「俺はキイチを取り戻す。それ以外のことは、どうでもいい!」
その感情は、ほぼ執念。
八雲にとって、唯一の真実。
キイチの肩越しに、狐白の存在のみを見据えて──次の瞬間、八雲は発砲していた。
キイチを救う。初めから、八雲の頭にはそれしかない。
「そうですか……」
狐白は、抵抗する様子もなく静かな笑みを浮かべている。その瞳がゆっくりと閉じられた時、ぽつりと。
「やはり、悪魔はあなたのようですよ」
眉間を狙った銃弾ごと、キイチの青い炎が一瞬で消し飛ばした。
キイチは、狐白の前に立ち塞がったまま、静かに腕を下ろす。炎が主の命に従うように、勢いを鎮めた。
「八雲は──」
信者たちの賛美歌が、不気味に反響するホールの中で、それまで黙っていたキイチが口を開く。
相変わらず、正気に戻った様子はない。本来の意識があるのかすら、その青い瞳からは読み取れなかった。まるで、去年までのキイチに戻ってしまったかのようだ。
「古御門家に、復讐がしたかったんでしょ?」
幼子のような、無垢な問いかけ。それでも、八雲が言葉を失うには十分だった。よりにもよって、キイチの口からそんな言葉を聞くことになるなんて。
いや、違う。きっと狐白の仕業だ。彼が、キイチに暗示をかけ、余計なことを吹き込んだだけ。
「その男に何を吹き込まれた? 惑わされるな、キイ──!」
「こたえて、八雲」
静かに八雲を制したキイチの声は、淡々としていた。非難するわけでも、悪意を持って尋ねているわけでもない、無垢な問いかけ。
「何で、古御門八雲になったの?」
感情のない青い瞳が、八雲を見つめている。人間に似せて作られた精巧な人形が、ただそこにあるかのように。
八雲は、ぐっと言葉を飲み込んだ後、やがて喉を震わせてため息をつく。
「……俺は、尾崎那由多の命令で……古御門家の、養子になった。古御門家の当主に、なるために」
キイチの前で話すこと。それは自分の腸を抉り出すことよりも、ずっと痛くて苦しい。
キイチを救うことは、古御門八雲としての責務。人間が、息を吸って吐くのと同じくらい自然で、当たり前のこと。
「じゃあ……ボクがいなくなったら、八雲は嬉しい?」
キイチは、青い瞳を細めて笑った。まるで淡雪のように、儚い微笑。
その発言に、八雲は再び感情的になる。
「違う! 話を最後まで聞──」
キイチの体を、青い炎が舐めるように覆い、膨れ上がっていく。
「〜〜ッ、卯月!」
青い炎が波のように襲いかかってきた刹那、八雲の号令と共に白いうさぎたちが跳ねるように溶けて光の壁を作った。
「──キイチ、わかっていますね」
「……うん。やってみる」
狐白とキイチの短いやり取りは、八雲が違和感を感じる暇すら与えなかった。
キイチの体は、まるで糸に吊るされた操り人形のようにふわりと舞い上がる。彼の周囲には青い炎の輪が形作られ、その中から無数の流星が降り注いだ。
「出力を上げろ、卯月!」
十二神晶のひとつ、卯月の結界は強固だ。並の陰陽師の結界とは違い、簡単に破られることはない。現に、青い流星は次々と弾かれて、八雲の足元に火の粉となって散らばった。
十二神晶が自分の中にある以上、キイチに勝機はない。そうでなくては困るのだ。
「あなたの行動は、一見キイチを護っているように見えます。けれどそれは、キイチの成長を拒んでいるだけ。そして、お母様の誕生も──」
ふたりの攻防を見守りながら、狐白が言った。その声には、心からの悲哀が感じられる。まるで八雲のことも憐れむかのようで、余計に神経をイラつかせる。
「黙れッ! 与太話はもう聞き飽きた! ──氷狼、霜月!」
八雲が声を張り上げた。結界の外に飛び出した光が巨大な氷狼に変化する。それは青い炎を避けながら、空中に氷の足場を作った。
「なるほど、そう来るのですか」
狐白が穏やかに呟く。
自身はキイチの攻撃に耐えながら氷狼を向かわせ、彼を強引に取り戻す算段だった。多少荒療治にはなるが、問題ない。強引にでも彼を連れ戻し、鬼道柊や豪鬼の力を借りて狐白の呪縛を解く。
(尾崎狐白……貴様を殺すのはその後だッ!!)
八雲の中に、希望が見えた。
しかし、氷狼がキイチに襲いかかった次の瞬間──キイチは、両腕を広げて自ら氷狼へ飛び込み、その首元にしがみついた。その冷たい鼻先に、頬を寄せるように。
突然の出来事に八雲は驚愕し、氷狼も思考が停止したかのように固まった。
「……ひんやりしてる。気持ちいいね」
キイチは、氷狼のたてがみに頬を擦り寄せて、うっとりと呟く。
それは、八雲が知っているキイチそのもの。初めて八雲の作ったホットケーキを食べて、目を細めながら『おいしいね』と言ってくれたキイチと同じ声色だった。
「キイチ……お前は」
まさか、正気なのか、という言葉を飲み込んで、八雲はその考えを払拭するようにかぶりを振る。
犬をあやすように、氷狼を優しく抱きしめたキイチは、眠りにつくように青い目を伏せていた。
正気のはずがない。俺のキイチは、こんなことが出来るような子ではないのだ。そう強く信じ込むことで、キイチを取り返すことだけに集中する。
「──霜月、そのままキイチを連れて戻れ」
八雲が静かに命じる。
「クゥ〜ン……」
それまで牙を剥いていた氷狼が、キイチの傍に座り込んだ。
「霜月ッ!」
八雲の呼びかけにも、氷狼は応えない。ただ静かにキイチを見上げている。まるで、忠誠を誓うように。
(まさか……)
十二神晶は古御門家の至宝。これまで、八雲を除いて陰陽師が使役出来たことはない。十二神晶を扱うことは、人間の構造的に不可能だからだ。
「氷狼、霜月」
柔らかく冷たい声が、氷狼を呼んだ。その目が、ゆっくりと八雲に向けられる。
キイチと同じ青い瞳をした氷狼が、八雲を捕捉した。それは主に向けた目ではなく、主人に仇なす敵を見る目。
古御門キイチという主を守る、守護者の目だ。
「八雲を……優しく殺してあげて」
キイチの左目から、冷たい光が一筋零れる。それは床に滴り落ちることなく、青い炎に変わって消え去った。




