【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】12
簡単あらすじ
狐輪教の本拠地があるとされる樹海に降り立った猿神と江都は、鬼道柚蔵に襲われる。間一髪で彼らを救ったのは、十万億土から帰還した楓と、復活した冥鬼だった。
一方、同時期に転移していた古御門八雲は、見知らぬ部屋の中で目覚める……。
復讐のため。
人を殺すため。
感情を律することは、彼の日常だった。
狐衾という特異体質を人工的に施された、尾崎の末裔。その体質のおかげで、古御門家の至宝である十二神晶を使役し、また、陰陽師の霊力を回復させることもできた。
そのためだろうか。彼が目覚めたのが、尾崎にゆかりのある場所だったのは。
「う……」
意識が戻った時、まるで飲みたくもない酒を、勧められるまま浴びるほど飲んだ後のように気分が悪かった。ぼんやりと天井を見つめながら、古御門八雲は瞬きをする。
無機質な屋内の一角、埃臭い部屋の床で、彼は横たわっていた。
(……分断させられたか)
水の路を抜けてすぐ、視界が眩んだ。その後に少し、昔の夢を見たような気がする。気分の悪さはそのためだろう。
八雲は、床に手をついて体を起こした。一瞬目の前が真っ暗になったが、無理やり頭を振って自分を奮い立たせる。
いつまでも、休んでいるわけにはいかない。
恐らく──この場所こそが敵の本拠地であり、狐輪教の本部。いつ、どこから敵が襲ってくるか分からないし、この場所で目覚めたのも敵の罠かもしれない。
八雲は、呼吸を整えながら注意深く辺りを見回した。懐には銃が入っており、いつでも発砲できる状態にしてある。
とはいえ、少し心許ない。
「く……」
まだ、体がふらつく。それは、彼が鬼道椋によって重傷を負わされた後からずっとつきまとっているものだったが、我慢できないほどの辛さではない。きっと大量出血したせいで、貧血を起こしているのだろう。
八雲は、舌打ちをして壁に寄りかかった。背中に違和感を覚えて目をやると、彼が寄りかかったものは、大きな本棚。それは壁を覆うようにびっしりと敷き詰められている。
(この部屋は、おそらく狐輪教の資料庫……)
敵を知るために有力な手がかりとなるものが、きっとあるはず。八雲は、警戒しながら本棚の背表紙をざっと見た。どれも背表紙には何も書かれていないものが多く、本を手に取ってみないと中身は分からないだろう。
何となく視界に入った本を手に取った八雲は、パラパラとページを捲り始める。
それは、本というよりも、紙の束をまとめて背表紙をつけたものだった。
『古御門家御当主様から賜った御神体は、八津咲毘売神を顕現させるために必要不可欠なものである』
本には、確かにそう書かれていた。八雲はその文字を指でなぞりながら、声に出して読む。
「やつ、さ……き──やさき、ひめ?」
聞いたことのない名前だったが、あまりいい神ではなさそうだ。こんな時、御花畑帝人なら何か知っていたかもしれない。
あるいは、自分の体を弄った彼女なら。
八雲は別の本を手に取った。
『尾崎那由多』
その名前を見た途端、無意識に手から力が抜けて本が滑り落ちそうになった。
彼の体を弄り、古御門家に送り込んだ尾崎家当主の名前。尾崎八雲という自分を──家族の人生を狂わせた女。
古御門家の養子になり、ある程度自由に権限を使えるようになってから、両親のことを調べたことがある。
彼の祖母である尾崎家当主、尾崎那由多には、一人娘がいた。
母は、外からやってきた父によって尾崎家から連れ出され、自分を含む子供たちを産んだという。
今思えば──最初から、売るためだけに作られた子供なのかもしれない。
(くだらない……)
八雲は、生まれてすぐに那由多に引き取られた。
子供ひとりに、億単位の金を支払ったと那由多はよく話していたことがある。それもこれも、復讐の道具として育て上げるためだ。
十六夜や他の兄たちも、それぞれ養子に出されたと聞く。
ただひとり、九兵衛を除いて。
何故か末弟の九兵衛だけは、両親の元に置かれた。それが彼にとって幸せだったのか不幸だったのかを、八雲が知る術はもうない。
自分だけが、最後の尾崎として生き残ってしまったから。
死ねるタイミングはいつでもあった。
それでも、彼が未だに生にしがみついている理由──それは、古御門キイチにある。
今の総連は、古御門家という要を失って全く機能していない。
怪異による災害やトラブル、今回の狐輪教による集団発狂事件を抑制するためにも、古御門家の存在は必要不可欠。
(俺が死ぬのは、キイチが当主になるのを見届けてからでいい……)
そんなことは高望みだと分かっている。これは、ただの個人的なわがままだ。
八雲は、静かに本を棚へ戻すと──琥珀色の瞳を伏せて呼吸を止めた。
──いる。
それは資料庫の壁に、ぬらりと長い影を伸ばしている。
懐に仕舞っていた銃を、振り向きざまに構えた。そこには、柔らかな微笑を浮かべた少年が立っている。まるで、最初からそこにいたかのように。
「初めまして、古御門八雲様」
少年はそう言って微笑んだ。
ああ、これが……と拳銃を握る手に力がこもる。
八雲は、無意識に理解していた。他の誰でもない、彼だからこそ分かったことだ。
今、自分の目の前にいるのが、狐輪教の教祖なのだと。




