第七十三章 敗北のあと
土曜日の朝。
悠真は目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。
窓の外は晴れていた。
布団の中でしばらく天井を眺めてから、ゆっくりと起き上がる。
昨日の世界BOSS戦を思い出した。
最後まで立っていた、あの巨大な機械。
残り時間が少なくなっても、耐久値は三十七パーセントも残っていた。
「……強かったな」
独り言をこぼし、顔を洗いに行った。
朝食を食べ、宿題を確認する。
母親は洗濯物を畳みながら、悠真の様子を見ていた。
「今日はゲームをするの?」
「うん。宿題が終わったら」
「昨日、疲れていたでしょう。無理はしないでね」
「分かってる」
悠真は宿題を机に広げた。
ゲームのことが気にならないわけではない。
けれど、今すぐログインしなければならない理由もなかった。
あの敵は、昨日の戦闘が終わると同時に消えている。
次にいつ現れるのかは分からない。
ならば、まずは目の前のことを終わらせればいい。
そう考えて、悠真は問題を解き始めた。
*
昼前。
宿題を終えた悠真は、クロスギアにログインした。
【メインロビー接続中】
【現在のオンライン人数:238,716】
平日よりも人数が増えていた。
昨日の世界BOSS戦をきっかけに、久しぶりに戻ってきたプレイヤーもいるらしい。
掲示板には、昨日の戦闘に関する投稿が並んでいた。
《西部平原の未登録BOSS、行動パターンまとめ》
《砲撃範囲の変化について》
《あの敵、プレイヤーを追いかけているだけじゃない》
《耐久値三十七%から先が本当にきつかった》
悠真は、いくつかの投稿を開いた。
あるプレイヤーは、敵の砲撃が特定の地点を狙っていたと分析していた。
別のプレイヤーは、攻撃を受けた場所から敵が離れていたことに注目している。
さらに別の投稿では、敵が戦場の端にある設備らしきものを攻撃していた場面が切り取られていた。
「設備?」
悠真は動画を再生した。
確かに、敵はプレイヤーだけを狙っていたわけではなかった。
戦場の一角に砲撃を加え、そのあと別の場所へ移動している。
その地点には、古い通信塔のような構造物があった。
ただし、通信塔が攻撃によって破壊されたのか、もともと戦闘用の設備だったのかは、映像だけでは分からない。
悠真は動画を保存した。
そこへKAIからメッセージが届いた。
《ログインしたか》
《うん。今、昨日の動画を見てた》
《俺も見てる。あの敵、単純に強いだけじゃなさそうだな》
《そう思う》
《RIONも来るらしい。三人で少し調べよう》
悠真は返信した。
《分かった》
*
三人は、まず西部平原へ向かおうとした。
しかし、通常のフィールド選択画面には、昨日の世界BOSS戦の場所が表示されていなかった。
【ワールドイベント:終了】
【再出現予定:未定】
【通常任務:選択可能】
「やっぱり入れないか」
KAIが言った。
「イベント専用のマップだったのかな」
RIONは昨日の戦闘記録を確認した。
「でも、戦闘中に見えた通信塔は気になる。通常の背景設備なのか、それとも何か意味があったのか」
悠真は、通常任務の一覧を開いた。
西部平原周辺には、いくつかの任務が残っていた。
【西部平原・巡回任務】
【推奨レベル:中】
【任務内容:平原周辺の異常を確認してください】
「これなら入れるね」
悠真が選択すると、三人は通常の任務フィールドへ転送された。
そこは昨日の戦場と似た地形だった。
広い草原。
緩やかな丘。
遠くに見える岩山。
しかし、昨日の戦闘で使われた場所と完全に同じではない。
「通信塔は、あっちかな」
RIONが地図を拡大した。
遠くの丘の上に、細長い構造物が見えた。
三人はそちらへ向かった。
途中で小型の敵が数体現れたが、問題なく撃破できた。
通信塔に近づくと、悠真はその根元に古い機械部品が落ちていることに気づいた。
【旧型通信部品】
【状態:損傷】
【用途:不明】
「これ、拾えるみたいだ」
悠真が部品を回収した。
RIONは通信塔を調べた。
「電源が入っていない。少なくとも、この任務の範囲では使えそうにないな」
KAIは周囲を見回した。
「昨日のBOSSと関係があるのか?」
「まだ分からない。でも、調べられるところは調べよう」
悠真は通信塔の根元をもう一度確認した。
そのとき、画面に小さな通知が表示された。
【探索記録を更新しました】
【未確認設備:1】
【関連情報:不足】
それだけだった。
特別な報酬も、隠し任務の通知もない。
三人は巡回を続け、任務を完了させた。
【任務評価:A】
【報酬:通常素材】
ロビーへ戻ると、悠真は回収した通信部品を保管庫へ入れた。
今すぐ何かが分かったわけではない。
けれど、昨日の戦闘を振り返るための手がかりが、一つ増えた。
*
午後。
悠真は装備研究所を訪れた。
昨日のBOSS戦では、敵の装甲を削ることに時間がかかっていた。
火力を上げれば解決するのか。
それとも、攻撃の当て方を変える必要があるのか。
装備研究所には、ほかのプレイヤーもいた。
一人は新しい武器の性能を比較し、別の一人は素材を使って装甲を強化している。
悠真は手持ちの武器を並べ、昨日の戦闘記録と照らし合わせた。
【武器A:攻撃力重視】
【武器B:連射性能重視】
【武器C:機体制御安定性重視】
「攻撃力だけを上げても、あまり意味がないかもしれない」
昨日の敵は、攻撃を受けると行動を変えた。
もし攻撃の種類を変えても同じように対応されるなら、単純な火力勝負では時間が足りなくなる。
悠真は武器Bを選び、制御安定性を補助する装備を組み合わせてみた。
試験用のシミュレーターで動かす。
攻撃の一発あたりの威力は下がったが、狙った場所へ連続して攻撃を当てやすくなった。
「これなら、装甲の弱いところを狙いやすいかも」
ただし、シミュレーターの相手は、昨日の未登録BOSSではない。
実際に効果があるかどうかは分からなかった。
悠真は装備構成を保存した。
そのあと、KAIとRIONと合流し、通常の高難度任務に挑戦した。
敵の動きは速く、何度か連携を崩された。
それでも三人は、互いの得意分野を生かして任務を完了させた。
【任務評価:S】
ロビーへ戻ると、ランキングが更新されていた。
【総合ランキング】
【1位:KAI】
【2位:RION】
【3位:YUMA】
順位に変化はなかった。
KAIが言った。
「昨日の敵、次に出てきたら絶対に倒したいな」
「うん」
悠真は頷いた。
「でも、次も同じ動きをするとは限らないよ」
「だから、いろいろ試すんだろ」
KAIはそう言って笑った。
RIONも頷いた。
「まずは情報を集める。それから考えよう」
三人は、それ以上、昨日の敗北について話さなかった。
別の任務があり、調べたい設備があり、試したい装備がある。
ゲームの中には、まだ知らない場所が残っている。
昨日の敵を倒せなかったからといって、今日の遊び方がそれだけに限られるわけではなかった。
*
同じ頃。
クロスギアの運営施設では、西部平原の未登録BOSSに関する分析が続いていた。
「通常の世界BOSSのデータと比較しました」
担当者が報告する。
「攻撃力や耐久値だけなら、既存の高難度BOSSの範囲内です。ただ、行動の変化については一致率が低いままです」
責任者は画面を見た。
「プレイヤーへの追従以外に、何か特徴はあったか?」
「戦闘中、一部の設備へ攻撃していたことが確認されています。ただし、その設備が攻撃対象として設定されていたのか、移動経路上にあっただけなのかは判定できません」
「通常のフィールドにも同じ設備があるか?」
「現在、照合しています」
別の画面には、昨日の戦闘映像が表示されていた。
敵の砲台が旋回する。
攻撃が放たれる。
プレイヤーが回避する。
そして、敵は別の場所へ移動する。
映像を繰り返し確認しても、すべての行動に明確な規則を見つけることはできなかった。
「イベントの再実施は?」
担当者が尋ねた。
「現時点では保留だ。まず、今回の記録を分析する」
責任者は答えた。
「原因が分からないまま、同じイベントを繰り返す必要はない」
担当者は頷き、分析画面を切り替えた。
その隣には、プレイヤーたちの通常任務の記録が並んでいた。
【プレイヤー行動データ】
【装備変更】
【任務選択】
【探索行動】
【失敗後の再挑戦】
未登録BOSSの分析とは別に、通常のデータ収集も続いている。
悠真たちが通信塔を調べた記録も、その中に含まれていた。
【プレイヤー:YUMA】
【未確認設備への接近:確認】
【旧型通信部品:回収】
【関連行動:継続観察】
【行動理由:不明】
担当者はその記録を確認した。
「このプレイヤーは、戦闘以外の行動も多いですね」
「そうだな」
責任者は画面を閉じた。
「ただ、行動が多いというだけで、何か特別な意味があると決めつけるべきではない」
「了解しました」
分析は続いた。
未登録BOSSの正体は、まだ分からない。
通信塔の役割も、回収された部品の用途も、判明していない。
そして、次に何が起こるのかも。
クロスギアの世界では、今日もプレイヤーたちがログインし、それぞれの目的で動き続けていた。
誰かはランキングを上げようとし、誰かは装備を研究し、誰かは久しぶりに友人と遊んでいた。
悠真もまた、新しく保存した装備構成を見ながら、次に何をするか考えていた。
「明日は、あの部品をもう少し調べてみようかな」
まだ、次の一手は決まっていなかった。




