第六十六章 世界が進んだ先
土曜日の朝。
悠真は、朝食を食べ終えると、母親に言われる前に宿題を始めた。
昨日のうちに少し進めていたので、残りはそれほど多くない。
計算問題を解き、国語のプリントを終わらせる。最後に答えを見直してから、ランドセルの横に教科書をそろえた。
「終わったの?」
台所から母親が尋ねた。
「うん。あとで間違いがないか、もう一回見る」
「分かった。ゲームをするなら、目も休ませなさいよ」
「はーい」
悠真は返事をして、自分の部屋に戻った。
今日は何をしようか。
昨日の港では、施設の稼働確認まで終わった。使える設備も増えたし、NPCたちの仕事も少しずつ変わっている。
ただ、全部を調べる必要はない。
気になることがあれば、また行けばいい。
悠真はそう考えながら、クロスギアに接続した。
【接続を開始します】
【メインロビー】
【オンライン人数:239,476】
ロビーには、平日より多くのプレイヤーがいた。
募集掲示板には高難度任務の募集が並び、ランキングの周囲では装備の比較や対戦の話が交わされている。
悠真はランキングを開いた。
【総合ランキング】
1位:KAI
2位:RION
3位:YUMA
順位は変わっていない。
少し前なら、自分の名前が三位にあることだけで、十分に嬉しかった。
今も嬉しくないわけではない。
ただ、最近は順位よりも、まだ行っていない場所や、知らない仕組みのほうが気になっていた。
「悠真、今日はどこに行く?」
KAIからメッセージが届いた。
「港の続きも気になるけど、今日は別のところを見たい」
「どこ?」
「まだ決めてない」
「相変わらずだな」
少し遅れて、RIONも会話に加わった。
「決めていないなら、北側の旧市街はどう? 昨日、掲示板に新しい任務が出ていたよ」
「新しい任務?」
悠真は掲示板を開いた。
【新規探索任務】
【対象地域:北部旧市街】
【任務内容:周辺施設の稼働状況を確認する】
【危険度:中】
【報酬:任務達成度に応じて変動】
説明は簡単だった。
特別な敵も、珍しい装備も書かれていない。
「行ってみよう」
三人は任務を受注した。
*
北部旧市街は、以前にも訪れたことがある場所だった。
古い建物が並び、道路の一部は崩れている。かつて使われていた輸送設備も、ところどころ停止したままになっていた。
以前の悠真なら、まず敵の配置を確認し、戦闘に備えて装備を整えただろう。
しかし、今回は違った。
入り口にいたNPCが、三人を見るなり声をかけてきた。
「ちょうどよかった。奥の通路が使えるようになったんだ」
「通路?」
「東側の建物を通ってみてくれ。前は瓦礫で塞がっていたが、昨日、片付けが終わった」
悠真は地図を確認した。
以前のマップでは、東側の通路は通行不能になっていたはずだ。
「昨日、誰が片付けたの?」
「この街の連中さ。使えないままにしておく理由もないからな」
NPCはそれだけ言うと、近くにいた別のNPCに呼ばれ、作業へ戻っていった。
悠真はKAIとRIONを見た。
「前に来たとき、ここは通れなかったよね」
「そうだったな」
「更新履歴には載っていたかな……」
RIONが記録を確認したが、該当する情報は見つからなかった。
「少なくとも、任務の説明には書かれていないね」
「じゃあ、見に行こう」
三人は東側の建物へ向かった。
通路には、新しい補強材が取り付けられていた。崩れた壁の一部は取り除かれ、代わりに金属製の支柱が立っている。
その先では、数人のNPCが資材を運んでいた。
一人が荷物を落とすと、別のNPCが手を止めて拾い上げる。
「こっちは重すぎる。次から分けて運ぼう」
「それなら台車を修理したほうが早いぞ」
「修理部品が足りない」
「港から持ってこられないか?」
会話は三人が近づいても続いていた。
悠真は足を止めた。
「なんか、普通に仕事してるね」
「普通に仕事しているんだろう」
KAIはそう答えた。
「ゲームの中だけどね」とRIONが付け加えた。
悠真は少し考えた。
ゲームの中だから、仕事をしているように見えるだけなのか。
それとも、彼らにとっては、これが本当に日常なのか。
答えは分からなかった。
ただ、彼らはプレイヤーが来るのを待っているわけではなかった。
三人は通路を抜け、旧市街の奥へ進んだ。
そこには、小さな倉庫があった。
扉は開いており、中には修理用の部品や工具が並んでいる。
倉庫の管理をしているNPCが、棚を確認しながら言った。
「これで、南側の設備も直せそうだ」
「何を直すの?」
悠真が尋ねると、NPCは振り返った。
「古い輸送機だよ。動かなくなってから長いが、部品がそろえば使えるかもしれない」
「直したら、何ができるの?」
「物を運べる。人も乗せられるかもしれないな」
NPCはそう言って、再び棚に目を戻した。
任務の目的は、周辺施設の稼働状況を確認することだった。
輸送機の修理は、任務に含まれていない。
それでも悠真は、倉庫の中を見回した。
部品はそろい始めている。
必要なものが集まれば、彼らは本当に輸送機を動かすのかもしれない。
「手伝ってみる?」
RIONが尋ねた。
悠真は少し考えた。
「ううん。今日は任務の確認を先にしよう。直すときに必要なものが分かったら、また来ればいい」
「珍しく計画的だな」
「だって、ほかにも見たいところがあるから」
KAIが笑った。
三人は施設を巡り、停止していた設備や使用可能な通路を確認していった。
戦闘は一度だけだった。
建物の裏にいた小型機械が、接近した三人を敵と判断して攻撃してきたのだ。
KAIが前に出て攻撃を引き受け、RIONが遠距離から動きを止める。
悠真は機械の横に回り込み、制御部を狙った。
大した戦闘ではなかった。
しかし、機械を停止させたあと、近くのNPCが声を上げた。
「これで、裏の倉庫も使えるようになるな」
NPCは倒れた機械を調べ、使える部品を取り外し始めた。
悠真たちが戦闘を終えたあとも、街の作業は続いていた。
【任務達成】
【総合評価:A】
【報酬:標準整備素材×4】
特別な報酬はなかった。
それでも悠真は、マップを開いて、通行可能になった道を確認した。
以前は行き止まりだった場所に、新しい道がつながっている。
「次に来たら、輸送機が動いているかもしれないね」
「その前に、別の場所を見つけるかもしれないぞ」
KAIの言葉に、悠真は笑った。
「それもそうだね」
*
夕方。
悠真は一度ゲームからログアウトした。
母親が夕食の準備をしていたので、手伝いをしてから食卓についた。
「今日は何をしていたの?」
「前に行った街を見に行ったんだ。通れなかった道が通れるようになっていた」
「ゲームの中の道が?」
「うん。NPCたちが自分で片付けたんだって」
母親は少し不思議そうな顔をした。
「それは、最初からそうなるように決まっていたんじゃないの?」
「分からない。でも、前に行ったときには通れなかったんだよ」
「そう」
母親はそれ以上、詳しく聞かなかった。
悠真も説明を続けなかった。
自分でも、まだよく分かっていないのだ。
ただ、次にログインしたとき、あの街がどうなっているのかは気になっていた。
夕食を終え、宿題をもう一度確認する。
間違いはなかった。
少しだけゲームをする時間は残っていたが、悠真はすぐには接続しなかった。
机の上の本を読み、途中で飽きると窓の外を眺めた。
夜になれば、また明日が来る。
ゲームの中でも、明日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら、悠真は本を閉じた。
*
同じ頃、クロスギアの運営施設。
北部旧市街の環境データが、分析画面に表示されていた。
【施設変化:確認】
【通路再開通:確認】
【資材移動:確認】
【NPC間の作業分担:確認】
【プレイヤー介入:一部】
担当者が記録を確認した。
「今回の変化は、プレイヤーが直接修復したものではありません」
「NPC側の作業によるものか」
「はい。以前から資材の運搬や設備の修理は行われていましたが、今回は複数のNPCの行動が連続し、通路の再開通までつながっています」
別の担当者が画面を切り替えた。
そこには、旧市街だけでなく、港や森林の集落で起きた変化も並んでいた。
港では施設が完成し、森林の集落では建物が増えた。
それぞれの場所で、NPCたちは自分たちの事情に応じて行動している。
その結果が、別の地域にも影響を与え始めていた。
「地域間の影響関係は?」
「まだ整理できていません。資材の移動や通信の記録はありますが、すべての変化を一つの行動計画として説明することはできません」
「プレイヤーがいない時間にも、変化は続いている?」
「はい」
短い沈黙があった。
やがて責任者は、画面に表示された記録を見ながら言った。
「なら、観測を続けよう。今の段階で、余計な介入はしない」
「了解しました」
画面の隅に、新しい項目が追加された。
【環境変化の連鎖】
【地域間相互作用】
【長期変化の追跡】
その下には、まだ解析されていない記録が残っていた。
【未知の相互作用】
システムは、その項目を消さなかった。
そして、クロスギアの世界は、次の接続を待つことなく動き続けていた。




