第五十章 同じ世界ではない
水曜日。
学校から帰った悠真は、宿題を終えてからゲームを起動した。
今日は少し早かった。
母親が台所から声をかける。
「今日は何時まで?」
「夕飯までには終わる」
「昨日と同じ?」
「うん」
「じゃあ、時間を見ながらね」
「分かった」
悠真はログインした。
【現在オンライン:229,614】
昨日より少し増えている。
「戻ってきた人もいるんだ」
掲示板には、昨日と同じような書き込みが並んでいた。
《久しぶりにログイン》
《今日は一回だけ》
《昨日三回倒された。今日は休む》
《ワールドボス来ないかな》
その瞬間。
ロビー全体に通知が表示された。
【緊急世界イベント】
【ワールドボス出現】
【出現地点:西部都市圏】
【推奨参加人数:表示不能】
【討伐制限時間:30分】
「来た」
KAIから通信が入る。
「行く?」
悠真は迷わなかった。
「行こう」
RIONもすぐに入った。
三人は転送される。
西部都市。
巨大な都市の中央に、一体の機体が立っていた。
以前のワールドボスとは違う。
人型。
両腕に大型兵器を装備している。
周囲には、多数のNPCが逃げている。
プレイヤーたちも次々と転送されてくる。
【参加プレイヤー:18,421】
「多いな」
KAIが言う。
「久しぶりのワールドボスだからじゃない?」
RIONが答える。
悠真は敵を見る。
「……あれ、たぶん近距離型」
「分かるの?」
「動き方が」
敵が腕を振る。
巨大な衝撃波が街路を走った。
プレイヤーたちが一斉に避ける。
しかし、NPCの一部は避けられなかった。
【NPC:戦闘不能】
さらに一体。
【NPC:戦闘不能】
悠真は眉を寄せた。
「NPCも巻き込まれる」
「いつものことだろ」
KAIが言う。
「でも……」
悠真は少し違和感を覚えた。
このゲームでは、NPCは単なる背景ではない。
自分で逃げる。
自分で攻撃する。
自分で判断する。
だから、プレイヤーがどれだけ安全に戦おうとしても、NPCが予想外の場所へ入ってくることがある。
その瞬間。
一体のNPCが、悠真の前へ走ってきた。
「そこから離れろ!」
悠真が叫ぶ。
NPCは止まらなかった。
敵へ向かって走っていく。
「待て!」
NPCが敵の攻撃を受けた。
悠真も巻き込まれる。
【耐久値:31%】
「くっ……!」
悠真は距離を取った。
KAIが前へ出る。
「悠真、下がれ!」
「大丈夫!」
「無理するな!」
RIONの射撃が敵の腕を弾く。
その隙に、KAIが突っ込む。
悠真も続いた。
三人の攻撃が敵に集中する。
【残り時間:18分】
戦場には、まだ大量のプレイヤーがいる。
しかし、その数は少しずつ減っていた。
【参加プレイヤー:16,904】
【戦闘不能者:1,517】
一度倒されると、戦場から強制退出される。
そして、再接続には負荷が残る。
悠真はそれを知っていた。
「みんな、無理しないで!」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
プレイヤーに向けたのか。
NPCに向けたのか。
その両方だった。
敵の攻撃が変わる。
今度は遠距離攻撃。
RIONが避ける。
KAIも避ける。
悠真は一瞬だけ動きを止めた。
「……次、左」
敵が腕を上げる。
悠真は左へ動いた。
攻撃が来る。
予想通りだった。
「今!」
三人が一斉に攻撃する。
敵の装甲が割れる。
【弱点部位を確認】
「いける!」
KAIが叫ぶ。
残り時間。
十二分。
プレイヤーたちが集中攻撃する。
敵が倒れる。
【ワールドボス撃破】
【総合評価:S】
【MVP:KAI】
【第2位:RION】
【第3位:YUMA】
悠真は少し笑った。
「今日は三位か」
KAIが笑う。
「俺が取ったな」
「うん」
RIONが言う。
「でも三人とも上位だ」
戦場から戻る。
メインロビー。
悠真は少し疲れていた。
それでも、今日はまだ一度も戦闘不能になっていない。
【本日の残り接続可能回数:3】
画面を見て、悠真は考えた。
「今日はもう一回くらいできるけど……」
KAIが言った。
「俺は終わる」
「俺も」
RIONも続く。
「ワールドボスで十分疲れた」
悠真は頷いた。
「じゃあ、俺も終わる」
ログアウト。
現実へ戻る。
椅子から立ち上がると、少し足が重かった。
ゲームの中で動き回った感覚が、まだ残っている。
母親が部屋を覗いた。
「終わった?」
「うん」
「疲れた?」
「ちょっと」
「じゃあ、今日は早めにご飯にしようか」
「うん」
悠真は部屋を出た。
その日の夜。
ゲーム会社の内部では、ワールドボス戦の記録が整理されていた。
【参加人数:18,421】
【戦闘不能:1,517】
【NPC戦闘不能:2,804】
【平均接続時間:31分】
【平均疲労反応:中】
担当者は画面を見ていた。
隣の社員が言う。
「今回も問題ありませんでしたね」
「そうですね」
「プレイヤーにも大きな被害はない」
「ええ」
「なら、次も同じ方式で?」
担当者は少し黙った。
「……同じとは限らない」
「どういう意味ですか?」
担当者は画面を切り替えた。
そこには、ワールドボス戦でのNPCの行動記録があった。
【NPC自主行動】
【プレイヤー指示との不一致】
【予測不能行動】
【プレイヤー戦闘不能への影響】
「このゲームは、プレイヤーだけで成立しているわけじゃない」
担当者は言った。
「NPCも、自分で動いている」
「それがクロスギアの特徴ですから」
「そうです」
担当者は頷いた。
「だから、プレイヤーのデータだけでは足りない」
画面には、新しい項目が表示された。
【NPC行動データ】
【プレイヤー・NPC相互作用データ】
【世界環境反応データ】
その下に、
【収集率:76%】
と表示されている。
担当者は画面を見つめた。
「まだ足りない」
その言葉の意味を、隣の社員は聞き返さなかった。
一方。
悠真は夕食を食べ終え、テレビを見ていた。
今日のワールドボスについて、ニュースで取り上げられている。
画面には、巨大な機体が都市に現れた映像。
その映像を見ながら、母親が言った。
「これ、本当にゲームなの?」
「うん」
「街まで作ってあるの?」
「ゲームの中だからね」
母親は少し驚いた顔をした。
「すごいね」
悠真は笑った。
「面白いよ」
テレビの中では、専門家がワールドボスについて説明していた。
ただし、その映像に映っているのは、あくまでゲーム内の出来事だった。
現実の街には何も起きていない。
誰も傷ついていない。
だからこそ、社会は少しずつ慣れていった。
巨大な機体が現れる。
プレイヤーが倒す。
消える。
それだけ。
しかし、ゲームの中では違う。
そこには、プレイヤーの知らないNPCがいる。
自分で動く。
自分で判断する。
時にはプレイヤーを助ける。
時にはプレイヤーを傷つける。
そして、そのすべてが記録されていた。
その夜。
悠真が眠ったあとも。
【プレイヤー】
【NPC】
【戦闘】
【失敗】
【疲労】
【再接続】
【継続】
無数の記録が、静かに積み重なっていった。
そして、その記録の中にはまだ誰も気づいていない一つの違いがあった。
ゲームを続ける理由そのものは、まだ記録できていなかった。




