第二十五章 向こう側から来るもの
月曜日。
学校から帰った悠真は、ランドセルを机の横に置いた。
「ただいま」
「おかえり。今日は早いね」
「うん」
「宿題は?」
「先にやる」
「珍しい」
母親が笑った。
悠真は机に向かった。
国語。
算数。
昨日のゲームのことを考えながら、問題を解く。
途中で一度、鉛筆が止まった。
――逆方向接続実験。
昨日見たわけではない。
悠真が知っているのは、ゲーム内に表示された「ワールドリンク」という名前だけだ。
それでも。
最近の出来事を考えると、無関係とは思えなかった。
「……何なんだろう」
宿題を終える。
夕食を食べる。
風呂に入る。
それから、いつものようにゲームを起動した。
【オンラインプレイヤー:279,842】
また減っていた。
ロビーへ入る。
いつものようにプレイヤーがいる。
しかし、以前とは違う。
ランキング上位には、見慣れない名前が増えていた。
長く遊んでいたプレイヤーの名前が、少しずつ消えている。
悠真はランキングを開いた。
【総合ランキング】
一位 YUMA
二位 KAI
三位 RION
その下にも、まだ多くの名前が並んでいる。
だが。
以前一位だった名前のいくつかは、もう表示されていなかった。
消えたのではない。
ランキングから落ちたわけでもない。
ただ、長期間ログインしていない。
悠真は画面を閉じた。
「今日は普通の任務にしよう」
任務を選択する。
転送。
山岳地帯。
雪が降っていた。
敵が三体。
悠真は一体ずつ距離を取って戦った。
地形を使う。
雪の斜面を利用する。
敵が滑った瞬間に攻撃する。
【S+】
いつもの評価だった。
「よし」
任務終了。
街へ戻る。
そこで。
見慣れないNPCがいた。
整備工場の前。
白い装甲を持った小型機械だった。
「こんにちは」
悠真が声をかける。
「……こんにちは」
NPCは悠真を見る。
「お前、プレイヤーだな」
「うん」
「最近、よく見る」
「そう?」
「ああ」
NPCは少し考えた。
「お前たちは、外から来るんだろう?」
悠真は黙った。
「……そうかもしれない」
「外って、どんなところだ?」
「普通の街とか、学校とか……」
「学校?」
「子どもが勉強する場所」
「勉強?」
「うん」
NPCはしばらく考えた。
「戦う場所ではないのか」
「全然違うよ」
「そうか」
NPCは少し笑った。
「それなら、一度見てみたいな」
悠真も笑った。
「見られるかもしれないよ」
「本当か?」
「分からないけど」
その瞬間だった。
空が白く光った。
NPCが空を見上げる。
悠真も見る。
雲の向こうに、何かが浮かんでいる。
巨大な輪郭。
以前見た投影よりもはっきりしている。
【特殊同期イベント】
【接続安定率:31.2%】
悠真は息を止めた。
輪郭が少しずつ大きくなる。
そして。
声が聞こえた。
『……聞こえるか』
NPCが驚いて後ろへ下がった。
「何だ?」
悠真は答えられなかった。
『ここは……誰かの世界なのか』
声はゲーム内に響いている。
しかし。
同時に。
現実世界でも。
同じ声が聞こえていた。
研究施設。
スピーカー。
街角の大型ビジョン。
ライブ配信。
録音された音声。
すべてに同じ声が流れている。
『こちらから、そちらが見えている』
世界中で映像が撮影される。
空に巨大な機械の姿。
これまでより鮮明だった。
しかし。
地面には影すら落ちない。
風も起こさない。
建物にも触れない。
ただ、そこに映っている。
研究員が叫ぶ。
「接続安定率、三十二パーセント!」
「物理干渉は?」
「ゼロです!」
「音声通信は?」
「成立しています!」
責任者は画面を見つめた。
「……成功した」
誰も歓声を上げなかった。
まだ実験だからだ。
だが。
長い研究の結果としては、大きな一歩だった。
ゲーム内。
悠真は空を見上げていた。
「君は……誰?」
少し間があった。
『俺は……』
機械が答える。
『この世界にいる者だ』
悠真は思わず笑った。
「僕もそうだよ」
『お前も?』
「うん」
『では、同じ場所にいるのか』
「たぶん」
機械は黙った。
そして。
『……不思議だな』
「何が?」
『世界は一つだと思っていた』
悠真は空を見た。
何と答えればいいのか分からなかった。
その時。
システム表示が出た。
【双方向認識:成立】
悠真の表情が変わる。
「双方向……?」
NPCたちはその意味を知らない。
プレイヤーたちも分からない。
ただ、空に映る存在を見ている。
そして現実世界では。
研究員たちが新しい画面を確認していた。
【ゲーム世界→現実世界】
【投影:安定】
【現実世界→ゲーム世界】
【観測:安定】
【双方向通信:成立】
その下には、まだ一つだけ空欄があった。
【物理接続:未成立】
責任者は、その表示をしばらく見ていた。
「まだだな」
「はい」
「次は?」
「……まだ実施しません」
研究員は答えた。
「安全確認が必要です」
責任者は頷いた。
「そうしよう」
同じ頃。
悠真はゲーム内の空を見上げていた。
空の向こうに。
知らない世界がある。
そして、その世界からも。
こちらを見ている者がいる。
これまで。
ゲームと現実は、別々だった。
今は違う。
まだ触れることはできない。
けれど。
互いを見ることはできる。
悠真は小さく呟いた。
「近くなったな……」
返事はなかった。
ただ。
空に浮かぶ機械の姿だけが。
しばらく消えずに残っていた。




