第百三十九章 記録に残らない時間
水曜日。
悠真は学校から帰ると、いつものように宿題を済ませた。
算数の問題を解き、明日の授業で使うものをランドセルに入れる。
時計を見ると、まだ少し時間があった。
「お母さん、ゲームしてくるね」
「分かった。今日は何時まで?」
「夕飯まで」
「じゃあ、時間を見てね」
「うん」
悠真は《クロスギア》にログインした。
【オンラインプレイヤー:204,817】
ロビーでは、新しい装備の販売情報や、週末の共同任務についての会話が流れていた。
悠真は任務一覧を開く。
昨日の通信中継装置のことが少し気になっていたが、同じような点検任務を続ける気分ではなかった。
今日は戦闘をしたい。
一覧の中から、北部森林の機械獣討伐を選んだ。
【任務名:北部森林・機械獣討伐】
【主目標:指定区域の機械獣を排除する】
【追加目標:周辺設備を保護する】
悠真は装備を確認した。
攻撃力だけを重視した構成ではなく、エネルギー消費と機動力のバランスを取った、いつもの装備だった。
転送先は、森林の入口付近。
指定区域まで進むと、小型機械獣が三体確認できた。
悠真は一体を引きつけ、残りの二体との距離を確保する。
先に近づいてきた敵を倒し、続いて横から回り込もうとした敵へ攻撃を加えた。
最後の一体は、周辺設備の方へ移動し始めた。
悠真は追いかける。
ただし、一直線には進まなかった。
敵との距離を詰めすぎると、攻撃を受けた時に設備まで巻き込む可能性がある。
少し横へ回り、敵の進路を変えさせる。
そのまま攻撃を重ね、最後の一体も撃破した。
【任務完了】
【主目標:達成】
【追加目標:達成】
【評価:A】
悠真は結果を確認し、ロビーへ戻った。
続けて別の任務を受けるには、少し時間が足りない。
そこで、装備の整備画面を開いた。
先ほどの戦闘で消費したエネルギーを補充し、武器の状態を確認する。
整備が終わると、画面の端に小さな通知が表示された。
【過去の任務記録を更新しました】
「過去の任務?」
悠真は通知を開いた。
表示されたのは、昨日受けた通信中継装置の点検任務だった。
【任務記録:再確認】
【対象:東部輸送路・通信中継装置】
【更新項目:なし】
【備考:記録の照合処理を実施】
新しい情報はなかった。
記録が更新されたというより、照合処理が行われたことを知らせる通知らしい。
悠真は詳細を開いた。
昨日、自分が記録した内容がそのまま残っている。
通信中断の履歴。
最終記録の時刻。
送信失敗。
どれも変わっていなかった。
「何も変わってないじゃん」
悠真は小さくつぶやいた。
しかし、通知が届いたということは、誰かが記録を確認したのだろう。
それ以上のことは分からなかった。
悠真は画面を閉じた。
ロビーでは、別のプレイヤーたちが装備の話をしていた。
『新しい脚部パーツ、旋回性能がいいらしい』
『でも耐久値が低いって聞いたぞ』
『実際に使わないと分からないだろ』
悠真はその会話に目を向けた。
確かに、性能表だけでは分からないことも多い。
自分でも以前、攻撃力の高い装備を試して、エネルギー消費の大きさに苦労したことがある。
数字が高いことと、自分に合っていることは同じではない。
悠真は装備一覧を開き、まだ試していない脚部パーツを確認した。
購入するには、少し資金が足りなかった。
今日は見送ることにした。
ログアウトする前に、ランキングを確認する。
一位、KAI。
二位、RION。
三位、YUMA。
順位は変わっていなかった。
悠真はゲームを終了した。
夕飯の準備をしていた母親が、部屋から出てきた悠真に声をかけた。
「今日はもう終わり?」
「うん。任務を一つやった」
「疲れてない?」
「大丈夫。今日はそんなに長く戦ってないから」
「それならいいけど」
母親は食器を並べながら続けた。
「そういえば、学校のプリントは出した?」
「あっ」
悠真は一瞬、動きを止めた。
「……まだだった」
「ゲームのことは覚えていても、学校のことを忘れたら困るでしょう」
「今、出してくる!」
悠真は慌ててランドセルを開けた。
プリントを取り出し、母親に渡す。
母親は内容を確認してから、食卓の端へ置いた。
「はい。これで大丈夫」
「危なかった……」
「好きなことに集中するのはいいけど、ほかのことも忘れないようにね」
「分かった」
悠真は少し恥ずかしくなった。
ゲームの中では、敵の位置や設備の状態を確認している。
けれど、現実の生活では、提出するプリントを忘れることもある。
どちらか一方だけを完璧にできるわけではなかった。
夕飯を食べたあと、悠真は明日の準備をもう一度確認した。
ランドセルの中身。
筆箱。
宿題。
提出物。
全部そろっている。
それから、今日のゲームのことを思い返した。
森林の任務は問題なく終わった。
昨日の通信中継装置については、記録の照合が行われたらしい。
けれど、具体的な変化はなかった。
悠真は、もう一度調べてみたい気持ちもあった。
ただ、今すぐ調べなければならない理由はない。
ゲームには、ほかにもやりたいことがある。
新しい装備を試すこと。
KAIと対戦すること。
知らないプレイヤーと任務を受けること。
街を歩き、変わっていく設備を見て回ること。
一つの記録だけに時間を使う必要はなかった。
翌日、別の任務を受けるかもしれない。
その時に、また何か分かることがあるかもしれない。
何も分からないままかもしれない。
それでも、ゲームは続いていく。
悠真は明日の準備を終えると、机の上に置いてあった本を開いた。
今夜は、ゲームのことを考えながら眠る必要もなかった。
分からないことを、分からないまま置いておく。
それも、時には必要なことだった。




