第百三十七章 母親が見ていたもの
月曜日。
学校から帰った悠真は、ランドセルを机の横に置いた。
「ただいま」
「おかえり。今日はどうだった?」
「普通だったよ」
母親は台所から顔を出した。
「宿題は?」
「先にやる」
「分かった。夕飯までには終わらせてね」
「うん」
悠真は宿題を机に広げた。
算数の問題を解き、国語の文章を読み、最後に明日の時間割を確認する。
途中で少し手が止まったが、時計を見ると、思っていたより時間は進んでいなかった。
宿題を終えると、母親に声をかけた。
「終わったよ」
「見せて」
母親はノートを確認した。
計算の途中式も書いてある。
国語の課題にも、最後まで答えが記入されていた。
「うん。大丈夫そうね」
「ゲーム、してもいい?」
「夕飯までならいいわよ。遅くならないようにね」
「分かった」
悠真はゲーム機を起動した。
《クロスギア》に接続する。
【オンラインプレイヤー:211,605】
平日のロビーは、週末より静かだった。
悠真は任務一覧を開いた。
新しい任務がいくつか追加されている。
その中に、街の設備点検という募集があった。
【任務名:中央市街設備点検】
【主目標:指定設備の動作確認】
【追加目標:異常箇所の記録】
【推奨人数:1~2人】
戦闘任務ではなかった。
悠真は少し迷ったあと、受注した。
転送先は中央市街の外れだった。
道路沿いに小さな設備が並び、作業員型のNPCが工具を運んでいる。
「点検に来てくれたのか」
NPCが悠真に気づいて声をかけた。
「はい。指定された設備を確認します」
「助かる。こっちは部品の交換を進めているところだ。あそこの装置から頼む」
悠真は指定された装置へ向かった。
外側のパネルに大きな損傷はない。
操作画面を開くと、電力供給と通信機能は正常と表示された。
ただし、記録更新の時刻が少し古かった。
「記録が止まってる?」
悠真は詳細を確認した。
装置自体は動作している。
しかし、一部の記録が更新されていなかった。
故障なのか、更新処理が遅れているだけなのかは分からない。
悠真は異常の可能性として記録を残し、次の設備へ向かった。
二つ目の設備は問題なかった。
三つ目では、外部ケーブルの固定具が緩んでいた。
NPCに報告すると、作業員が工具を持ってやってきた。
「これは直しておこう。見つけてくれてありがとう」
作業員が固定具を締め直す。
悠真は修理が終わるのを待ってから、もう一度状態を確認した。
【固定状態:正常】
最後の設備も確認し、任務を終えた。
【任務完了】
【主目標:達成】
【追加目標:達成】
【評価:A】
悠真は結果画面を閉じた。
敵との戦闘はなかった。
それでも、設備の状態を確認し、問題があれば報告するという仕事だった。
街の中では、別のNPCたちも作業を続けていた。
部品を運ぶ者。
道路の端で修理をする者。
店の前に商品を並べる者。
プレイヤーが任務を受けていない間も、街は少しずつ変わっている。
悠真はしばらくその様子を眺めたあと、ロビーへ戻った。
KAIからメッセージが届いていた。
『今日は入ってる?』
『うん。今、任務が終わったところ』
『対戦に行く?』
悠真は時計を確認した。
夕飯までは、まだ少し時間がある。
『一回だけなら』
『了解』
二人はランキング戦へ参加した。
今回のマップは、中央に広い広場があり、左右に細い通路が続いている。
開始直後、相手チームは中央へ向かわず、左右の通路に分かれた。
KAIが中央の敵を牽制する。
悠真は右側へ移動し、相手の一人が広場へ回り込むのを確認した。
すぐに追いかけようとはしなかった。
前の試合では、相手の動きを予測して追いすぎた結果、味方から離れてしまった。
今回は、まずKAIの位置を確認する。
『右から一人、中央へ回ってる』
『見えた。俺が中央を押さえる』
悠真は通路の出口を守った。
相手が広場へ入ろうとしたところで攻撃を仕掛け、進路を変えさせる。
その間にKAIが中央の敵を押し戻した。
試合は終盤までもつれたが、最後は広場の占有時間で上回り、悠真たちの勝利となった。
【勝利】
悠真は少しだけ満足した。
相手を倒した数は、それほど多くない。
しかし、味方の位置を確認しながら動けた。
それが今回の勝利につながったのかもしれない。
『今の、無理に追わなかったのがよかったな』
KAIからメッセージが届いた。
『前に似たようなことをして負けたからね』
『経験が役に立ったってことか』
『そうかもしれない』
悠真はもう一試合誘われる前に、ログアウトすることにした。
夕飯の時間が近づいていた。
現実の部屋に戻ると、母親が食卓の準備をしていた。
「もう終わり?」
「うん。一回だけ対戦してきた」
「宿題も終わってるし、時間も守れたわね」
母親はそう言って、皿を並べた。
悠真は少し意外に思った。
「今日は何も言わないの?」
「何を?」
「ゲームばかりしてるとか」
母親は手を止めた。
「今日は宿題を先に終わらせたでしょう。それに、夕飯までって約束も守ったじゃない」
「……うん」
「毎日同じ時間だけ遊べばいい、という話でもないのよ。疲れている日は休んだ方がいいし、やることを終わらせて時間に余裕があるなら、遊ぶのもいいと思う」
悠真は椅子に座った。
「じゃあ、もっと長く遊んでもいい?」
「それとこれとは別」
「ええ……」
「明日の学校に影響が出ないこと。寝る時間を守ること。それから、自分が疲れている時は無理をしないこと。そこは変わらないわよ」
「分かった」
母親は笑った。
「ゲームが好きなのは知ってるから。好きなものを全部やめなさいとは言わないわ」
悠真は返事をせず、食卓に並んだ料理を見た。
以前は、母親がゲームの時間を気にするたびに、もっと遊びたいと思っていた。
けれど、母親が何も考えずに止めようとしているわけではないことも、最近は少しずつ分かってきた。
学校へ行く。
宿題をする。
食事をする。
眠る。
その間に、ゲームをする。
どれか一つだけを続ければいいわけではない。
「お母さん」
「何?」
「明日も、宿題を終わらせてからログインするよ」
「そうしてちょうだい」
母親はそれ以上、何も言わなかった。
夕飯を食べ終えたあと、悠真は明日の準備を済ませた。
寝る前に、今日の対戦を少しだけ思い返す。
前に負けた経験があったから、今回は同じ失敗を避けられた。
ただし、次も勝てるとは限らない。
相手が違えば、動きも違う。
味方が違えば、必要な判断も変わる。
今日できたことが、明日も必ずできるとは限らなかった。
それでも、試してみることはできる。
悠真はゲーム機の電源が切れていることを確認した。
明日も学校がある。
だから、今日はもう寝る。
好きなゲームを続けるためにも、今は休む時間だった。




