第百三十三章 ログインしなかった理由
水曜日。
悠真は学校から帰ると、いつもより早くランドセルを片づけた。
今日は体育の授業があった。
校庭を走り、ボールを使った運動をして、最後にはクラス全員でリレーをした。
帰り道では、友達とゲームの話もした。
家に着いた時には、足が少し重かった。
「おかえり。今日は早かったね」
母親が台所から顔を出した。
「ただいま」
「宿題は?」
「今からやる」
「分かった。終わったら教えてね」
悠真は机に向かった。
算数のプリントを解き、国語の課題を済ませる。
途中で一度、ゲームにログインしようかと考えた。
昨日の対戦で気になったところがある。
中央へ戻るタイミング。
味方との距離。
敵が後退した時の対応。
少し練習すれば、何か分かるかもしれない。
だが、椅子から立ち上がろうとした時、足の疲れを感じた。
「……今日はいいかな」
悠真は机に戻った。
宿題を終えた後、読みかけの本を開く。
夕食を食べ、母親と学校の話をした。
風呂に入る。
明日の準備をする。
そのまま、いつもより少し早く布団に入った。
《クロスギア》にはログインしなかった。
翌朝。
ゲームのロビーには、いつもどおりプレイヤーたちが集まっていた。
【オンラインプレイヤー:198,614】
任務の募集が流れ、装備の相談が交わされ、対戦の結果が報告されている。
誰かが新しい装備を試していた。
誰かが難しい任務を失敗したと話していた。
別の誰かは、数日ぶりにログインした友人へ声をかけていた。
悠真の名前は、そこにはなかった。
ゲームの世界では、誰かがログインしなければ、その人物の機体は動かない。
少なくとも、プレイヤーとしては。
しかし、街の作業は続いていた。
中央都市では、先日整理されていた資材置き場に新しい棚が設置されていた。
修理された運搬機が部品を運んでいる。
新しくできた部品屋では、店主が商品の在庫を確認していた。
輸送路では、NPCの作業員たちが道路脇の設備を点検していた。
誰かがログインしているかどうかとは別に、それぞれの仕事が進んでいた。
午前。
中央都市の工場では、部品の納品が行われた。
午後。
整備工場では、修理を待っていた機体の作業が再開された。
夕方。
街の掲示板には、新しい輸送任務が追加された。
特別な事件は起きなかった。
ただ、世界は動いていた。
研究施設。
開発チームの一人が、プレイヤーの接続記録を確認していた。
「YUMAは昨日、接続していませんね」
別の研究員が画面を見る。
「そうですね。前回の接続から一日空いています」
「その前は、通常任務と対戦をしています」
「はい」
研究員は記録を切り替えた。
接続時間。
任務の種類。
戦闘記録。
装備変更。
ログアウト時刻。
どれも記録されている。
しかし、昨日ログインしなかった理由は記録されていなかった。
「疲労による休止でしょうか」
「可能性はあります。ただ、理由までは分かりません」
「学校や家庭の事情かもしれませんね」
「それも考えられます。本人が何をしていたかまでは、この記録からは判断できません」
研究員は画面を閉じた。
接続がなかった。
分かるのは、それだけだった。
木曜日。
悠真は学校から帰ると、昨日よりも体が軽くなっているのを感じた。
宿題を終え、母親に確認してもらう。
「今日はゲームするの?」
「うん。昨日はやらなかったから」
「疲れは取れた?」
「だいぶ」
「じゃあ、時間を見ながらね」
「分かってる」
悠真は自分の部屋へ戻り、《クロスギア》にログインした。
【オンラインプレイヤー:205,782】
ロビーの画面が開く。
見慣れた任務一覧。
見慣れた装備画面。
いつものランキング。
悠真は一度、深呼吸した。
久しぶりというほどの時間ではない。
たった一日、ログインしなかっただけだ。
それでも、画面を開いた時には少しだけ新鮮な感じがした。
まず、装備を確認する。
前回の対戦記録も開いた。
中央へ戻るまでの時間。
味方と離れた距離。
敵が後退した時の位置関係。
何度見直しても、すべての答えが分かるわけではない。
それでも、一つ気づいたことがあった。
あの時、悠真は左側の敵を見つけた後、中央へ戻ることばかり考えていた。
だが、戻る途中で敵がどう動くかは確認していなかった。
次に似た状況になったら、移動しながら味方の位置と敵の動きを確認してみよう。
それだけ決めた。
悠真はKAIにメッセージを送った。
『今、ログインしてる?』
返事はすぐに来た。
『してる』
『一戦やる?』
『いいぞ』
RIONも合流し、三人で対戦へ向かった。
今回のマップは、広い工業地帯だった。
中央には大きな設備があり、左右に複数の通路が伸びている。
試合開始。
KAIが前へ出る。
RIONは後方から援護する。
悠真は中央の設備を利用しながら、味方との距離を保った。
敵の一機が右側から接近してくる。
悠真はすぐには追わなかった。
味方の位置を確認する。
KAIは中央で敵と交戦中。
RIONは射撃位置を確保している。
悠真は右側の敵を牽制しながら、中央へ戻れる位置を維持した。
敵は何度か接近を試みたが、決定的な攻撃には至らなかった。
やがて、敵の一機が後退する。
悠真は追わず、中央の状況を確認した。
『中央、押せるぞ』
KAIから連絡が入った。
『分かった。今から戻る』
悠真は中央へ合流した。
三人がそろったところで、敵チームは一度後退した。
今度は、悠真たちが追う側だった。
だが、悠真は相手の動きを決めつけなかった。
敵が逃げるなら、逃げる理由があるかもしれない。
迎撃するつもりかもしれないし、単純に態勢を立て直しているだけかもしれない。
悠真はKAIとRIONの位置を確認し、無理のない距離を保った。
試合終了。
【勝利】
「勝ったね」
悠真が言った。
「前より中央に戻るのが早かったな」
KAIが答えた。
「でも、右側の敵は倒せなかったよ」
「倒す必要がある場面じゃなかっただろ」
「……そうか」
RIONも戦績を確認した。
「今日は三人とも、役割が崩れなかった。それが大きい」
悠真は結果画面を閉じた。
前回の敗北が、今回の勝利に直接つながったのかは分からない。
相手の動きも違った。
マップも違った。
同じ三人でも、条件が変われば試合の展開は変わる。
それでも、昨日考えたことを今日は一つ試せた。
悠真には、それで十分だった。
もう一戦するかどうか、少し迷った。
だが、時計を見ると、そろそろログアウトする時間だった。
「今日はここまでにする」
『了解』
『またな』
二人と別れ、悠真はロビーへ戻った。
ランキングは変わっていない。
一位、KAI。
二位、RION。
三位、YUMA。
悠真はその画面を閉じた。
ログアウトする前に、中央都市へ移動する。
新しく設置された棚には、部品が種類ごとに並べられていた。
店主は客の注文を聞き、作業員は運搬機で資材を運んでいる。
昨日と同じ場所。
けれど、昨日とは少し違う景色。
悠真は短い時間だけ、その様子を眺めた。
それからログアウトした。
現実の部屋に戻ると、母親が洗濯物をたたんでいた。
「今日はどうだった?」
「一戦勝ったよ」
「よかったね」
「うん。でも、昨日休んだから勝てたのかは分からない」
母親は少し笑った。
「そうなの?」
「相手も違うし、マップも違うから。でも、今日は昨日考えたことを試せた」
「それなら、休んだ時間も無駄じゃなかったんじゃない?」
悠真は考えた。
昨日はゲームをしなかった。
その間に、対戦の記録を見直したわけでもない。
特別な練習をしたわけでもない。
ただ、学校へ行き、宿題をして、食事をして、眠った。
それでも、今日またゲームをすることができた。
「……うん。そうかもしれない」
母親は洗濯物を重ねた。
「毎日続けることと、毎日同じことをすることは違うものね」
悠真は頷いた。
《クロスギア》の中では、ログインした時間も、戦った記録も、装備の変更も残る。
ログインしなかった日は、接続記録に空白ができる。
けれど、その空白の中で何があったのかは、数字だけでは分からない。
疲れて休んだ人もいる。
別のことに夢中になった人もいる。
もう遊ばなくなった人もいるかもしれない。
同じように一日ログインしなかったとしても、その理由は一人ひとり違う。
悠真は机の上に明日の準備を置いた。
明日も学校がある。
ゲームにログインするかどうかは、まだ決めていない。
その時になってから考えればいい。
少なくとも、今日の悠真には、明日も遊ぶための時間が残っていた。




