第十章 画面の向こう側
その日の夜。
悠真は夕食を食べ終わると、いつもより早く部屋に戻った。
母親が食器を片付けながら言う。
「今日は早いね」
「うん。ちょっと確認したいことがある」
「ゲーム?」
「そう」
「宿題は?」
「もう終わった」
「じゃあ、いいけど。あまり遅くならないようにね」
「分かった」
部屋のドアを閉める。
パソコンの電源を入れた。
昨日、街で見た表示が気になっていた。
――【同期処理を開始します】
あれが何だったのか。
悠真はログインした。
メインロビー。
今日のオンライン人数は、
598,204
「また減ってる……」
昨日より二万人以上少ない。
それでも、まだ十分な人数だった。
悠真は検索欄を開いた。
「同期処理……」
入力してみる。
検索結果はなかった。
ゲーム内のヘルプにも載っていない。
設定画面にもない。
公式のお知らせを開いても、それらしい説明は見つからなかった。
「なんだろう」
しばらく考えたあと、悠真はゲーム内掲示板を開いた。
検索欄に、
「同期」
と入力する。
いくつかの投稿が表示された。
『最近、戦闘中に画面が一瞬白くならない?』
『昨日あった』
『俺も』
『回線じゃないの?』
『分からない』
悠真は少し驚いた。
自分だけではなかった。
さらに下へスクロールする。
『NPCの台詞が前より変わってない?』
『それ、俺も思った』
『イベントの追加じゃない?』
『アップデート情報にはないけど』
そこまで読んだところで、新しいメッセージが投稿された。
『最近、ゲームの中の住人がプレイヤーのことを普通の人間みたいに話すようになった気がする』
返信がつく。
『前からじゃない?』
『いや、前とは違う』
『どう違うの?』
『うまく言えない』
そこで投稿は終わっていた。
悠真は画面を見つめた。
自分が感じていたことと似ている。
NPCたちは、以前から話しかければ返事をしていた。
でも最近は、決められた台詞を返しているという感じが薄くなっていた。
自分が何をしたか。
どこへ行ったか。
前に何を話したか。
そういうことを覚えているように感じる。
悠真は一度、ゲームを閉じようとした。
そのときだった。
【ワールドイベント予告】
【24時間後、特別イベントを開始します】
画面中央に通知が表示された。
「特別イベント?」
通常のワールドボスとは違う。
詳細を開く。
しかし、
【詳細情報は公開されていません】
としか表示されなかった。
「なんだこれ」
悠真は少し興奮した。
新イベント。
新しい敵。
新しい装備。
そう考えると、やはり楽しみだった。
翌日。
学校から帰った悠真は、宿題を終わらせてすぐログインした。
ロビーにはいつもより人が多かった。
オンライン人数。
612,731
前日より増えている。
イベント目当てでログインしたプレイヤーが戻ってきたらしい。
チャットも賑やかだった。
『何が出るんだろう』
『新ボスじゃね?』
『運営、最近イベント多すぎ』
『でも楽しみ』
悠真も笑った。
こういう時間は嫌いではない。
知らないものが出てくる前の、少し落ち着かない感じ。
やがてカウントダウンが始まった。
【特別イベント開始まで】
【10】
【9】
【8】
悠真は画面に顔を近づけた。
【7】
【6】
【5】
ロビーの照明が消えた。
チャットが止まる。
【4】
【3】
【2】
【1】
――世界が暗くなった。
音も消えた。
悠真は一瞬、ゲームが落ちたのかと思った。
しかし、画面には何かが映っている。
暗い空間。
その中央に、一つの巨大な輪郭が浮かび上がった。
人型にも見える。
機械にも見える。
けれど、これまでのワールドボスとは違った。
名前が表示されない。
HPもない。
レベルもない。
ただ、画面の中央に立っている。
その存在が、ゆっくりと顔を上げた。
そして。
声がした。
「……ここは、どこだ?」
ロビーにいたプレイヤーたちが、一斉にざわめいた。
『NPC?』
『イベント演出?』
『誰か知ってる?』
『知らない』
悠真も動けなかった。
その声は、これまで聞いたどのNPCとも違っていた。
決められた文章を読むような声ではない。
迷っていた。
本当に、何かを探しているようだった。
やがて、その存在が周囲を見回した。
「……誰もいないのか」
悠真は反射的にチャット欄へ入力した。
『ここにいるよ』
送信。
その瞬間。
巨大な存在が、こちらを向いた。
正確には、画面の向こう側を見た。
「……お前か?」
悠真の手が止まった。
「え?」
周囲のプレイヤーも騒ぎ始める。
『今、誰に話しかけた?』
『YUMA?』
『おい、YUMAに反応したぞ』
悠真はもう一度入力した。
『僕?』
巨大な存在が答えた。
「そうだ」
ロビーが静まり返った。
悠真は画面を見つめる。
今までのゲームでは。
NPCがプレイヤーを認識することはあった。
しかし、それはゲームの中の存在としてだった。
名前。
レベル。
職業。
クエスト。
そういう情報として。
けれど今、目の前の存在は違った。
悠真自身を見ていた。
しばらくして、システムメッセージが表示された。
【現実世界との同期を開始します】
その文字を見た瞬間。
悠真は昨日の街で見た表示を思い出した。
――4.3%。
画面の向こう側で。
何かが、こちら側を見ている。
その事実だけが、妙にはっきりしていた。
そして同じ頃。
《クロスギア》運営会社の実験室では、一人の研究員がモニターを見ていた。
「接続しました」
「誰に?」
「プレイヤーです」
「誰が反応した?」
研究員は画面を確認する。
少しだけ迷ってから答えた。
「YUMAです」
部屋の中が静かになった。
責任者はしばらく画面を見ていた。
そして、静かに言った。
「……予定より早いな」
実験室のモニターには、もう一つの数字が表示されていた。
【現実側接続安定度:7.1%】
まだ、誰も知らない。
この数字が、これから世界の境界を少しずつ変えていくことを。




